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2016年2月24日のブックマーク (4件)

  • 軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史=第1回=明治3年頃に上陸、全伯公演? – ブラジル知るならニッケイ新聞WEB

    ホーム | 連載 | 2016年 | 軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史 | 軽業師竹沢万次の謎を追う=サーカスに見る日伯交流史=第1回=明治3年頃に上陸、全伯公演? ブラジルの竹沢万次と同時期、日に有名な竹沢万“治”がいた。1868年5月の興行時、竹澤萬治の曲独楽の絵ビラ(見世物興行年表サイトより。≪木版墨摺・芳春画・清板≫(大阪府中之島図書館蔵/「摂陽観場画譜」五十九) 国交を開いた「日伯通商修好航海条約」(1895年)が調印される遥か前から、ブラジルに住んでいた日人が何人かいた。いわゆる「農業移民」ではない。当地初とおぼしき「日人自由渡航者」に軽業師「竹沢万次」がいる。なんと1870年頃に自らサーカス一座を率いて、リオからアマゾナスや南大河州、さらに南のウルグアイやアルゼンチンまで巡業して歩いたと言われる。当時、日には当に竹沢万“治”という有名な曲コマ師が

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    yajifun
    yajifun 2016/02/24
  • 進まぬ理解...危機感 ソウルの復興PRイベント、抗議受け中止:福島民友ニュース:福島民友新聞社 みんゆうNet

    yajifun
    yajifun 2016/02/24
    “若松副大臣は「会場には3人の抗議の人の姿があったと聞いた。1人は白い防護服姿だったらしい」と現地の状況を語った。”
  • 福島第一原発の歩き方

    今年3月で事故から丸5年を迎える東京電力福島第一原子力発電所。あまり知られていないが、土木や建築の作業員を中心に毎日7000人弱が働く巨大現場だ。 日経コンストラクション2016年2月22日号の特集「7000人の戦線、福島第一原発」では、未曽有の事故の収束に向けて進む凍土遮水壁や燃料取り出し用カバーの工事についてリポートした。稿では、誌面に掲載しきれなかった写真やこぼれ話を盛り込みながら、工事の状況をお伝えする。特集記事と併せてお読み頂きたい。 筆者は1月27日、日記者クラブ取材団の一員として福島第一原発に向かった。発電所の正門付近にある入退域管理棟の下駄箱には、見知った企業名がずらり。鹿島に大成建設、清水建設、前田建設工業――。東京電力から工事などを受注している企業は、元請けだけで42社(メーカーを含む)に上るのだ。 入退域管理棟と隣り合う大型休憩所の7階からは、発電所の敷地が一望で

    福島第一原発の歩き方
  • 【メモ】鼠小僧の自白: WonderLand

    天保三年(1832年)の5月、松平宮内少輔の屋敷に盗みに入ったところを捕らえられ、町奉行所に引き渡された次郎吉は、やたらと記憶力がすぐれていました。 「武鑑」で薄れた部分を補いながら、十年前に遡り、忍び込んだ屋敷や盗んだ金額をわりと詳しくすべて白状しました。 ご存知、義賊の伝承や大仏次郎の小説で知られている、鼠小僧です。 この詳細な自白は、被害に遭った大名旗屋敷側にとっては、はなはだ迷惑だったようです。なかには、金子の紛失により女中が疑われて、「それとなく御暇」になったケースもあったそうです。しかし、事実を隠し続けても、町奉行所は承知してくれそうになかったので、最終的に各屋敷は概ね再調査で判明した事実を報告したそうです。 江戸の主だった大名屋敷が、長年渡ってひとりの小柄の男に容易く度々侵入され、多いときは四百数十両もの大金を盗まれたというから、屋敷側の威厳も武士の面目もまるつぶれです。