2023年3月23日のブックマーク (2件)

  • 自分とライオンズと栗山巧

    イオンズを知ったのは新聞屋の内野自由席のタダ券。 秋津の乗り換えは分からなかった。 蓋のあるスタジアムなんてと珍しいものを見る目だった。 初めて観に行ったら松坂が燃えてた。 でも試合は勝った。 もう一度行ったら西口が好投してた。 勝ったら花火がバックスクリーンで爆発してた。 何度目かに行ったら名前にインボイスが付いていた。 選手は佐藤友亮とか貝塚とか、何故かは分からないが覚えて帰った。 今思えば若手として出始めていたのだろうが、全く記憶にない。 それが、あったかも知れない栗山との出会い。 それからしばらく浦和レッズばかり見ていて、野球から離れていた時期があった。 さすがに少しだけ日シリーズの記憶はある気がするが、暴れ回る片岡と絶対に打ちそうなナカジくらいだろうか、はっきり覚えているのは。 派手な髪の軍団の中の一人で、片岡の後ろで地味な仕事をこなす人。 それが、栗山に抱いた最初の印象。

    自分とライオンズと栗山巧
    y-akg
    y-akg 2023/03/23
  • 新聞記者最後の日。書けなかったエピソード。|塩畑大輔

    記者をやっていると「書きたいけど書けない」という状況にも出くわす。 大半は「書かれる側」に配慮して、というパターン。 これは読者の皆さんにも想像はつくかもしれない。 もうひとパターンある。 それは「自分が関わりすぎていて書けない」だ。 ファンの皆さんが読みたいのはやはり、アスリート人のエピソードだと思う。その描写に、あくまで「媒介者」でしかない記者が写り込むのは避けるべき。多くの記者がそう考えている。 ただ、記者が写り込むことによるマイナスと、書いた時のインパクトとで、後者が上回りそうな時もある。 天秤にかけて、書いた方がいいのではないか、と悩む。原稿の仕上がり直前まで、その要素を削ったり、また書き込んだり…と。 今回は書かせていただくのは、記者人生の中で最も悩んだケース。 それは新聞記者生活の最後の日のことだ。 よりによって、現場から書く最後の原稿について、僕はものすごく悩むことになっ

    新聞記者最後の日。書けなかったエピソード。|塩畑大輔
    y-akg
    y-akg 2023/03/23