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2011年9月2日のブックマーク (32件)

  • 【山さ行がねが】ミニレポート第167回 山形県道252号木地山九野本線 長井ダム付替道路

    2011/7/19 5:25 【周辺図(マピオン)】 直近では去年(平成22年)の10月にも訪問(【レポート】)した「長井ダム」に、今年7月再々訪してきた。 前回はちょうどダムが完成したあとの試験湛水中だったが、今ならもう通常運用に入っているはず。 大勢の工事関係者がいて近付くことが出来なかった「水没旧道」を、あわよくば探索したい。 そんな下心目的を持って、夜明けと共にやってきたわけだが… 果して 肝心の水位は、 どうだったかというと……。 ↓↓↓ ほぼ満水! コナ――イ!! これは、ぜんぜん来ないな。 残念ながら。 これでは、味も素っ気もないただのダム湖ですよね…。 ちなみに、この写真の橋は竜神大橋である。 竜神大橋からは、以前ならば“さまざまなモノ”が見えたのだが…。 【下流(ダムサイト)方向の眺め】 汀線の3mほど上まで緑の木々が茂っているから、現状はほぼ満水位である。 雨が降って

    yamaiga
    yamaiga 2011/09/02
    <ミニレポ-167>謎が謎を呼ぶ、広すぎる路肩の正体は?
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第166回 細田手押軌道

    人口30万を誇る東北日海の主要都市、秋田市。 その閑静な住宅地の一角に、「軌道」が存在している。 そんな情報を得た私は、迷わず現地へ向かった。 そして遭遇した!! 明治から昭和中期まで長きにわたり、各地の街角から、遠い山の奥地まで、 色々な場所に敷かれ、慎ましやかにこの国の成長を支えていた、 鉄道全ての原点を感じさせずにおかない、素朴な音と、力強い手触り…。 そこにあったのは、生きている、手押し軌道の姿だった。 動画: シーン1 【遭遇】 2011/6/29 9:47 当サイトお馴染みのミリンダ細田氏の自宅に、軌道が敷設されてる?! しかも、軽快な音を立てながら、目の前で動いている! “朝のゴミ出し輸送”を行っている!! これは、紛れもない現役の軌道だ! 所有者である細田オーナーによれば、軌道は貨物用とのことであるが、 今回特別に許可をいただいての試乗が実現した。 運転士(“車夫”?)

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    yamaiga 2011/09/02
    <ミニレポ-166>現役稼働中の手押し軌道を大発見!
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第165回 国道49号旧道 旧旧藤橋

    【所在地(マピオン)】 国道49号を会津若松から西へ向かうと、会津平野を離れる直前に、只見(ただみ)川の太い流れを一度横断する。 その先は、新潟平野に出るまで続く広大な山岳地帯であり、旅人は渡河の前にある七折(ななおり)峠と渡河後に現れる藤(ふじ)峠とを自然に見較べ、山国へ踏み込んだ実感を得るのである。 この渡河地点の東を坂(会津坂下町)、西を藤(柳津町)といい、明治初期の三島通庸県令時代、「会津三方道路」建設の一環として初めて架橋され、藤橋と呼ばれるようになった。 以来ずっと、会津と新潟を結ぶ第一路線である越後街道(会津街道)は、この地を通い続けている。 「柳津町史」によると、橋は水量豊富な只見川を渡る都合上、かつて頻繁に流出・架け替えを繰りかえしており、現在架かっている藤大橋(昭和58年完成)は、少なくとも9代目の橋であるという。(初代橋は現在の橋の旧旧旧旧旧旧旧旧橋ということに

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    yamaiga 2011/09/02
    <ミニレポ-165>130年間で8度架け替えられた橋
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第164回 会津坂下の桜橋

    【所在地(マピオン)】 会津坂下(あいづばんげ)町の洲走(すばしり)地区にに洲走温泉と言うのがありまして、その近くに山肌にに突っ込むかのような橋があります。この橋は、新道の計画で建設された物らしいのですが、新道は別なルートを通りこの橋はまったく役に立たなくなっております。比較的良い橋です。税金の無駄遣いにも思います(^^;) probowlerさま(正式なHNがございましたらご連絡ください)による提供情報 上記の情報をもとに現地へ行ってみたところ、期待に恥じぬ、寂しい景色がが待っていた。 ↓↓↓ 2008/6/1 19:19 《現在地》 ぐにゃ~~ ってカンジだ。 情報提供者によると、この道は建設の途中でコストが掛かる山越えを断念し、川沿いへルートを変更したとのこと。 それが地図には描かれていない、右へ折れている線形らしい。 そして、計画変更前に建設されていた末端部は、未成道のまま放置さ

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    yamaiga 2011/09/02
    <ミニレポ-164>子どもたちの思い出とともにねむる橋。
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第163回 新潟県道23号柏崎高浜堀之内線 竜光未成区

    2011/5/15 18:05 《現在地》 十二平は、県道23号沿いにある集落の中で唯一小千谷市に属する、芋川谷底の小集落である。 地元では「じょんでぇら」と訛って発音するらしく、わざわざそれだけを刻んだ石碑が立っていた。 この石碑が立っている場所もそうだが、集落内には空き地が妙に目立つ。 単なる過疎の風景とも思ったが、どうやら先の中越地震で大きな被害を受けたことも関係しているようだった。 右の碑の他に「中越大震災之碑」というものがあり、そこには地震に伴う土砂崩れで集落が完全に孤立し、住民がヘリで救出されたということが書かれてあった。 商店はおろか自動販売機さえ見あたらない十二平集落を過ぎると、すぐに1のトンネルが現れた。 そしてその右の道はいかにも旧道らしいが、地形図だと、途中までしか描かれていない。 あまり時間がないの迷ったのだが、とりあえず入口の状態は悪くなかったので、旧道に入って

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    yamaiga 2011/09/02
    <ミニレポ-163>地図上の気になる“ひげ”を探る。
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第162回 新潟県道477号荒谷竜光線 荒谷狭区

    新潟県道477号荒谷竜光線は、長岡市川口荒谷(旧北魚沼郡川口町)と魚沼市竜光(旧北魚沼郡堀之内町)を結ぶ全長約9kmの一般県道である。 この路線の沿道には起点の荒谷と中間地点の木沢(旧川口町)および終点の竜光を除いて集落はなく、標高100~350m程度の丘陵地帯を通る山岳路線だ。 しかも、木沢から竜光にかけては未だに車道が開通しておらず、不通のままになっている。 だが、今回紹介するのはこの不通区間ではなく、起点荒谷から武道窪に至る区間で、ここを逆方向に探索した。 道路地図でも普通に県道として表示はされているが、しごく細い線で描かれているのが気になっていた。 県道でありながら、おおよそ幹線道路として活用されているとは思えぬ超ローカル路線には、どんな景色が待ち受けていたのか。 おおいに肩の力を抜いて、お楽しみ下さい。 ちなみに、山古志村を中心に甚大な震災を及ぼした平成16年の中越地震(M6.8

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    yamaiga 2011/09/02
    <ミニレポ-162>マイナーすぎる×狭すぎる 県道。
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第161回 山梨県道37号南アルプス公園線 保隧道

    2011/2/16 7:35 【広域地図(マピオン)】 このレポートは、【道路レポ142】の続きである。 とはいえ、同じ日に同じ道の続きとして探索したと言うだけで、“直後”ではない。 【道路レポ142】の終点だった角瀬地区から、県道37号を終点方向へ道なりに進むこと約4kmで、今回スタート地点に到着する。 この間には、早川最大の支流である雨畑(あめはた)川に沿う県道801号雨畑大島線との別れや、昭和31年まで硯島村と都川村の境(現在はともに早川町)であった小さな峠越えがあるが、特記するほどのものは見あたらなかったので、一気にここまでやって来た。 ではここは何かというと、見ての通りの分岐である。 なんの分岐かといえば、新旧道の分岐なのである。 丁字路を右に向くと、ご覧の橋が架かっている。 色褪せた「14t」制限標識が迎えてくれるこの1車線の橋は、草塩(くさしお)橋という。 対岸に見える家並

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    yamaiga 2011/09/02
    <ミニレポ-161>完全に消えた隧道と、痕跡を留める隧道。
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第160回 横須賀市の盛福寺隧道

    2007/3/23 16:30 国道16号を横須賀市中心部から横浜方面に北上してくると、町山中有料道路との分岐を過ぎてから、5連続で一方通行のトンネルを通過する。 5目は新田浦トンネルで、これを出るとまもなくJR横須賀線のガードをくぐる。 くぐって最初の信号のある交差点が田浦4丁目交差点で、ここを左に入るのが、今回の小さな寄り道のはじまりである。 右の写真はこの田浦4丁目交差点で、手前が4車線の国道16号、奥の昔ながらの商店街アーチへ進む。 特に国道や県道ということはなく、ただの横須賀市道である。 入口は狭いし、行き先の標識なども特にないので、信号が無ければ見過ごしそうな所である。 ここを曲がると何があるというのか。 地図を見ていただこう。 現在地は横須賀市田浦町4丁目の角。 ここから西へ入る道があり、その行く手にはトンネルが描かれている。 2。 トンネルの向こうは逗子市沼間で、逗子

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    yamaiga 2011/09/02
    <ミニレポ-160>三浦半島の表裏を結ぶ、ひみつのトンネル。
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第159回 国道252号旧道 持寄地区

    【周辺地図(マピオン)】 今回行ってみたのは、福島県の会津地方の中西部に位置する柳津(やないづ)町にある短い廃道。 新潟県柏崎市と福島県会津若松市を結ぶ国道252号の旧道であり、昭和52年までは使われていたようだ。 右の地図を見て欲しい。 中央の川べりに描かれている一のトンネルが、昭和52年に竣功した持寄(もちより)トンネルである。 地図にカーソルを合わせると昭和33年頃の地形図に切り替わるが、当時はトンネルの無いルートだったことが分かるだろう。 また現在はトンネルの前後に、かなり長いスノーシェッドないし洞門も描かれているが、これも当時は存在しなかったようだ。 ということで、只見川の川べりにあるこの数百メートルの旧道を紹介しよう。 まずは、東側から。 2009/6/28 9:17 地形図で“屋根付き”で描かれていた部分には、雪国特有の道路構造物「スノーシェルター」があった。 スノーシェル

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    yamaiga 2011/09/02
    <ミニレポ-159>深緑の只見川に臨む旧国道の跡
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第158回 大館市長坂の長坂橋 

    秋田県の北部に位置する大館市の一角に、東北第5位の大河である米代川を渡る、一の橋が存在する。 橋の名は長坂橋といい、市内の大字長坂と同 外川原とを結んでいる。 そして市道として、現役の橋である。 右の通り地図上にもその姿は描かれているが、微妙に前後の道とズレというか…。 長い割に、とても細く描かれているのが特徴的である。 果たしてこの橋はどんな橋なのか、行ってみた。 国道からわきに入る砂利道を通り、普通車がギリギリ通れる踏切を渡って、 さらにあぜ道のような農道を川に向かって進んでいくと、 出て来た。 近くを走る国道7号からもこの橋の姿はチラッとだけ見ることが出来るが、 両者の間にはそれなりに広い水田とそこを横切る奥羽線があるので、 近付いてみるまで全体像は分からなかった。 想像以上に巨大。 そして 特異な姿。 橋の袂に着いた。 一見したところ水路橋のようで、渡れるにしても来は立入禁止

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    yamaiga 2011/09/02
    <ミニレポ-158>東北最大規模の“三弦トラス橋”が現存
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第157回 犬走島の隧道 

    伊豆半島南部の港都、下田。 (下田市の位置) 稲生沢川の河口に位置するこの街の中心部は、天然の良港として名高い下田湾を抱きかかえるような形になっている。 下田湾は奥行き1.5km、幅800mほどの小さな湾だが、湾内にはいくつかの小島が浮かんでいる。 犬走(いぬばし)島も、そのひとつだ。 犬走島は、下田湾口のほぼ中間に浮かぶ周囲300mほどの小島だが、現在は西の「和歌の浦」側の陸地と、長さ350mほどの防波堤でつながっている。 したがってこの防波堤を通れば、船を用いずに島へ上陸することが出来る。 島は無人だが、東に30mほどの海上に「下田犬走灯台」が設置されており、和歌の浦と犬走島と灯台は全て防波堤でつながっている。 そうして全長500m近い波よけを形作り、下田の街の中心部を高波から守っている。 1/25000地形図では島に道路は描かれていないが、「スーパーマップル・デジタル11」など、さら

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    yamaiga 2011/09/02
    <ミニレポ-157>舞台は「山行が」初の“海上島”
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第156回 沼田市利根町の“トンデモナイ”坂道 

    2010/8/23 17:42 《現在地》 [こんな坂道、見たこと無い!] などと、また煽ってしまった。 数分後に多数の読者さんが落胆し、或いは怒っているような事にならなければいいのだが…、今回はいちおう大丈夫だと思う。 ミニレポ史上最大級の衝撃を… 少なくとも私は 受けた。 …そんな風景が、この変哲ない道の先に待っていた。 現在地は片品川左岸に広がる段丘の上の畑で、たしか中学校の教科書かなにかでは、典型的な河岸段丘として片品川が紹介されていたと思う。 そして写真は川の方向を撮影したもので、深い谷の向こうに太陽が沈んだばかりの武尊(ほたか)前衛の山々が、おそろしく黒くそびえている。 地名的には群馬県沼田市利根町追貝(おっかい)といい、尾瀬や丸沼、金精峠などの観光地に恵まれた片品村は、このすぐ北に接している。 ここも数年前までは利根村とよばれ、市になったいまでも幹線道路を少し離れれば、こんな

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    yamaiga 2011/09/02
    <ミニレポ-156>こんな坂道、見たこと無い!
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第155回 日光市日向の旧竹ノ上橋 

    2008/5/4 15:06 《現在地》 ここは栃木県道23号川俣温泉川治線の途中、日光市日向の一角である。 いまでもまだ旧栗山村の名前で呼んだ方が通りが良いかもしれない(2006年に日光市と合併)。 写真は西を背にして撮影しており、正面にそびえる大日向山(1176m)の左側が日向、右側が日蔭というふうに地名が分けられている。 そしてそこから真っ直ぐ降りてきた境界線は、この場所のすぐ右側を通って背後に通じる。 それでは、この右側には何があるのかというと…。 ちょっと古風な吊橋主塔があった。 しかも主索が張られたままになっていて、空き地の中に確固たる意志を持ってアンカーされている。 それなのに、入口に空気を読めない重機が停まっていて、橋の先を見通すことは出来ない。 ともかくこの橋は鬼怒川に架かる橋で、鬼怒川を挟んで日向と日蔭という2つの大字が、つまり明治22年町村制施行前の日向と日蔭の2つの

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    yamaiga 2011/09/02
    <ミニレポ-155>陰陽あい結ぶ橋
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第154回 大貫海浜橋(仮) 

    「大貫海浜橋」という名前は私が仮に付けたものだが、 まもなく実物を目にした皆さんは、 この命名に作為的なものを感じてしまうと思う。 というか、この橋が架かっている場所の名前を書いてしまうと、その時点でメッキははげてしまうのだ。 《現在地》 なんの脈絡もないが、とにかくここを左折する。 看板があって、「大貫海浜児童遊園地」とかいてある。 大貫海浜児童遊園地にあるから、「大貫海浜橋(仮)」である。 …ブラウザは閉じないでね。 もちろん、“タブ”もね。 これが、大貫海浜児童遊園地だっ! ひゅー…… …いざ、入園! 事件現場みたい…。 死 屍 塁 塁 死屍累々。 この公園遊園地には、生きた遊具はないのだろうか。 異様な気配が辺りに漂っている。 すぐ背後は海なのに、渚の音も聞こえない。 周りには人がいるのに、この公園だけが無視されている? 生きた遊具を探して、せまい園内を彷徨う。 それは、 あらわれ

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    yamaiga 2011/09/02
    <ミニレポ-154>若人に見捨てられた橋
  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 無想吊橋 

    千頭山への入山、その第一目的は「千頭森林鉄道」の攻略であった。 そして全部では無いが、この日の目的とする内容は果すことが出来た。 それからもうひとつ、第二の目的があった。 無想吊橋の攻略である。 寸又峡の支流である逆河内の奥地には凄まじく高い吊橋が架かっており、しかもそれが廃道同然になっているという情報は、私が関東に移住した当初から多くの方に教えていただいた。 テレビで放映されていたという典拠もよく聞いたが、私は残念ながらその放映を見ていない。 ただ、とにかく凄まじい橋がそこにあるから、崩れ落ちて消えてしまう前に見ておいたほうが良い。 そんな熱っぽい…勧誘と言っても良いような情報提供を、何件も頂いていた。 だが私には、すぐさまそれに飛びつくことが出来なかった。 正直、既にテレビが取り上げているという事実は、その内容は知らないけれども私の感覚を萎えさせたし、検索エンジンを使えばより最近の状態

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 松姫湖の廃隧道

    日野市の自宅から約70km離れたところにある山梨県大月市の葛野川(かずのがわ)ダム【地図】には、これまで何度も足を運んでいる。 そこにはダム建設によって発生した旧国道や、松姫湖に水没した林鉄跡など、いくつもの見どころがあるからだ。 そして数多い見どころの中でも、この地を訪れるだけで誰でも簡単に発見できて、しかもインパクト抜群なのが、今回紹介する廃隧道である。 ただし、残念ながら正式な名前は分らない。 2010/3/15 9:35 ここは葛野川ダムの堤上路。 この右側にダム湖である松姫湖の湖面が広がっている。 そしてこの場所に来さえすれば、誰しもが廃隧道を見つけてしまう。 その割にこの物件がメジャーになっていないのは、堤上路が閉鎖されていることが少なくないことや、そもそも観光地でもないこのダムを訪れる人が、あまり多くないせいだろう。 なお、葛野川ダムは高さ105m、堤長263mの重力式コンク

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 旧山古志村の東隧道

    このレポートは、当サイトが山古志(やまこし)を採り上げる最初のものとなるので、ここで少しだけこの山古志という“オブローダーにとって興味深い地域”の概要を説明しておこうと思う。 山古志を端的に言えば、昭和31年から平成17年まで存在していた新潟県古志(こし)郡山古志村の事であり、現在は長岡市の山古志地区と呼ばれている。 ただし歴史的に見ると、山古志村の地域だけが元々「山古志」と名付けられていた訳ではなく、右図に緑色で示した旧山古志村の範囲の南側に接する小千谷市、旧川口町(現長岡市)、旧堀之内町(現魚沼市)、旧広神村(現魚沼市)のそれぞれ一部地域もともに古志郡に含まれ、山古志の総称の中にあった。 ようするに、旧来の山古志地域(主要な村が20あったことから山古志二十村ともいった)の北側2/3ほどが、最近の山古志村の地域であった。 しかし以後のレポートでは特に注釈しない限り、単に山古志といえば旧山

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 掛川市の岩谷隧道

    2011/3/4 12:34 ここは東海道筋の宿場と茶の産地で有名な掛川のはずれにある、何の変哲もない丁字路。 ここが出発地点だ。 「地図」はもうちょっとだけ待ってね。 お目当ての「変なもの!」が出て来たら、すぐに明かします。 うふふふふ。 掛川に住んでる人ってきっと、「東海道」と「茶」の二言だけで掛川の紹介を済ませようとする人のこと軽蔑するだろうな。軽蔑されたくないので、もうひとつだけ掛川ミニ知識。 掛川は「電波ソング」の街らしいぞ!(wikipedia:「掛川市」より)←ホントかい! なにはともあれ、山行が“初”掛川だ~! 現行1/25000地形図にあるトンネル記号を目当てに入ってきたこの道だが、初っ端から狭いのだ。 路面には一応コンクリートの舗装がされているが、その幅は軽トラのタイヤの幅とぴったり一致。 普通車だと、この時点でちょっと怖じ気づくかと思うが、それ大正解。 特にこの先にあ

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 大多喜町の共栄隧道

    皆さんは、こんなことをしたことはないだろうか。 ネット上で、一度見たら忘れられないような、奇抜な姿をした隧道を見る。 そしたら、敢えてその場所を積極的に調べようとせずに、 「何度か訪問している内にいつか見つかるだろう」 …と、放っておく。 基的に、道に限らずあらゆる地物は時限付きなので、あまりこういう先送りの泰然主義は、オブローダーとしての成果主義とは相容れない。 しかし何となくそれでも良いかなと思えるような隧道が、いくつかある。 例えば房総半島のように全体が箱庭的であり、しかも自宅からは近く、繰り返し行くことになりそうな場所。 さらに廃道ではなく現役の道だったりして、そこそこ自力でも見つかりそうなものの場合。 それはサブイベント的な楽しみ。 「いつか出会えるかもしれない景色」として、頭の片隅においておく。 今回はそんな隧道のひとつで、しかもとびきり奇抜なヤツに、遭遇することが出来た。

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 山形県道252号木地山九野本線旧道 管野隧道

    このたび rinsei氏よりもたらされた、「今を逃したら、おそらくもう二度と見るチャンスのない景色」という言葉に誘惑され、やって参りましたのは【ここ】。 山形県は南西部、置賜(おきたま)盆地の西北端に位置する長井市だ。 木地山(きぢやま)山中に源流を持ち、深い渓谷を縫って長井市九野(くのもと)で置賜盆地へ流れ出る野川(最上川支流)は、昔から季節的な水量の変動が激しい典型的な急流河川として、下流域の住民生活に多大な影響を与えてきた。 そのため、管理者である山形県も治水と発電利用に多大な関心を持ち、昭和29年には県内最初の多目的ダムとして中流に管野(かんの)ダムが、同36年には上流に木地山ダムが相次いで完成した。 そして、この2つのダムの建設に必要な輸送を一手に担ったのが、当初はダム工事道路として建設された県道「木地山九野線」(路線認定は昭和34年)であった。 こうして山形県による置賜野川

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 君津市二入の廃隧道

    今回の物件は、このあたりにある。 →【周辺地図(マピオン)】 まずは下の2枚の地図を見較べてみて欲しい。 同じ場所の新旧の地形図だ。 右は昭和6年の地形図であるが、そこには最新の地形図に描かれていない、一の隧道が描かれている。 しかもこの隧道、さらに古い明治39年発行の地形図にも描かれている。 千葉県には沢山あるとはいえ、全国的な尺度から見れば珍しい明治の隧道なのである。 とりあえず、地図から分かることはそれくらいしかない。 しかし、探索に赴く理由として、これでも十分すぎる。 2010/2/6 6:45 《現在地》 ここは、今回目指す隧道の入口となる君津市二入(ふたいり)の集落。 この二入という大字はさほど広くないが、激しく蛇行する小糸川の南北両岸に同じくらいの広がりを持っている。 しかし道があり集落があり人が住んでいるのは北側だけという、少し変わった特徴がある。小糸川を渡る橋も存在しな

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 静岡県道16号下田石廊松崎線 旧弥陀山隧道

    右図で赤く示しているのは、石廊崎を回遊する道路上の主要なトンネルのうち、戦前に建設されたものである。 前回、「一色隧道」の冒頭でも触れたが、これら戦前生まれの隧道群の多くは、開削当初こそ集落間を結ぶ生活道路としての意味合いが強かったが、戦後しばらくして半島を循環する観光ルートの一部となるに至り、その狭隘がネックとなって相次いで改築されている。 下田から石廊崎への主要なルート上にあるこの弥陀山(みださん)隧道は、当初より多少の観光色を有していたようであるが、やはり石廊崎区間の開通によって手狭となり、昭和46年につくられた新トンネルに主要道路としての地位を譲って久しい。 弥陀山隧道は大正12年というかなり早い時期に開削されているが、当時の事業については今ひとつ明らかではない。 しかしこれからレポートする通り、坑門に凝った意匠が施されていることから、当初より石廊崎へ向かう観光道路としての性格を持

  • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道136号旧道 一色隧道

    【周辺地図(マピオン)】 伊豆半島の南端に位置し、石廊崎や下賀茂温泉など、南国情緒の感じられる多くの観光地をもつ南伊豆町。 あまり知られていないが、この町は半島随一の“トンネルの街”でもある。 西海岸の急峻で複雑な地形を縫う数多くのトンネルが建設され、人々の暮らしを支えてきた。 その一部を右図に示した。 西海岸では明治34年竣功の良(めら)隧道をはじめ、幹線道路沿いに多くの隧道が建設され、子浦から仲木にかけての車道は昭和12年までに開通している。 これらはいずれも車1台分の小さな隧道であったが、通行量も多くはなく、さほど困るということもなかったようだ。 しかし、戦後次第に半島北部の交通事情が改善すると、南伊豆まで足を伸ばす観光客も増加しはじめる。 昭和39年、石廊崎を貫く主要地方道「下田石室松崎線」(現在と名称が異なる)が開通。さらに同47年には、念願の伊豆循環道路最後のピースである「南

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 千頭森林鉄道 逆河内支線

    ※このレポートは、「廃線レポート 千頭森林鉄道 千頭堰堤~大樽沢」の続きになります。 ※千頭森林鉄道全体については、【こちら】にまとめています(執筆途中)。 逆河内 読みは、サカサコウチ なんでこんな名前なんだ? どうしても「真っ逆さま」というという言葉を連想してしまって、良い印象がないんだが。 それにここは、一部で有名な“あの橋”のある谷だろ…。 ともかく、この逆河内は寸又川最大の支流であり、河内には谷という意味があるせいで、地図でも「~川」とか「~沢」は付いていない。そのまま逆河内という。 そしてこの逆河内に沿って、千頭森林鉄道の支線が存在した。そのまま、逆河内支線である。 線との分岐地点は大樽沢(おおたるさわ)だが、ここからして既に最奥集落の大間(寸又峡温泉)から軌道跡を14.1kmもさかのぼった地点である。この探索の模様は、「廃線レポート千頭森鉄 千頭堰堤~大樽沢」をご覧頂きたい

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 白湯山林道(森林軌道) 

    【周辺図(マピオン)】 那須塩原市の北部、那珂川源流の那須山地一帯には、いくつかの森林鉄道が存在した。 今回紹介する白湯山(はくとうさん)林道は、近世に山岳信仰の対象となっていた奥那須の白湯山から流れ出る湯川と、大川に挟まれた山林(図中では左上の僅かな面積だが、実際はこの背後に広大な山林がある)通称“七千町歩”からの伐木運材を目的に開削された、全長12kmの路線である。 ただし、この全線に軌道が敷かれていた訳ではないようだ。 昭和8年版の地形図でも、軌道が描かれている部分(矢沢より北側)と里道として描かれている部分(矢沢より南側)があるが、『黒磯市史』によると、白湯山林道は起点「谷地田原」から「地蔵平」までの4kmは牛馬道として、「地蔵平」から終点「七千町歩」までの8kmは軌道として、昭和6年に開通したというのである。 また、この林道を計画し建設したのも営林署ではなく、七千町歩の伐採権を

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 小湊鉄道線旧線 上総久保~高滝

    【周辺図(マピオン)】 小湊鉄道が営業する小湊鉄道線は、千葉県市原市の五井駅から夷隅郡大多喜町の上総中野駅までを結ぶ、全長39.1km全線単線非電化の鉄道だ。 関東近郊の代表的なローカル線として有名な存在だが、上総久保駅と高滝駅の間に短い旧線が存在することは、あまり知られていない。 この線路変更については、なぜか『鉄道廃線跡を歩く8』巻末の「全国線路変更区間一覧」にも記載が無く、そのために線路変更の時期や事由など不明点も多いのだが、北から南に向かって現地の旧線跡を紹介していこう。 この探索は、情報提供者である「湯島のとも」氏および「R28」氏が同行案内してくださいました。ありがとうございました。 2008/3/15 15:07 《現在地》 市原市久保にある上総久保駅を南に出た線路は、小高い丘の裾を左カーブで回り込み、田んぼの中の長い直線に入る。 そして直線の先は細長い丘があり、これを右カ

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 外房線旧線 久保隧道

    平成21年1月に2146氏から頂戴した情報によると… 外房線の浪花~御宿間に、現在線のトンネルと平行する形で使用されていないトンネルがあります。複線化の未成トンネルなのか、旧トンネルなのか…。御宿側抗口は車窓や付近の陸橋やからよく見えるのですが、浪花側は現在線が切り通し区間であるため貫通しているかは確認できませんでした。 とのことである。 ネット上にはこれといった情報が無さそうだったので、外房探索の途中に寄り道してみたのがこの記録である。 2146さま、ありがとうございましたm(_ _)m 【広域地図(マピオン)】 情報では「外房線の浪花~御宿間」のトンネルということだけだったが、地図を見るとこの駅間にはトンネルはひとつしか無く、場所の特定に苦労はしなかった。 ちょうどそこは御宿町といすみ市の境で、外房線は国道128号とその旧道の間を切り通しとトンネルで通過しているようだ。 旧国道からト

  • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道388号接岨峡線旧道 東藤川地区

    【周辺地図(マピオン)】 今回採り上げるのはタイトルの通り、静岡県道388号接岨峡(せっそきょう)線の旧道にあたる道である。 右図に赤く示したラインが、それである。 地図上では、この旧道にこれといった不自然さは見あたらないと思うが、冒頭で「県道の旧道」と言い切らず、「旧道にあたる」という遠巻きな表現をしたのには訳がある。 もう一度地図を見て貰いたい。 この場所は、川根町の中心地である千頭地区から5km半ほど北に入った奥泉地区で、寸又峡へ向かう県道77号川根寸又峡線と、接岨峡へ向かう県道388号接岨峡線が二岐に分かれている。 寸又峡へ向かう道と、接岨峡へ向かう道が、混在している場所。 この2系統の道が、それぞれのペースで新道を建設してきた結果、「旧道にあたる道」は、少しだけ複雑な変遷を遂げているのだ。 その過程で、名前も何度も変わってきた。 編に入る前に、一帯のルートの変遷を地図上で見

  • 廃道レポート 鋸山の元名石切道

    鋸 山 (のこぎりやま)  [位置[マピオン]] 鋸南(きょなん)町と富津市の境にそびえる山。標高329m。南房総国定公園のうち。第三紀三浦層の砂質凝灰岩が刻まれて、稜線が鋸の刃のようになっていることに山名は由来する。また安房・上総両国を限る山であるところから「限の山」ともいわれている。山頂は昔から東京湾に出入りする船の目印とされてきた。鋸南町側の中腹には僧行基創建(養老7年)の日寺がある。(中略)山頂の十州一覧台の眺望は、東京湾・三浦湾・箱根・富士・関東平野を遠望できる。 山麓の北側には凝灰岩の石切場がある。この石は房州石・金谷石・元名石などと呼ばれ、建築用石材として江戸期から採掘され、明治期には横浜港建設などに30数万が採掘された。明治後期から大正期にかけてが最盛期で、大谷石が出回るようになると次第に衰退、現在の採掘量はわずかである。 浜金谷カラロープウェーが通じ、様々な観光施設が

  • 廃道レポート 栃木県道369号黒磯田島線 深山隧道旧道

    ※このレポートは、「廃線レポート 白湯山林道(森林鉄道)」の続編となります。 【周辺地図(マピオン)】 栃木県道369号黒磯田島線は、栃木県那須塩原市の黒磯と福島県南会津町の田島を結ぶ、全長57kmあまりの路線で、県道指定は平成8年で比較的最近だ。 だが、県境の男鹿峠は10年以上も不通のまま廃道化が進行しており、路線名も全うされているとはいえない。 とはいえ、今回この路線で取り上げるのは男鹿峠の廃道区間ではなく(探索は済んでおり、今年4月頃に発売を予定している「廃道をゆく3」に収録予定)、黒磯側から男鹿峠に向かう途中にある、旧道の廃道だ。 木の俣地蔵がある東一帯の平坦部を「地蔵平」と呼んでいるが、その背後には標高788mの尖った山があり、北側の斜面は那珂川に大きく迫り出し絶壁を作っている。 そしてこの難所に“良い道”を通すべく、これまで数回の試行錯誤…路線の付け替えが行われてきた。

  • 【山さ行がねが】道路レポート 福島県道53号会津高田柳津線 赤留不通区

    福島県道53号「会津高田柳津線」は、会津盆地の西南端に位置する歴史ある商都高田と、奥会津の玄関口に位置する寺と温泉のまち柳津を結ぶ、全長20kmの主要地方道である。 起点と終点付近以外は会津山地の山中を通る山岳路線であり、赤留(あかる)峠と市野峠という2つの峠が控えている。 また、柳津と高田を結ぶ交通量自体あまり多くないことから、比較的閑散路線といえる。 とはいえ現役の県道であり、この程度の縮尺の地図では特に“異変”に気づくと言うこともない。 というか、ドライバー的には全くそれで問題がない。 あなたが普通に道路標識に従って車を走らせていれば、ちゃんとこの県道は高田から柳津、或いはその逆へ移動させてくれる。 問題ない。 だが、縮尺の大きな道路地図(左画像は「スーパーマップルデジタル11」)で、この赤留峠と市野峠の間に挟まっている谷…二岐(ふたまた)地区を見てみると、小さな“異変”に気

  • 【山さ行がねが】道路レポート 山梨県道37号南アルプス公園線 角瀬トンネル旧道

    右の地図は、山梨県南巨摩郡早川町の役場がある高住(こうじゅう)地区。 といっても、この地図だけでどこだか分かるという人は、ほとんどいないと思う。 それこそ地元の人か、あとは南アルプスの山々をこよなく愛する人くらいしか…。 大きな地図で見ると、このあたりだ。→【広域(マピオン)】 この早川町というのは、四方を広義の南アルプス山脈、狭義でいえば白根山脈、巨摩山地(櫛形山系)、身延山地に囲まれており、大きな峠を越えずにここへ行く道は一しかないという、日中でも稀な厳しい立地にある自治体だ。 こうした交通の不便ゆえか、或いはもともと山梨県内で最も広大な町域を有していたせいなのか、日一人口の少ない「町」(平成22年12月1日現在人口1228人。平成17年当時日で9番目(州で4番目)に低い人口密度)でありながら、平成の大合併にも呑まずに存続している。 とまあ、早川町を手っ取り早く語るのには、