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トリ氏と2006に関するyamaigaのブックマーク (5)

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 七影隧道 

    その存在は、とことん不幸で、不運だった。 関わった人々を終始振り回し続け、時に禍さえもたらした。 まるで、地上に存在を許されぬ、呪われた宿命がそこにあるかのようだった。 戦時中のごく短期間、最果ての津軽半島の山中に存在“しようとした”一の隧道は、まさにそのような存在だった。 その名は、七影隧道。 小泊磯松連絡林道(以下「連絡林道」と略)は津軽森林鉄道網の一部をなすもので、路盤には軌道が敷かれ、木材貨車を連ねたトロッコが運行していた。 おなじみ『全国森林鉄道 JTBキャンブックス』巻末資料によれば、昭和17年竣功、昭和46年廃止とある。 津軽半島の西にぴょんと突き出した小泊半島の基部を峰越で結ぶ、林鉄としては珍しいタイプの路線だ。 そして、標題の七影隧道は、この峠越えの区間に建設された。 しかし、結局供用の日は見なかった。 七影隧道について語る資料はきわめて少ない。 津軽森林鉄道と言えば、

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 仙台市愛宕山の謎の穴

    人工120万を擁し、東北唯一の大都市といわれる仙台。 この都心である仙台駅からわずか1kmという地点に、「謎の穴あり」 という情報が飛び込んできた。 流石に人口綢密の地だけあって、この穴に関する目撃証言をネット上でいくつか拾うことが出来た。 しかしそれらはみな心霊スポットとしての情報ばかりであった。 それら“心霊情報”が語るところによれば、穴の正体は 1.戦時中の高射砲の基地 2.亜炭鉱山 3.藩政時代の抜け穴 4.防空壕   …etc など、多彩である。 また、それら情報の出所を踏まえれば当然とはいえ、一様に目撃者たちは「気持ち悪かった」「なにかいる」などと評しており、おそらくは都市のエアポケット的な地底空間なのだろうと思われた。 ただし、それらの情報は最新のものでも2003年頃までで、都市の中心部という立地を考えれば、現在も口をあけたままに放置されているとは考えにくいのではないか。 し

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 西沢森林軌道 

    まだ私が秋田県に住んでいた2006年の8月。 当時、東京への移住は構想段階に過ぎなかったが、縁あって西沢林鉄の深部を探索している。 今回は、だいぶ前の話になってしまったが、これをレポートしようと思う。 私にとって、東北以外で探索した、最初の森林鉄道である。 山梨・長野・埼玉の3県が山頂で交差する甲武信ヶ岳(標高2475m)と、信玄の隠し金山伝説の残る黒金山(標高2231m)に挟まれた西沢渓谷に沿って、この西沢森林軌道(以下「西沢林鉄」と略)は幅762mm、線延長14.5kmの軌道を有していた。 線の起点側(上部)は薊(あざみ)沢線など2の支線に繋がり、終点(下部)の旧三富村(山梨市)広瀬では三塩森林軌道(以下「三塩林鉄」と略)と接続していた。この三塩林鉄はガソリンカーが運行された高規格なもので、「森林鉄道」といって差し支えのない規模であったが、西沢森林軌道や支線では廃止まで馬力を用い

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 小泊海岸森林鉄道

    青森県の片翼たる津軽半島を縦横に駆け巡っていた津軽森林鉄道は、北日最大の森林鉄道網である。 明治末から昭和40年代までに及ぶ同線の歴史は、豊富な森林資源を山奧に追い求めての延伸の歴史でもあり、末期には半島北端の竜飛(たっぴ)岬のすぐ南沢筋まで伸びていた。 県都である青森と津軽半島の北端とが、762mm幅という狭いレールで延々と結ばれていたのは驚きでさえある。現在車でも3時間近く掛かる距離だ。 この、津軽森林鉄道の路線網としてはもっとも北端に位置したのが、今回紹介する小泊海岸林道(以下、当レポートでは正式名である“林道”で呼称するが、内容は森林鉄道である)と、その末端の支線・片刈石沢林道である。 そして、この小泊海岸林道はおそらく全国でもただ一だけの「海岸林鉄」である。 来林鉄は、人手だけで木を運び出せないような山奧へ線路を延ばすものと相場が決まっているが、失礼ながら辺境のこの地におい

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道46号旧旧道 仙岩峠(秋田側) 第一回

    私にとって、格的な廃道デビューの地「仙岩峠」。 秋田岩手両県にとって最も重要な交通路であるこの峠の一帯には、戦国時代よりも昔から道が存在していた。 だが、秋田県仙北郡と岩手県岩手郡の頭文字を取って名付けられたのは明治8年のことで、それまでは国見峠と呼ばれていた。 我々オブローダーにとっての仙岩峠と言えば、昭和52年に「旧道」となり、そのまま廃道化した旧国道が有名であるが、それ以前にも車道があったことは殆ど知られていない。 それこそが、明治8年に秋田・岩手両県合同で整備を開始した、初代・仙岩峠である。 もっとも、この時の道は車道と言っても馬車がようやく通れる程度の内容で、しかも秋田県側の整備は明治末まで遅れたという。 また、自動車の台頭にあってはもなすすべもなく、結局昭和37年に先の“旧国道”が完成するまで、殆ど地図上だけの道であったと記録されている。 私がこの仙岩峠“明治道”に着目したの

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