その存在は、とことん不幸で、不運だった。 関わった人々を終始振り回し続け、時に禍さえもたらした。 まるで、地上に存在を許されぬ、呪われた宿命がそこにあるかのようだった。 戦時中のごく短期間、最果ての津軽半島の山中に存在“しようとした”一本の隧道は、まさにそのような存在だった。 その名は、七影隧道。 小泊磯松連絡林道(以下「連絡林道」と略)は津軽森林鉄道網の一部をなすもので、路盤には軌道が敷かれ、木材貨車を連ねたトロッコが運行していた。 おなじみ『全国森林鉄道 JTBキャンブックス』巻末資料によれば、昭和17年竣功、昭和46年廃止とある。 津軽半島の西にぴょんと突き出した小泊半島の基部を峰越で結ぶ、林鉄としては珍しいタイプの路線だ。 そして、標題の七影隧道は、この峠越えの区間に建設された。 しかし、結局供用の日は見なかった。 七影隧道について語る資料はきわめて少ない。 津軽森林鉄道と言えば、