米内 光政(よない みつまさ、旧字体:米內 光政、1880年〈明治13年〉3月2日 - 1948年〈昭和23年〉4月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。海兵29期・海大12期。最終階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。 連合艦隊司令長官(第23代)、海軍大臣(第19・24代)、内閣総理大臣(第37代)を歴任した。 生涯[編集] 出生から海軍兵学校時代[編集] 1880年(明治13年)、岩手県南岩手郡三割村(現:盛岡市)に旧盛岡藩士・米内受政の長男として誕生する[1][2]。 1886年(明治19年)、鍛冶町尋常小学校に入学[3]。1890年(明治23年)、盛岡高等小学校に入学[4]。1894年(明治27年)、岩手県尋常中学校に入学[5]。1898年(明治31年)、海軍兵学校29期に入校[6]。同期生には高橋三吉、藤田尚徳、佐久間勉、八角三郎(中学も同期)らがいる[7]。