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LIFEと家族に関するy8ovjiのブックマーク (4)

  • 弟が引きこもりで家庭崩壊と故郷をなくした件

    うちの母子家庭の事情でフェイク有り。 大学院卒業式のあと、母が急病で倒れて実家に戻ると弟が部屋でヒキコモリをしていた。 そして、俺を見るなり何か攻撃的で今にも殴りかかりそうな勢いで叫んでくる。 家の中で椅子やを投げてきて、ガラスをわったりして、かなり大声で叫んで近所に通報もされたり大変だった。 俺はなんとか怪我もなく家を脱し、母の入院先に荷物を届けてビジネスホテル住まいでいま、しのいでいる。 家の中でみた弟はずっと暴れていた。 はっきり言って精神を病んでいた。 俺は、ずっと故郷を離れて関東方面の大学にいて、春からは大学でまたポスドクをやっている。 しかし、大学にいる俺に対して、親はずっと俺に弟のことを黙っていたみたいだった。 「なんで俺が(司法試験の)予備試験落ちるんだよ」 「兄貴だけ研究者とかなれてずるい」 「俺だけなんで全部ダメなんだよ」 「しねしねしねしね(ry」 と、恨みつらみを

    弟が引きこもりで家庭崩壊と故郷をなくした件
  • 父が子育て身代金を減額した話 - wHite_caKe

    すげえ腹立つわ|愛情料理研究家 土岐山協子の 『料理はしないんだけど料理研究家のブログ』 この記事を読んで、思い出した話をします。 小学生の頃、母親がテニスサークルに通い始めて、時々家を空けるようになりました。 私は最初、とても驚いて戸惑いました。お母さんというのはいつも家にいる人だと思っていましたし、お母さんが家族と一緒に晩御飯をべないなんて想像を超えた事態のように思えました。 寂しさがなかったといえば嘘になります。手早く事を用意して、 「これとこれはちょっとあっためてべなさい。こっちはそのままで大丈夫」 などと指示をする母親は明らかにうきうきと楽しそうでした。自分たちを置いて出かけることを母親が楽しみにしているんだと感じた時、やっぱり多少のショックはあったのです。 ですがそれは、ほんの短い間だけのこと。 母が出かける最初の日、父親は張り切った様子で帰宅すると、こう宣言しました。

    父が子育て身代金を減額した話 - wHite_caKe
  • 母の狂気 - しまずあいみのぽんこつ日誌

    唐突だけど、わたしの小中学生の頃のコンプレックスは 1.長女である 2.くせ毛 3.母親が変(ヘン) ということだった。 今となっては自他ともに認める「病的なシスコン」の私だが、片田舎で過ごす小中学校時代は兄や姉が欲しくて仕方がなかった。 というのも、当時のコミュニティは「あいつのバックには○○さんがついてるぜ」的な不良版スネ夫、マイルドヤンキーど真ん中の会話が日常茶飯事。 有力な姉、兄が居ないというのは、生まれながらにしての権力差、損をしたような気分だった。友人の垢抜けたヤンキーのお姉さんを見る度に、「あたしもあんなカッコイイおねいさんが居たらなぁぁぁ!」と思ったものである。 しかしそんなチーマーのはしくれ的悩み、長年のコンプレックスであった頑固で残念なくせ毛問題よりなにより、母親の破壊力は偉大であった。 うちは三姉妹だったので、男の子が欲しいばかりに、里親制度でもらって来たオスに勝手

    母の狂気 - しまずあいみのぽんこつ日誌
  • いつまでも一緒に風呂に入る父と娘の奇妙さ - 田舎で底辺暮らし

    先日、Twitterでちょっと話題になってたのが、いい年した父娘がいつまでも一緒に風呂に入るエピソードのまとめ。 成人を超えてからも父と娘がいつまでも一緒に風呂に入るエピソードが紹介されているのだが、なんつーかなんで父親ははっきり断らんのだろう、と不思議である。 以前テレビで、若い女性タレントが未だに父親と一緒に風呂に入るみたいなこと言ってたのを聞いたことあるけど、ギョッとした。 私は親が共働きだったので、祖母とは小学生くらいまでは一緒に風呂入ってたけど、それでも小学校2、3年くらいのころには大体1人で風呂に入ってたと思う。 小学校高学年や中学生になってまで誰かと一緒に入ったり、まして父親と一緒に風呂に入ったことなんて記憶にない。 ていうか、風呂に入れば普通に性器や肛門周辺を洗うだろうに、家風呂のようなあんな狭い場所で家族の目があっても気にしないんだろうか。 もしかして、洗わないの? 私は

    いつまでも一緒に風呂に入る父と娘の奇妙さ - 田舎で底辺暮らし
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