「コードギアス」と「羽月莉音の帝国」について、いささか思うところがあったのでメモ。 いわゆる決断主義的アティチュードによって主人公のマニューバーが決定されていることから、両作品は決断主義的と一部の人には捉えられそうだが、両作品の本質は、自己の欲望が世間という中間項を貫通して世界全体にまで至るエスカレーションである。決断主義はセカイ系の奇胎であるがゆえにセカイ系的な現実認識の歪み――すなわち世間や社会という中間項を迂回して直接世界全体と接続すること――をも継承しているが、両作品においては中間項における現実的諸問題との対峙/克服と、それにともなう具体的な闘いの技法がプロットの重要な局面として描かれる。特に「羽月莉音の帝国」においてはそれこそが物語の中心モチーフである。 コードギアスにおいては「世界は自己の思惑とはかかわりなく勝手に自己へと侵入してくる」という伊藤計劃の謂があてはまるかのように、