共立女子大学教授 阿部恒久 江戸時代の中期が始まった頃の寛文元年、西暦1670年に、幕府は「大ひげ」を禁止する通達を出しました。すでに幕府の政治は「武断政治」から儒学を利用した「文治政治」に転換し始めていました。天下泰平の世に、戦国時代のような、いかめしいヒゲは好ましくない、と考えたのでしょう。こうした事情により、元禄時代の少し前から、武士の間ではヒゲを生やさなくなりました。 文明開化を推進した政府の官吏や、学校の教師、軍人など、地位の高い人は、ほとんどが立派なヒゲを生やしました。この傾向を決定的にしたのは明治天皇でした。天皇は明治6年に断髪し、軍服姿の写真を撮っていますが、そこにはクチビケも蓄えられています。 とはいえ、ビゴーの素描画や雑誌の『風俗画報』などを調べてみますと、洋服を着た者であっても、新米の巡査や兵士、郵便配達人などの労働者にはヒゲがありません。彼らにはヒゲがあってはな