今年11月始め、『廃線隧道のホームページ』を運営される“しろ氏”より、興味深い情報のご教示を頂いた。 「みやま書房」が昭和43年に発行した『三国街道』なる本のなかに、群馬県北部の「切ヶ久保峠」というところに、明治7年に隧道が掘られたという記述があるというのだ。そして、現在はそこに車道らしいものはないという。 明らかに“明治廃隧道”を匂わせる情報。しかし、遠方のため自身では容易に調査できないということで、私にその貴重な情報を教えてくれたようだった。 自身にとっても初耳である切ヶ久保峠。そして隧道。 まずは国土地理院のサイトへ行き、地形図にその名を探した。 【マピオンで位置を確認】 最新の地形図にも、切ヶ久保峠の名前ははっきりと記されていた。 現在の地名で言うと群馬県利根郡みなかみ町の布施(ふせ)地区の南方で、この峠を挟んで吾妻郡高山村中山地区に接している。 図中の切ヶ久保峠は、峠の南側に道が