1970年から80年代にかけて、テレビ界に旋風を巻き起こした萩本欽一さん。当時、萩本さんが持っていたレギュラー番組は1週間で3本。その3番組の視聴率をあわせると、なんと驚異の100%にも達していたのです。 まさに萩本さんは、昭和の視聴率王の名を欲しいままにしていました。そして、関根勤さん、小堺一機さんをはじめ、現在も第一線で活躍する「欽ちゃんファミリー」と呼ばれる多くのスターを輩出させます。彼には、一体どんな成功の手腕があったのでしょう。当時の彼を知る人々は口を揃えて「運を操れる人」と言います。それは、一体…? 番組の成功の鍵を握る出演者を決めるオーディション。萩本さんにとって、オーディションでの実力など二の次、全て「運次第」だったといいます。のちに最高視聴率38.8%を叩き出すこととなる伝説の番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」。そのオーディションで、萩本さんはまず、「イモ欽トリオ」の「