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ブックマーク / wallerstein.hatenadiary.org (7)

  • 『建内記』応永三十五年正月十七日条 - 我が九条

    郷和人氏は足利義持の死因について、傷口から菌が入って死去した、という通説に疑義を呈し、『建内記』に義持のおできは「馬蹄である」とされていることに着目して義持の死因は憩室炎ではないか、と推測された(『満済准后日記』と室町幕府」、五味文彦編『日記に中世を読む』所収、吉川弘文館、1998年、239頁)。 で、私は娘の散歩中にそれに対する私なりの義持の死因に関する文章を書いていたのだが、途中で娘が帰ってきて、その相手をしている内に、文章が全て消えてしまって、無常観に襲われていたのだが、郷和人氏直々のコメントをいただいて舞い上がっているところ。 まずは『建内記』当該条を検討したい。 御雑熱自七日成痛、十日比三位房允能法師拝見、為馬蹄之由申之。而奉療治之処、以外也。一昨日久阿弥拝見之処為疽、已腐入之由申之、不可及療治之由申之云々。 この辺の細かい描写は『満済准后日記』に詳しい。 七日には「室町殿御

    『建内記』応永三十五年正月十七日条 - 我が九条
    y-mat2006
    y-mat2006 2012/09/19
    足利義持の死因についての考察。このあたり、医学系クラスタの人はどう診立てるんだろう?
  • 中世の北海道史と一次史料 - 我が九条

    歴史学においては一次史料を中心に書くのが基である。 とは言っても一次史料がほとんどない分野が存在する。中世の北海道史はその典型例だろう。いきおい編纂物である『新羅之記録』に頼ることになる。しかし残念ながら『新羅之記録』の信憑性は非常によくない、と近年の研究では指摘されている。しかし『新羅之記録』は一種の麻薬みたいなもので、使い出すと止まらないのだろうな、と思っている。その典型例として私はこの五年ほどやり玉に挙げているのが「下国安藤氏十三湊還住説」である。 『満済准后日記』に永享四年に下国安藤氏が没落した、と書いてあり、『新羅之記録』には嘉吉二年に没落した、と書いてある。この両者は年代以外はそれほど齟齬がない。双方とも基的な出来事は南部氏と下国安藤氏が争って、下国安藤氏が敗北し、北海道に逃亡した、ということである。これだけを見れば、一次史料である『満済准后日記』と編纂物である『新羅之記録

    中世の北海道史と一次史料 - 我が九条
    y-mat2006
    y-mat2006 2012/08/28
    史料を調べたり既存の研究結果を参照するためには語学力が必須。史学って敷居が高いんだよなあ。
  • 鎌倉幕府否定論再論 - 我が九条

    鎌倉幕府の成立年代には大きく分けて7つある。数少ないこのブログの読者ならば何回か読んでいらっしゃると思うし、新たな読者がいるともあまり思えないが、再び。 鎌倉幕府の成立については一一八〇年、一一八三年、一一八四年、一一八五年、一一八九年、一一九〇年、一一九二年の諸説がある。これは例えば学問研究が進んで、新たな史料が発見されればどれか一つに収斂されるのか、と言えば、それはない。何故かといえば、鎌倉幕府の開設年代のズレは、「鎌倉幕府とは何か」という問いに対する解答が異なるからだ。 一一八〇年説を支える史実は「源頼朝が鎌倉に邸宅を構えた」ということである。頼朝の邸宅は単に頼朝が居住するだけではない。頼朝に従う「侍」を管理する機能も持っている。「侍所」というのはある程度の権門勢家ならば備えている機構であって、侍所を備えた邸宅を構える事は、頼朝が鎌倉を中心とする南関東を実力で支配しようとする意思を明

    鎌倉幕府否定論再論 - 我が九条
    y-mat2006
    y-mat2006 2012/02/27
    足利政権の成立のときはどうだったんだろうか?/先生、typoでござりまする→「他の歴史治承」
  • 北朝の天皇が抹殺されるまで - 我が九条

    明治政府はそのイデオロギー主柱が水戸学であったことが、北朝ではなく、南朝が正統であると考えられた根にあると思われる。江戸幕府の歴史意識では、後醍醐で王朝は終了して武家の世になっているのである。王朝交代の思想に基づけば、南朝正統の方が何かと好都合であった。松平定信の大政委任論から始まって、幕末の政治情勢の中で攘夷を決行できない「征夷大将軍」に対する不満が高まり、「尊王攘夷」から「尊王討幕」へと政治動向が変わり、明治維新に至る。明治維新では水戸学の影響やら、国学、特に大国学(おおくにがく=大国隆正の学派であって、「だいこくがく」ではない。念のため)を中心とする国学がヘゲモニーを一時的に握る。いわゆる祭政一致の段階で、神祇官が太政官の上に置かれた時代である。神武の昔にもどろうとしたらしい。やがて文明開化の中で彼等は非主流派に転落して行くのだが、彼等の思想は民間右翼団体やその影響を受けた地方の保

    北朝の天皇が抹殺されるまで - 我が九条
    y-mat2006
    y-mat2006 2011/06/11
    今も昔も勤王党の生臭さは変わらないようで。
  • ネットに真実が(嘲)の事例 - 我が九条

    大阪産業大学に関する朝日新聞の阿久沢悦子記者の署名記事(「http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201006020007.html」)。6月2日付け。 中国語の普及などのため、中国海外の大学と提携して運営する「孔子学院」について、同学院を開設する大阪産業大学(大阪府大東市)の重里(しげさと)俊行事務局長が、中国側の認可組織を「文化スパイ機関」などと発言したため、同大は1日、重里事務局長に辞職を求めた。中国人留学生らから抗議の声が上がり、中国側からも説明を求められていた。辞職が受け入れられなければ解任し、学内に謝罪文を掲示するという。 詳しい経緯。 大阪産業大によると、09年4月、孔子学院側に大学所有のビル(大阪市福島区)にキャンパスの移転を提案。同大学が資産運用に失敗し、経営の合理化に迫られたためだったが、孔子学院側は「上海外大や中国政府との協議が必要」

    ネットに真実が(嘲)の事例 - 我が九条
    y-mat2006
    y-mat2006 2010/06/05
    まあ、広い概念で言うと、文化戦争みたいなものかも知れないけど、日本だってクールジャパンとか言ってる。日本経済の低迷で国力が落ちてるから、度量がなくなってきてるのかも。
  • 中学受験教材で偏向記述 - 我が九条

    あちらこちらの塾の教材で故右大将殿(名:源頼朝公)による鎌倉殿の政権樹立を「幕府=征夷大将軍を中心とする政府」と記述するなど、「将軍の居所=幕府」という中華思想に配慮した媚中史観に偏ったものが使われていることが分かった。塾の教材は教科書検定のようなチェックなしに使われており、識者は「子どもが初めて学ぶ日史が、中華思想を強調する10年以上前の教科書の内容で、それを丸暗記させられている」と警鐘を鳴らしている。あちらこちらの塾で使われている『私国立中学受験新演習小学5年社会下』で、故右大将殿が構築した鎌倉殿の政権を「1192年、源頼朝は朝廷から征夷大将軍に任じられ、鎌倉に幕府を開きました」との記述がある。 「1192年」や「征夷大将軍」について、吉田経長氏は「鎌倉幕府の開設の年次や何を以て鎌倉幕府の開設とみなすか、についてはさまざまな学説があり、教科書なら検定意見の対象となる」と指摘。「中学

    中学受験教材で偏向記述 - 我が九条
    y-mat2006
    y-mat2006 2009/07/08
    偏向教育はいけないでおじゃる
  • 笑った - 我が九条

    まずはイザ!のこの記事(「http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/275246/」)。 大手学習塾の栄光ゼミナール(部・東京都渋谷区)の小学5年生の社会科教材で、昭和12年の南京事件を「市民十数万人を虐殺(南京大虐殺)」と記述するなど、自虐史観に偏ったものが使われていることが分かった。塾の教材は教科書検定のようなチェックなしに使われており、識者らは「子供が初めて学ぶ日史が、日を悪と強調する10年以上前の教科書の内容で、それを丸暗記させられている」と警鐘を鳴らしている。 栄光ゼミナールは、首都圏を中心に318拠点で小中高校生向け教室を展開する。同社広報室によると、中学受験指導コースで使われている「私国立中受験新演習小学5年社会下」で、「1937年12月、首都南京を占領した日軍は、市民十数万人を虐殺(南京大虐殺)し

    笑った - 我が九条
    y-mat2006
    y-mat2006 2009/07/08
    産経さんたちは、自分たちの「歴史」が試験に出るように努力するべきでしょう。
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