本郷和人氏は足利義持の死因について、傷口から菌が入って死去した、という通説に疑義を呈し、『建内記』に義持のおできは「馬蹄である」とされていることに着目して義持の死因は憩室炎ではないか、と推測された(『満済准后日記』と室町幕府」、五味文彦編『日記に中世を読む』所収、吉川弘文館、1998年、239頁)。 で、私は娘の散歩中にそれに対する私なりの義持の死因に関する文章を書いていたのだが、途中で娘が帰ってきて、その相手をしている内に、文章が全て消えてしまって、無常観に襲われていたのだが、本郷和人氏直々のコメントをいただいて舞い上がっているところ。 まずは『建内記』当該条を検討したい。 御雑熱自七日成痛、十日比三位房允能法師拝見、為馬蹄之由申之。而奉療治之処、以外也。一昨日久阿弥拝見之処為疽、已腐入之由申之、不可及療治之由申之云々。 この辺の細かい描写は『満済准后日記』に詳しい。 七日には「室町殿御