三浦つとむさんは、『日本語はどういう言語か』のなかで、言語の意味を関係として捉えて説明していた。言語にかかわらず表現というものは、形式と内容のずれ(矛盾)が存在する。同じ形式(外見=音声・文字の形など)であるにもかかわらず、それによって伝わるもの(内容)が違うという矛盾だ。同じ文章を読んでいるのに、まったく違う「意味」で読んでしまう人がいたりする。三浦さんは、これを形式と内容の対立物の統一として説明していた。 この矛盾はどのようにして解決するか。「同じ」と「違う」という正反対の性質が、そのまま無条件に成立すると考えると、これは形式論理に違反することになる。それは形式論理としてはあり得ないから、形式論理としての解決はどちらかを否定して矛盾を解消しなければならなくなる。その発想が、内容をある種の実体としてとらえる視点になる。内容を実体として固定してしまえば、ずれを読みとることが間違いだと言える
三浦つとむさんは、『日本語はどういう言語か』のなかで、言語の意味を関係として捉えて説明していた。言語にかかわらず表現というものは、形式と内容のずれ(矛盾)が存在する。同じ形式(外見=音声・文字の形など)であるにもかかわらず、それによって伝わるもの(内容)が違うという矛盾だ。同じ文章を読んでいるのに、まったく違う「意味」で読んでしまう人がいたりする。三浦さんは、これを形式と内容の対立物の統一として説明していた。 この矛盾はどのようにして解決するか。「同じ」と「違う」という正反対の性質が、そのまま無条件に成立すると考えると、これは形式論理に違反することになる。それは形式論理としてはあり得ないから、形式論理としての解決はどちらかを否定して矛盾を解消しなければならなくなる。その発想が、内容をある種の実体としてとらえる視点になる。内容を実体として固定してしまえば、ずれを読みとることが間違いだと言える
言語の「起源と進化」を探る研究:「人間は言語の宿主にすぎない」 2008年8月 7日 サイエンス・テクノロジー コメント: トラックバック (0) Brandon Keim Photo: Alpha 遺伝子のようなふるまいを見せるミームや、有機体のように進化する文化に関する議論はにぎやかだ。[ミームは動物行動学者リチャード・ドーキンス氏が唱えた概念で、「文化の複製遺伝子」。文化内の「情報」が非遺伝的に承継され「自然選択」される様子を、ダーウィン進化論を基盤とした遺伝子の進化の過程になぞらえたとき、遺伝子に相当する仮想の主体] しかし今のところ、生物学的なものではない進化に関する学問的な理論は存在していない。だが、こうした状況も、変化する可能性が出てきた。 7月28日(米国時間)付の『米国科学アカデミー紀要』(PNAS)に掲載された研究論文の中で、言語学者たちは、実験環境で人工的に作成された
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