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ブックマーク / mb101bold.cocolog-nifty.com (6)

  • 広告村の外に出てみる - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    それこそ20年近く広告村で飯を喰ってきて、社会人になってから広告しかやったことがないし、ゴールデンウィークの長い休みだというのに、広告のことをぼんやり考えたり残してきた仕事の企画書を書いたりしているような奴でもあるし、他にやりたいこともないし、今のところは、他のところでは飯は喰えないだろうなと思うので、まあ、広告村の住人としてはごくごく平穏に暮らせているのだろうなとは思います。 広告村。そんなものはないのかもしれないし、はてな村と一緒で、それは外部からの視線が定義するものにすぎないだろうけど、ほんの少し前までは、私が書いているような広告の話は、業界の中で流通していただけだったし、その中には、コピーライターの誰それが何したとか、広告村の住民でしか面白いと思わない話もたくさん含まれていて、ま、そういう村的な話の豊かさが、業界の豊穣さを計るメルクマールだったりもするわけで、「広告批評」という雑誌

    広告村の外に出てみる - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ya--mada
    ya--mada 2009/05/06
  • 天気予報で流れてくるあの曲 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    フュージョンが好き。フュージョンが下火になってさみしいです。フュージョンが流行っていたのは80年代後半。日だとCasiopeaとか、T-Square(The Squareと名乗っていたけど、海外進出のときにアメリカに同様の名前のバンドがあって名前を変えた)とか、Prismとか、Naniwa Expressとか。クロスオーバーとも言われていました。要は、ジャズロック。ジャズとロックのフュージョンであり、クロスオーバー。 てんで聴かなくなったフュージョンだけど、ときどきテレビやラジオで流れてきます。懐かしい。でも、再評価の兆しとかではなく、天気予報などのバックグランドミュージックとしてですけどね。 フュージョンという音楽は、商業的にはシングルカットでヒットを出すというビジネスモデルではなく、アルバムとライブ中心。だから、アルバムやライブの中休めの曲として、やさしい感じの爽やかな曲が1曲くらい

    天気予報で流れてくるあの曲 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ya--mada
    ya--mada 2009/03/21
    演奏してるとこはじめてみたワ。これほどプレイしているスタイルと楽曲の雰囲気がマッチしないのも面白い。リアルタイムで知っている人にとってはフュージョンてこういうもんなだろうな。曲は格好いい。
  • この人にはぜったい勝たれへん - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    そんなふうに思ったことが何度かあります。そんなに多くないけど。大学時代はジャズをやっていて、やっていくうちに、ああ、この分野、自分にはまったく才能がないな、と気づきました。そういうことに気づくには、けっこう練習を重ねて、それなりに個性的なバンドサウンドができてきて、聴く人が「君らのバンドは独特の音だね。いいよね。」なんてほめてくれるまでかかりましたけど。下手っぴのままでは、才能がないことさえわからないものです。不思議なもので。 でも、それは、この人にはぜったい勝たれへん、みたいなことではありませんでした。そんな気持ちにさせられたのは、仕事として広告の制作をしはじめてから。いちおう、これでもお金をもらって広告をつくらせてもらっていて、それなりの自信も自負もある、そんな感じの自分の中に、「ああ、この人にはぜったいに勝たれへんな」という気づきは、猛烈な痛みとなって入ってきます。 まあ、私なんかは

    この人にはぜったい勝たれへん - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ya--mada
    ya--mada 2009/01/23
    キャラの棲み分けってのも同じような理由で発生するのだと思います。/id:lameduck クリエイティブと職人仕事って違う部分があると思います。
  • ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね): 糸井重里さんの重さ

    コピーライターの時代がありました。言葉を武器に、ひたすら言葉が紡ぎ出す世界を付加価値にして、コピーライターという職業は時代の寵児になっていきました。いま思えば、それはバブルだったのかもしれません。その付加価値には、きっと広告が含まれていなかったのだと思います。小説家、詩人、作詞家、そして、コピーライター。言葉のプロフェッショナルを指向してはいても、それは広告のプロフェッショナルを指向してはいませんでした。 けれども、あの時代はそれでよかったのでしょう。それでもものが売れました。あの時代から少したって、つまり、バブルが崩壊する真っ最中に、私はコピーライターになりました。CIプランナーからの転身だったので、時代の寵児としてのコピーライターにはあまり興味はありませんでした。うまいコピーはうまいと思いますが、そこに憧れはなかったような気がします。 そんな中、これはまいったなと唸らせられたのは、糸井

    ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね): 糸井重里さんの重さ
    ya--mada
    ya--mada 2008/11/15
  • 広告代理店って、何を代理しているのだろう。(3) - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    新聞に始まり、ラジオ、テレビといったメディアに積極的にかかわってきた日の広告代理店は、その論理的帰結として、一業種一社制は採用しづらく、むしろ、特定業種に強いという構造を持ち、媒体コミッションを主たる収入源としてきました。いわゆる手数料ビジネスというビジネスモデルです。 一業種一社制を取らないことで起こる問題は、これまでは、思たる制作の舞台が企業宣伝部、制作会社、そして、フリークリエイターであったことで、あまり顕在化することはありませんでした。またここで重要なのは、それぞれの制作者は、企業と直接やりとりをしていました。つまり、戦略、企画、制作のプロセスが、広告代理店内部で重複しにくかったことを意味します。 これが、おおよそ1980年代までの現状だったのではないかと考えます。また、日経済の成長がその問題を隠していたのかもしれません。今までの展開については、(1)と(2)をご参照ください。

    広告代理店って、何を代理しているのだろう。(3) - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 広告の終わりのはじまり - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    マドラ出版の「広告批評」が来年の4月で休刊とのこと。30周年を期にしての決断だそうです。広告批評の公式ウェブサイト(参照)にお知らせがひっそりと掲載されています。テキストではなく、くせのある明朝体フォントで丁寧に組まれた文章をGIF画像にしたものであることが、なんとなく今の時代に対してのひとつのスタンスであり、ささやかな抵抗であるような気もします。ちょっと深読みに過ぎるかもしれませんが。 創刊した一九七九年と言えば、テレビCMを中心に、広告が大きな転換期を迎えた年です。マスメディアの中で巨大化していく広告を、暮らしの視点から、あるいは大衆文化の視点からどうとらえ、どうみんなの話題にしていくか。現代の「広告評判記」をどうつくっていくか。そんな思いで走りつづけた三〇年だったと感じています。 そしていま、広告はマスメディア一辺倒の時代からウェブとの連携時代へ、ふたたび大きな転換期を迎えています。

    広告の終わりのはじまり - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ya--mada
    ya--mada 2008/04/15
    あまりに感傷的過ぎて...、クルマ好きが車を売る以外の目的でもうクルマ雑誌を作れないね。って言っているのと同じかのように聞こえる。センチメンタリズムってのは仲間内以外にはあまり受けないもんだなぁ。
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