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2017年4月7日のブックマーク (2件)

  • 本質病またはレントゲン症候群 - 叙情と数理

    質病という非常に厄介な病気がある。 私は元患者であるが、いまだに後遺症が残っている。 ときおりぶり返す。 質病とは、物事を 「質的には結局……」 とか 「要約するとそれは……」 とか 何でもかんでも単純化するのが主症状である。 誰でも発症するが、学生時代に数学や物理や社会学と仲良しだった人が特に罹患率が高いとされている、根治の難しい病である。 罹患すると骨組みしか見えなくなるので「レントゲン症候群」とも言ってもよいだろう。 もちろんときには質を探ることが必要な場合もある。病的でない場合もある。 「旦那に飯が不味いと言われた。どうして私の作る料理はこんなにも不味いのかしら」 そういう場合は料理が不味い質を探ったほうがいい。いや、探るべきだ。 不味い味噌汁しか作れない人は、野菜炒めも作ってもどうせ不味い。魚なんか焼いた日にはとんでもないことになろう。 料理が不味いのは「料理のイロハ」

    本質病またはレントゲン症候群 - 叙情と数理
    yajamon
    yajamon 2017/04/07
    当人が楽しめないだけで済めば良いものを、楽しんでる者にダメージを与えだすのは本当に悪質 / "それでは人生が楽しめないのではないかなと思うからだ"
  • もしスマートフォンが自由だったら今頃実現していた社会

    CanonicalがUbuntuをスマートフォンに対応させることを諦めた。これで、スマートフォンにまともなOSを移植するという大きな資が入っているプロジェクトは、ほとんど全部潰れたことになる。これは当然の話だ。現在のスマートフォンのハードウェアは極めて不自由なので、まともなOSを移植することは不可能なのだ。このため、筆者はスマートフォンの所有を拒否している。 スマートフォンの害悪について詳しくは以下を参照。 の虫: インターネット端末のシェアでスマートフォンがPCを上回ったというディストピア しかしもし、スマートフォンが自由だったら、今頃どうなっていただろうか。以下はスマートフォンのハードウェアが完全に自由なコンピューターの将来実現したであろう未来である。 江添亮は13時に目が覚めた。今日は比較的早起きをした方である。江添は眠たい目をこすりながら枕元のスマートフォンを操作する。そう、な

    yajamon
    yajamon 2017/04/07
    スマートフォンのくだりを読むと自由であれば苦しまないというわけでは無さそうと感じる