ホーム | 連載 | 2016年 | 軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史 | 軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史=第1回=明治3年頃に上陸、全伯公演? ブラジルの竹沢万次と同時期、日本に有名な竹沢万“治”がいた。1868年5月の興行時、竹澤萬治の曲独楽の絵ビラ(見世物興行年表サイトより。≪木版墨摺・芳春画・本清板≫(大阪府中之島図書館蔵/「摂陽観場画譜」五十九) 国交を開いた「日伯通商修好航海条約」(1895年)が調印される遥か前から、ブラジルに住んでいた日本人が何人かいた。いわゆる「農業移民」ではない。当地初とおぼしき「日本人自由渡航者」に軽業師「竹沢万次」がいる。なんと1870年頃に自らサーカス一座を率いて、リオからアマゾナスや南大河州、さらに南のウルグアイやアルゼンチンまで巡業して歩いたと言われる。当時、日本には本当に竹沢万“治”という有名な曲コマ師が
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