http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%B7%A4%CA%A4%E2%A4%F3 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/ http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120411/1334125136 http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120411/1334125136
こんな記事があった。必要なら嫌われることでもやれるかどうかで運命が分岐する - fromdusktildawnの雑記帳ぼくの本がベストセラーになったことと、反比例的にはてなブックマークやツイッターで批判的なコメントが多いことについて論じられているのだが、これを書いたfromdusktildawn氏の論説には、毎度のことながら巧妙に詭弁が織り込まれている。今回もそうだ。それは、冒頭の一文に現れる。2000万人に嫌われ、200万人に熱烈に支持され、1億人に無視される本を書いたら、その作者はミリオンセラーの大ベストセラー作家になる。 あのぅ……さすがに2000万人に嫌われる人は200万人に熱烈に指示されたりしませんけど? 嫌う人が支持者の10倍もいて、まともな商活動などできるわけがありません。同数でも無理です。この数字は逆じゃないと。つまり――20万人に嫌われ、200万人に熱烈に支持され、1億人
来年(2011年4月入社)の新卒採用市場がいっそう厳しくなりそうという報道をよく見る。 これは、なかなかすばらしい事態であると思う。(注:ちきりんは“混乱 lover”である。) そもそも日本において就職状況が(新卒はもちろん中途の人たちもだが)厳しいのは、ちきりんも何度も書いているように、 ・この国において「仕事より人が多いから」なのであり、 ・「あなたの孫はインドか中国で生まれます」で書いたように、今後も日本には仕事は増えない。 なので、自己分析とか意味不明なことをしても何の役にもたたない。 経済産業省は“既得権益・強化戦略”とでも呼べそうな成長戦略を発表していたけれども、何をやろうと“日本という場所”が再度経済成長するなんてことは、もう起らないのだ。 来年は新卒の60%くらいしか就職できない可能性があるそうだが、これは本当にめでたい。しかもおそらく就職できるのは、偏差値の高い大学にい
みんな大好きプリントアウトの伝道師・id:xevraのブックマークコメントをみなさんも真似してみたいと思ったことは一度や二度じゃないでしょう。今日は簡単に、その基本的なパターンについて学習してみます。みなさん、プリンターの用意はいいですか?インクは十分残ってますか? 二段構成一部の例外を除いては,xevra氏のブックマークコメントは前段・後段の二段構成になっています。 基本的には前段で、 「○○はメンヘル」「良エントリ」などと記事に対する全体的な評価を端的に述べます。次に後段で、 「この記事をプリントアウトして病院へ行こう。きっと楽になるよ」「○○に国民はもっと怒るべき。」などと対策案を提示します。 決まり文句xevra氏のブックマークコメントでは、二段構成であることと同じくらい重要な、いくつかの決まり文句が存在します。列挙すると プリントアウト…誰もが知ってるxevra氏の伝家の宝刀。だ
テレビなどでも度々“恋愛に対して積極的になれない若者や“苦手意識を持った若者”に注目が集まり、「非モテ」「草食系」といった言葉が流行を見せる昨今、ネットからまた新たなブームを予感させる新語が誕生しました。それは「彼女いない歴=年齢」を表す「キリン」という言葉。一体なぜそれが“キリン”になるのか気になるところですが、その理由は見れば誰もが納得する内容になっています。 ▽彼女いない歴=年齢ってもうちょっと略せないの?:ハムスター速報 この言葉が生まれるきっかけとなったのは、「彼女いない歴=年齢ってもうちょっと略せないの?」というタイトルで立てられた、とある2ちゃんねるのスレッド。「フリー歴」「負け犬人生」「彼女いないねん」といった様々なアイデアが集まる中、あるユーザーからこんな書き込みが寄せられます。 彼女いない歴=年齢 Kanojo Inai Reki Iko-ru Nenrei KIRI
どうしようどうしよう、年を越せるかななんて不安な気持ちでいっぱいなのに、ネットカフェで増田を見ていて、えっと思った。 人材派遣とか、雇用とか、不況とか、解雇とか、そういうワードには、前からびくびくしていて、目にするたびにそういうエントリーを見ていたわけ。それで、腐った経営者のやつらとか、なんとかなんねえかな、なんで俺らみたいなのばかりこんなつらい重い、苦労、そんなのしなけりゃならないのかな、って思ってた。 でも、金はどんどん金がないっていうことが気分を暗くするし、実家に帰っても親がイライラしてるし、やだな、とか、もう、何年も、そんなことばっかり思ってたけど、でも、そういうとき、はてなの中でも、そういう社会問題を議論している人たちがいて、ああ、この人たちは、俺たちが抱えている問題について、真剣に、考えてくれているんだなあって思ってた。そう思うと、ちょっと救われるというか、俺はひとりぼっちじゃ
最初からおかしいと思ったんだと思ったときにはたいてい手遅れなんだと思ったのは目的地に向かう車でハンドルを握りアクセルを踏み込んでいるときだったりするから人生ってやり切れないと思う。数日前。「金曜の仕事がはやく終わったら林檎狩りへ行くぞ」と部長が言った。金曜は出張。部長の旧知の取引先と打ち合わせだ。同行する理由を尋ねると、部長は「本物の営業って奴を見せてやる。お前は何もせず見ているだけでいい…」と言った。僕行く必要ないじゃん。カタカナだけでなく他人の顔色も読めない部長は「それよりも交通費がかかりすぎている。無駄はビシビシ、カットしていくぞ俺は現代のケイロオス・ゴーンだ…」と続けた。いや。だからさ。僕の出張、完璧に無駄なんだけど…という感じで五里霧中な出張が決まった。 「うおおお!」関越道を時速100キロで走る助手席で部長が叫んだ。「どうしたんですか?」「見ろ俺のケータイの電池がないぞ」「運転
部長の頭のなかには花が咲いている!部長の頭皮で白くチラチラと輝いていた光の粒は会社の女の子のシカメ面を誘発するフケではなく白い花びら。部長の頭のなかで白い花は咲き誇っていて、時おり、迷子になった花びらが頭皮から湧き出てきているのだ。白いお花畑はタンポポだろうか、水仙だろうか。 なぜみんな気付かないのだろう?夏の初め、「侵入禁止の標識があってもバックで乗り入れれば違反にならない」と強固で、間違った信念に基づいた部長が、バックオ〜ラ〜イって一歩通行の道をバック走行で逆走して、その信念に殉じ、警察に切符を切られて帰ってきて「あの警官は新人で交通ルールがわかってない…あの青二才が生まれる前から俺は道を歩いているんだ…」と呟いているのをみて、僕は部長の頭のなかのお花畑に気がついた。 今朝だって昨夜のパチンコで勝った喜びを部長は爆発させて「CR及川奈央のフルーツスキャンダルで勝った。今日も及川奈央で勝
パンドラの箱を開けよう。最近のペッパーランチに代表されるハンバーグ店でのO-157の発祥は単なる食中毒ではない。これは完全に食肉産業の構造的な病いだ。はっきと言おう。生焼けの肉にOー157が混入しているという事実が示すのは、その肉に牛の糞が混じっているということだ。多くの人は文字通り「焼け糞の混じった肉」を食わされている。(もちろん、混じっている糞はほんの微量だから誰も気がつきはしない。そして不幸なことに生焼けの糞肉を喰わされた人々が発症している)これは紛れも無い事実だ。この問題を知ったのは、エリック・シュローサーがマクドナルドについて徹底的に調査して書いた、「ファーストフードが世界を食いつくす」(日本版の出版は2001年8月)という本のおかげだ。この本読み終わって、ゾっとした。いや、本当に、マジかよ。悪夢だ。もう二度とマクドナルドやチェーン店のハンバーガーやハンバーグ、牛丼、スタ丼、焼肉
お見合いによるストレスで目のまわりに湿疹が出来てしまった。湿疹パンダになり下がった僕を心配したシノさんが「いい化粧水がありますうー持ってきますうー」って平野綾の声マネで叫んだので月曜の夕方に会う約束をした。シノさんは僕のお見合い相手だ。戦国時代が好き(西軍派)で趣味はコスプレとドール、カレー嫌いの25歳推定Eカップのスザンヌ似、コードネームはノッピー☆。 「オヤカタサマー!これが約束していたものですう〜」「あ〜なんか悪いっすね…今日仕事じゃないの?」。シノさんは頭に大きなリボンを付けて腰の鞄はウサギ型。抱えた楽器ケースにはドールが入っているのだろう。「仕事ですうー」「えー!その格好で?」「わたしが何の仕事をしているか興味あるみたいですねえ」「正直ありません。会話の流れとノリでえー!って叫ぶのが僕の癖なんです」 「オヤカタサマ…」「なんでしょう」「顔がボロボロでまるで…」「なんすか?」「大谷
昨日のつづき。 ロックじゃない。シノさんのお母さんを迎えに行く車中、後部座席でカップ酒を飲みながら僕は呟いていた。「こんなのはロックじゃない」。ロックンローラーとお見合いは相性が最悪だ。ビートルズはお見合いをした結果、メンバー間に修復不能の亀裂が走った。シドはお見合い相手のナンシーと破滅した。お見合いをしたブライアンは60年代にプールで浮き、お見合い写真が下唇ベロンだったせいで相手が見つからなかったミックは21世紀も飛び跳ねている。ジミヘンがウッドストックでお見合い写真を燃やしている映像は有名だ。 暗い歴史を振り返ってまた呟く。こんなのはロックじゃない。ロッ、クゥ、じゃじゃ、なない。うわ、舌咬んだ。シノさんポンピングブレーキやめてー。赤信号、減速のたびにブレーキを連打。激しく揺れながら走るNISSANティーダ。胃の底から湧き起こる吐き気は安酒の香り。ロックイズデッド。 シノさんは僕のお見合
何かおかしい、何となくそんな気がした。そのとき、徹夜明けの僕は、お見合いを忘れるように足を運んだ、「おはようございますプロデューサー!」なーんてカワイイ女の子がしなしな挨拶してくれる《アイドル育成カフェ》について考えていた。ポイントが貯まると記念撮影やら何やら楽しいことができるシステムの《アイドル育成カフェ》に行ってしまったら、「誰だってエビちゃんになれる」的特集が毎号掲載されている小悪魔アゲハを読み、経典の如く崇め、個性も何もなくなってしまったキャバクラなんて過去の遺物、「諸君らが愛してくれたキャバクラは死んだ。なぜだ!?」「アフター出来ないからさ」。 ついでにお見合いも死ねばいいのになんて。諸君らが企ててくれたお見合いは死んだ。なぜだ!?インポだからさ、つって。わあ今度はどのアイドル候補生を応援しよーなんて考えていると、なんとなーくそろそろノッピー☆が騒ぎ出すような気がした。ノッピー☆
1. このところ、ネット上で、在特会への抗議デモにおける一部参加者の、「反日上等」というプラカードが論議を呼んでいる。こうした行動は、生命すら脅かされている外国人やその支持者にとっては、迷惑極まりないものだ、というのだ。 ネット(特に「はてな」)界隈の議論にはあまり関わらないことにしているのだが、この議論は大規模かつさすがに酷いと思っていたので、近々まとまったものを書こうと思っていた。だが、この件について論じようとすると、ものすごく基本的なところから説明しなければならないので、面倒でかまけてしまっていた。 ところが、そのあたりも説明してくれている、大変よい文章が現れたので、私が長々と書く必要もなくなったようである。深海魚さんというブロガーの方のものだ。 http://sillyfish.blog2.fc2.com/blog-entry-723.html 基本的なことは、上の文章でほぼ言い尽
僕の日曜日は不幸のメールで終わる。今週は「小栗旬の石田三成は今週もチャラチャラしていて全然ダメですうーウケにもタチにもなれないハンパ者ですうー ノッピー☆」。ノッピー☆は先日お見合いしたシノさんのコスプレ時の名前だ。彼女はスザンヌ似の25歳、戦国時代好き西軍派、趣味コスプレ。毎晩十時の無差別中傷メールは酷くなる一方で、小栗旬バッシングが内容のほとんどを占める大河ドラマ「天地人」感想に加えて「戦国BASARA」「メイちゃんの執事」「仮面ライダーなんとか」「黒執事」「ハルヒ」の感想が送られてくるようになった。 そのうえ、母親からは「この縁談がまとまらなかったらもう終わりだと思え。身の程知らずのインポ息子。あんたの定額給付金は牛角で使わせてもらったから」という意味内容の話を、生命保険受取人の確認と共にされ、シノさんの母親からは「早く我が家に遊びに来てねムコ殿オホホ。ウチの娘を傷モノにしてただで済
ぼくは今日はてな東京本社にお邪魔してこの前みたいにまた川崎さんとお話しさせて頂いた。何を話したかというと、それはもう色々話した。今日は結局ぼくが喋ってる時間の方が長かった。そこでぼくは今ぼくが思ってることを忌憚なく申し上げた。腹蔵なく、率直に申し上げた。すると川崎さんも、それを聞いてくれた。また川崎さんも話してくれた。川崎さんも、今思っていることを忌憚なく、腹蔵なく、率直に話してくれた。 それで結局ぼくは川崎さんから聞いた話をブログに書いていいかどうかの了解を得ることを忘れたので、ここにはぼくが言ったことしか書けない。書けないが、ぼくが言ったことをここに責任を持って書こうと思う。それはある一つのことについてだ。ぼくは川崎さんとの2時間にも及ぶ話し合いの中でもそのことを申し上げたし、その後はてなの東京本社にお勤めの皆さんを前にお話しさせて頂く機会もあったので、そこでも一言申し上げた。あるいは
母の教え梅田望夫さんのインタビュー記事を読んだ。日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) (1/3) - ITmedia Newsこれを読んで思ったのは、「なぜはてなはぼくに話しを聞きにこないのか?」ということだ。 なぜはてなはぼくに話しを聞きにこないのか? それがぼくには分からない。本当に、普通に話しを聞きにきても良さそうなものだと思う。むしろ、話を聞きにくるのが自然だと思う。それが、こうまで話しを聞きにこないと、ぼくははてなのことを疑ってしまう。ぼくははてなを、「本当に真面目にビジネスをする気があるのか?」と疑ってしまう。「企業として、顧客のニーズに応えようという気があるのか?」と疑ってしまう。「組織として、社会に貢献しようという気があるのか?」と疑ってしまう。もし、今はてなが株を公開しても、ぼくは買おうとは思わない。確実に値上がりが見込めるような状況でも、やっぱり要らない。
インポを告白して断ったはずのお見合い相手とは泥沼、インポはコンティニュー、相手の母親から「婿殿の茶碗も用意してありますよオホホ」「初孫は男の子がいいわウフフ」、実の母親から「もうあんたに先はないんだからさっさと決めちゃいなさい、このインポ息子!」などと心ない言葉を連日頂戴するような四面楚歌で、普段は大海原のように穏やかな僕の精神も降参し荒んでいた。この週末は自分を見つめ直し心の平穏を取り戻そうと、酒を飲み飲み木材から仏像を削りだし、仏画を描いていた。不安が襲ってくるとドアを開け「くわっ」と目を見開き酒の肴のピーナッツを「鬼は外、福はうち」と一心不乱に虚空へ投げつけて平静を取り戻した。 そんな静かな時間は一通のメールによっていとも容易く破られてしまう。ジーザスクライスト!サノバビッチ!土足でお庭に入ってこないで。お花畑を踏み荒らさないで。「ヤフオクで武器が売れたので焼肉を食べるのですうー ノ
ふとした縁があって、「ゼロの使い魔」という小説を読んだ。 「ゼロの使い魔」はライトノベルだ。ぼくはライトノベルのことについてそれほど詳しくないのだが、この「ゼロの使い魔」はすごく正統的なライトノベルだと思った。非常にオーセンティックな、ライトノベルの鑑のような作品だと思った。その通り、この作品はとても人気があるようで、物語はシリーズ化され、2004年の第1巻刊行以来、すでに13巻が出されている。また、アニメやコミック、ゲームになるなど、他メディアへも大きな広がりを見せている。ぼくが読んだのは、そのムーブメントの端緒となった、2004年に刊行された第1巻だ。これを読んで、ぼくは色々な感想を抱いた。また、この作品を通して、「ライトノベル」というジャンルそのものにも、ある感慨を抱いた。そこでここでは、そんな「ゼロの使い魔」を読んで思ったことや、それを通して抱いたライトノベルというジャンルについて
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