(「ツービートの再来」「たけしの再来」は)すごいキャッチフレーズですが、そう名付けることでプロダクションとして爆笑問題への期待を業界の方々に伝えやすくするためだったのでしょう。それも、ツービートが所属していた事務所だから言えたこと。関係のない事務所では付けられないキャッチフレーズでした。 太田も憧れのツービートやたけしさんの名前を引き合いに出されて嬉しそうでしたが、問題は彼がそれを本気にしてしまったこと。 爆笑問題はデビュー間もない89年の段階で引く手数多になっていました。今だから言えますが、テレビ各局では彼らを中心とした新番組が一斉に企画されていたんです。 ただ、あの頃の爆笑問題はトークで目立つというタイプではありませんでした。ネタを披露すると必ず高評価でしたが、トークになると他の芸人の後ろに隠れて引っ込んでしまう。番組の演出でこの弱点をどうカバーするかについて、事務所関係者から番組スタ
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