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国道49号に関するyamaigaのブックマーク (3)

  • 【山さ行がねが】ミニレポート第165回 国道49号旧道 旧旧藤橋

    【所在地(マピオン)】 国道49号を会津若松から西へ向かうと、会津平野を離れる直前に、只見(ただみ)川の太い流れを一度横断する。 その先は、新潟平野に出るまで続く広大な山岳地帯であり、旅人は渡河の前にある七折(ななおり)峠と渡河後に現れる藤(ふじ)峠とを自然に見較べ、山国へ踏み込んだ実感を得るのである。 この渡河地点の東を坂(会津坂下町)、西を藤(柳津町)といい、明治初期の三島通庸県令時代、「会津三方道路」建設の一環として初めて架橋され、藤橋と呼ばれるようになった。 以来ずっと、会津と新潟を結ぶ第一路線である越後街道(会津街道)は、この地を通い続けている。 「柳津町史」によると、橋は水量豊富な只見川を渡る都合上、かつて頻繁に流出・架け替えを繰りかえしており、現在架かっている藤大橋(昭和58年完成)は、少なくとも9代目の橋であるという。(初代橋は現在の橋の旧旧旧旧旧旧旧旧橋ということに

    yamaiga
    yamaiga 2011/09/02
    <ミニレポ-165>130年間で8度架け替えられた橋
  • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道49号 本尊岩隧道

    国道49号は太平洋岸のいわき市と日海沿岸の新潟市とを結ぶ全長250km近い国道である。 都会化の進む起終点の両市をはじめ、その沿線にも福島県の中心的都市である郡山市や、会津地方の中心地会津若松市などを擁し、並行して磐越自動車道が通うなど、南東北を代表する列島横断国道と言えるだろう。 だが、この道が一応の近代的な交通路としての面目を得たのは比較的近年であり、昭和39年の一級国道昇格を機に各地で一時改良工事が進められてからのことである。 それ以前は二級国道115号平新潟線と呼ばれており、明治15年頃に二代福島県令三島通庸が拓いた「会津三方道路」(会津若松から栃木、山形、新潟へとそれぞれ繋がる新道整備や道路改良)の名残を残す、殆どが砂利道以下という難路であった。 そのなかでも最大の難所だったのが、昭和39年に現在の隧道が掘られるまで、三島時代の隧道をそのまま使っていた尊岩(ほんぞんいわ)であ

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道49号旧道 藤峠  

    一般国道49号は、とにかく峠の多い道である。 太平洋岸と日海岸を結ぶ“列島横断の道”だけに、さもありなんとも思うが、しかし脊梁越えを意識させられるほどの大きな峠はない。 あるのは、麓との比高がせいぜい200m程度の、まあまあ穏やかな峠の数々である。 その長い道程のうちでも特に、会津盆地の中心地である会津若松市から西へ新潟県の津川町までの区間は、峠が多く連なる区間である。 県境をなす鳥井峠を中心に、車峠や惣座峠、少し離れて藤峠や七折峠がある。 道は、大河である阿賀川(新潟県内では阿賀野川)に概ね平行するのだが、その両岸は切り立った山地が多く、車道であるべき現在の国道は、敢えて小さな峠を連ねる道を選んでいる。 江戸時代までは、この川が交易の主役であったが、今ではこの完全に舗装された国道と、さらに新しい高速道路とが、その多くを担っている。鉄道全盛の時代も、既に過去のものだ。 今回紹介する藤峠は

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