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岐阜県に関するyamaigaのブックマーク (7)

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道156号旧道 福島歩危

    福島村と尾神村の間なる、岩山の絶壁を斫(切)割て路を作れり。 郷中にも、国内にも、比類なき嶮難の歩危路にて、鬚摺・睾丸縮等の名に負う難所あり。 「白川村誌」引用の「斐太後風土記」より転載 これは江戸時代に編纂された飛騨国の風土記「斐太後風土記」の一文(書き下し)で、「国内に比類なき嶮難の歩危(ほき)路」について語っている。 この「歩危」というのは地域性のある表現だが、飛騨地方では専らこの字を当て、川に迫る岩場の難所を示す地名として頻出する。 東北で言えば「へつり」のようなものか。また「大歩危(おおぼけ)」という景勝地が四国にあるが、これも同義と思われる。 そしてなんと言っても最大のインパクトは、鬚摺(ひげすり)・睾丸縮(こうがんちぢむ)といった難場に付けられた名称だ。 これらも難所地名であり、鬚摺とは路が狭くて岩場に鬚を擦らなければ通り抜けられないような道と言うことだろうし、睾丸縮は男性に

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 神岡軌道 第二次探索 杉山編

    かつて飛騨地方の北辺、高原川沿いの険しい山間部において、軌間610mmという鉱山軌道でありながら旅客営業をも行っていた神岡軌道。 その希有な存在は“参考文献”などによって世に知らしめられ、廃線を愛する人々には広く知られてきたものであるが、その廃線跡の詳細な現状については、全長50km近い総延長や長期間の放置による路盤荒廃のため、ほとんど明らかではなかった。 長大な廃線跡の全貌をこの目で確かめるべく、私と永冨氏が合同して平成20年7月に2日間をかけた最初の探索を行った。 このときの探索目標は、全線中でも特に長く利用され旅客営業も行われていた、猪谷~神岡町間(23.9km)。(右図参照) 探索は一定以上の成果をあげたものの、いかんせん真夏の藪の最も深い時期であったことや、徒歩と自転車という移動手段の貧弱さに苦しめられ、当初予定していた全線踏破には至らず、途中に何か所か「保留」とさせて貰った区間

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 神岡軌道 猪谷~神岡間

    これを書いている時点での昨日、2008年7月4日まで、私は『日の廃道』での盟友nagajis氏と共に、飛騨の山中で連続4日間の廃道・廃線探索を行った。 そして、その中で最大の時間と労力をかけて解明を試みたのがこの「神岡軌道」であった。 神岡軌道は、大正初期から昭和40年代初頭にかけて、岐阜県北端に位置する神岡町から県境を越えて富山方面へと延びていた、軌間610mmの鉄道である。 その特殊な軌間が象徴するように、「神岡鉱山」の坑内軌道と連結する「鉱山鉄道」としての性格を濃くした路線であったが、交通不便な地域の足として利用されていた事も事実で、昭和24年以降は正式な地方鉄道として市販の「時刻表」にも記載されていた。 路線の廃止は母体鉱山の閉山を待つことなく、並行する国鉄の延伸に追い立てられるように行われたことに特徴がある。 まず、国鉄飛越線(現在の高山線)が富山側から猪谷(いのたに)まで

  • 【山さ行がねが】道路レポート 六厩川橋攻略作戦

    このレポートは、「道路レポート 岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路)」の続編ですので、先に上記レポートをお読みになることをオススメします。 編において単に「一昨日の探索」や「前回」という表現を使った場合も、上記レポートで紹介した探索を指します。 東経136度56分54秒 北緯36度7分52秒 今回も懲りずに この地点→ 「六厩川橋」 を目指す。 「前回」は、六厩川橋の約2km手前にあるこの「秋町隧道」で敗退した。 原因は身を以て体験した背丈を超える水没だったわけだが、それをレポートで伝えたところの皆様の感想は、私の健闘を讃えるものが少なくなかった。 だが、私は気付いてしまった。 多くの「がんばった!」の根底に流れているのは敗者への労りであり、慰めを装った“がっかり”感だった。 「おおゆうしゃよ! しんでしまうとはなさけない。」 ぞくぞくと寄せられる「がんばった!」を読みながら、そんな言葉がリ

  • 【山さ行がねが】道路レポート 岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路)

    右の地形図を見て欲しい。 これは最新の2万5千分の1図であるが、幅の広い水域を渡る一の橋が描かれている。 橋には「六厩橋」という注記がなされ、西側の岸辺には三角点がある。 「六厩」は地名で、これで「むまい」と読む。 橋を中心に3の道が存在する。 一は南西へ、一は北へ、一は東へ放射状に伸びているが、いずれの道も橋の周辺は「破線」で描かれている。 これらの道は、かつてトラックも通る林道だったが、現在は廃道になっているとのことである。 3が、3とも廃道になっているとのことである。 現在この橋がどうなっているかを知っている人は、かなり少ないらしい。 だが、そこには大変雄大な、訪れた誰もが息を呑まずにはいられないような巨大吊り橋が架かっているのだという。 この橋が存在する場所は、岐阜県高山市(旧荘川村)と白川村との境を流れる六厩川河口部である。 そこは、巨大な御母衣(みぼろ)ダム湖右岸

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道156号旧道 内ヶ戸歩危

    編は国道156号に関する当サイト最初のレポートであるので、まずこの路線の全体像について、簡単に記しておきたい。 一般国道156号は、岐阜県岐阜市と富山県第二の都市である高岡市を結ぶ、全長213kmあまりの路線である。起点である岐阜市から長良川沿いを北上し、郡上市ひるがの高原附近で中央分水嶺を越え、庄川沿いを高山市荘川、白川村、南砺市五箇山、砺波市庄川などを経由し、日海岸の高岡へ達するのである。 列島を横断する幹線国道のひとつだが、深い谷間やダム湖の水面を縫って走る風光明媚さや、合掌造り民家が世界遺産となっている白川郷や五箇山、国立公園の白山一帯を沿道とすることから、「飛越峡合掌ライン」の愛称のもと観光路線としても知られる。 しかし地形の険しさと冬期の積雪の多さから、改良の遅れた路線でもあり、昭和54年に岐阜~富山県境の「飛越七橋」と呼ばれるバイパスが開通するまで、この区間は冬期5ヶ月間

  • 【山さ行がねが】道路レポート 割石の高崖みち

    2008/7/4 7:01 《現在地》 このレポートを書いている時点ではまだ最終回を迎えていない長編、廃線レポート「神岡軌道」の探索は、7月3日に始めたが一日で目的を達することが出来ず、日4日へとずれ込んだ。 3日は神岡の市街地(飛騨市神岡町)にある「道の駅かみおか」で夜を明かし、この日は朝から、前日の終了地点である東漆山へとチャリを漕いで向かった。 もちろん、前日から引き続き相棒nagajis氏がいる。 その途中、割石という地名のところで、トンデモナイ風景に遭遇してしまった。 国道41号を神岡市街から富山方向へ向かうと、はじめのうち高原川の左岸を、対岸に神岡鉱山の巨大施設や禿げ山を見ながら進むことになる。 そして、2kmの少し先で「吉ヶ原橋」という大きな橋で右岸に移ったかと思うと、また1km以内に「割石(われいし)橋」で左岸へ戻る。 この辺りが割石地区であるが、国道沿いに集落は無い。

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