長崎佐世保の同級生殺害事件の容疑者の父親が自殺したというニュースが流れてきました。 そしてそれに追随するように、死んでも被害者やその家族は浮かばれないのに、償いを放棄して逃げた、等の、父親に対する批判がTLに連なっていて。 その一連の流れを見ながら、言葉を出せない自分がいました。 この事件では父親が危険性を察して行動を起こしてはいたけれど防ぐには至れなかったのだと報道から伺えます。が、それが尽くせる手を尽くしていたのか、努力が足りなかったのか、それは今の段階でわかることではないのかもしれないし、傍観者である私たちが知る必要も知る由もないことなのかもしれない。 その知る由もないこと、報道から得られる断片的な情報を元に犯罪加害者像、家族像、父親像を構築してジャッジして批判することに怖さを感じて、私はあまりツイートでもこの事件に触れる事が出来ずにいました。 この事件について詳しいことを調べる意義