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2010年5月30日のブックマーク (36件)

  • 道路レポート 尾盛駅への道

    尾 盛 駅 をご存じだろうか。 wikipedia:尾盛駅 には、こう書かれている。 駅周辺に民家は無く、その上駅に通じる車道も1つも無い。このため鉄道でしかこの駅へ来ることはできない。 そのため、一部の鉄道ファンに日で最も理想的な秘境駅といわれている。 2008年度の年間乗降客数は574人である。 オブローダーというのは、元来「ひねくれ者」の資質を有する。 誰もが使う道ではなく、敢えて裏道を探し、無理に使われなくなった道を辿ろうとする。 「イケナイ」 「行けない」 と言われれば、当にそうなのかと確かめなければ気が済まなくなる。 「道が無いのに駅があるわけなんてないだろう」 と、そう心から疑う。 そして、「秘境駅ファン」というのも相当に「ひねくれ者」であろう。 非共益の誹りなどどこ吹く風で頑張る秘境駅を愛する者が、 年に500人以上も、 この「どこにも行けないホーム」に降り立っていると

  • 【山さ行がねが】道路レポート 磯根崎海岸道路(仮)

    今回のレポートでは、今まで以上に皆様の調査力をお借りしたいと思っている。 というのも、 これから探索の成果は余すことなくお伝えするが、 それでも謎が沢山残ったのだ。 もちろん、自分なりに関連町村市などを漁ってみたが、成果はわずか。 これを書いている現段階では、正式な路線名さえ分からずじまいなのだ。 今はっきり言えることは… 富津市の東京湾沿いに、正体不明の廃車道が残されているという事実だ。 この探索の契機は、これ以上ないほどに単純だった。 何気なく「ウオッちず」を眺めていたところ、海岸沿いに「車道の特徴を持った歩道」を見つけたのである。 右図を見ていただきたい。 「A」の矢印の先には、紛れもないループ道路が描かれている。 また「B」付近には、これまた車道としか思えないようなゆったりとした線形のカーブ群が描かれている。 いずれも「破線」、つまりは「徒歩道」だが、車道が廃道になって辛うじて歩道

  • 【山さ行がねが】道路レポート 牛岳車道

    先日、日有数の僻山村「利賀村」(現:南砺市利賀)に関する最初のレポート「隧道レポート 栃折隧道」を公開したばかりだが、利賀村の探索自体は栃折峠がほとんどラストであった。 そしてこれから述べるのは、“利賀村への最初の進入”の場面だ。 利賀村への入路としては古くから2のルートがあった。 ひとつは八尾方面から栃折峠を越えるもので、もうひとつは井波や庄川方面から利賀川をさかのぼるものだ。 いずれも現在では国道471号となっているが、その完成は一時に成されたものではなかった。 これから紹介するのは後者のルートで、特に青島(庄川)から高沼までの区間は、利賀村内を通った歴史的に最初の車道だった。 その開通は、明治時代にまでさかのぼることが出来るという。 牛岳(海抜987m)の山腹に「ある目的」をもって通じた道は、「牛岳車道」と呼ばれるものであったが、この後で述べる私との出会いは衝撃的であり、まだ見ぬ

  • 道路?レポート 山寺の廃すべり台

    このタイトルを見て、「ついにネタが切れて公園遊具まで手を出すのか」と思った方もいるかも知れないが、そんな甘っちょろいものではない。 「山行が」が対象としているのは、“交通に関するもの全般”だが、遊具のすべり台はその範疇にない。 でも、今回紹介するすべり台は、紛れもなく 交通機関としてのすべり台 だった。 ただ、一般的な“道路”でないことは確かなので、「道路?レポート」とさせてもらった。 「山行が」史上最も奇抜な“廃すべり台情報”を提供してくださったのは、山形市在住の“まこと氏”。 氏のメールの一部を転載させていただこう。(情報提供ありがとうございました!m(_ _)m) 山 寺 は、急な階段が二千段くらいあるお寺でして、奥の院まで結構な登りなんです。 あの有名な松尾芭蕉が「静かさや岩にしみいる蝉の声」読んだまさにその場所です。 山形市民にとってはなじみのお寺で、僕も子供の頃から何度も行って

  • 【山さ行がねが】道路レポート 六厩川橋攻略作戦

    このレポートは、「道路レポート 岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路)」の続編ですので、先に上記レポートをお読みになることをオススメします。 編において単に「一昨日の探索」や「前回」という表現を使った場合も、上記レポートで紹介した探索を指します。 東経136度56分54秒 北緯36度7分52秒 今回も懲りずに この地点→ 「六厩川橋」 を目指す。 「前回」は、六厩川橋の約2km手前にあるこの「秋町隧道」で敗退した。 原因は身を以て体験した背丈を超える水没だったわけだが、それをレポートで伝えたところの皆様の感想は、私の健闘を讃えるものが少なくなかった。 だが、私は気付いてしまった。 多くの「がんばった!」の根底に流れているのは敗者への労りであり、慰めを装った“がっかり”感だった。 「おおゆうしゃよ! しんでしまうとはなさけない。」 ぞくぞくと寄せられる「がんばった!」を読みながら、そんな言葉がリ

  • 【山さ行がねが】道路レポート 岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路)

    右の地形図を見て欲しい。 これは最新の2万5千分の1図であるが、幅の広い水域を渡る一の橋が描かれている。 橋には「六厩橋」という注記がなされ、西側の岸辺には三角点がある。 「六厩」は地名で、これで「むまい」と読む。 橋を中心に3の道が存在する。 一は南西へ、一は北へ、一は東へ放射状に伸びているが、いずれの道も橋の周辺は「破線」で描かれている。 これらの道は、かつてトラックも通る林道だったが、現在は廃道になっているとのことである。 3が、3とも廃道になっているとのことである。 現在この橋がどうなっているかを知っている人は、かなり少ないらしい。 だが、そこには大変雄大な、訪れた誰もが息を呑まずにはいられないような巨大吊り橋が架かっているのだという。 この橋が存在する場所は、岐阜県高山市(旧荘川村)と白川村との境を流れる六厩川河口部である。 そこは、巨大な御母衣(みぼろ)ダム湖右岸

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道156号旧道 内ヶ戸歩危

    編は国道156号に関する当サイト最初のレポートであるので、まずこの路線の全体像について、簡単に記しておきたい。 一般国道156号は、岐阜県岐阜市と富山県第二の都市である高岡市を結ぶ、全長213kmあまりの路線である。起点である岐阜市から長良川沿いを北上し、郡上市ひるがの高原附近で中央分水嶺を越え、庄川沿いを高山市荘川、白川村、南砺市五箇山、砺波市庄川などを経由し、日海岸の高岡へ達するのである。 列島を横断する幹線国道のひとつだが、深い谷間やダム湖の水面を縫って走る風光明媚さや、合掌造り民家が世界遺産となっている白川郷や五箇山、国立公園の白山一帯を沿道とすることから、「飛越峡合掌ライン」の愛称のもと観光路線としても知られる。 しかし地形の険しさと冬期の積雪の多さから、改良の遅れた路線でもあり、昭和54年に岐阜~富山県境の「飛越七橋」と呼ばれるバイパスが開通するまで、この区間は冬期5ヶ月間

  • 【山さ行がねが】道路レポート 横須賀十三峠

    「明治工業史(土木編)」は、昭和4年に工学会(現在の日工学会)が刊行した、明治期の土木全般を俯瞰した大著である。 このの特に良いところは、全体的に平易な表現がされていて専門家でなくても読み進めやすいところと、“最古”や“最大”などといった、一般人の興味を意識した記述がふんだんに取り入れられているところにあると思う。 まさにオブローダーにとってはお宝ものの書物だが、現在は「土木学会附属土木図書館」のサイトでPDF化されたものが公開されている。 そしてその34p(右図)に、明治期の国道の道路勾配について次のような記述がある。 国道の勾配は三十分1の既定なれども、是亦(これまた)実際の道路は急勾配のもの多数にして、殆んど既定に合するもの無しと称するも過言に非ざるなり。此の処に最も急勾配を有するものを記すれば、横浜より横須賀鎮守府に至る路線には二分一、又横浜より箱根に至る路線、小田原町より長尾

  • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道288号 大嵐佐久間線

    2009/1/24 7:35 国道473号の佐久間発電所入口交差点。 JR飯田線佐久間駅に近いこの場所から「道路レポ」を始めよう。 これからまず向かうべき場所は佐久間ダムだ。 そこが今回の題「県道288号」の終点なのだ(終点→起点方向の探索)。 現在地からダムまでの距離は約4.2km、高低差プラス120mほどであるが、敢えて省略はせずレポートしたい。 交差点を西に進むと、まだ新しい国道473号の標識と共に金網に囲まれた一角が現れる。 そこは飯田線旧線の佐久間隧道が眠る、「電源開発株式会社 佐久間発電所」の敷地だ。 金網から下を覗くと、思いを残す塞がれた坑門が間近に見えた。 そして現れる、2車線を収容するには以下にも窮屈そうな隧道。 直前に立つ標識は、S字カーブにトンネルの記号を組み合わせたような特注品だ。 「トンネル内狭く カーブ 注意」らしい。 全く殺風景な坑門には扁額など自己主張する

  • 道路レポート 国道128号旧道 おせんころがし

    残念ながら、外房の海岸沿いを周遊する最初の車道がいつ開通したのかという記録にはお目にかかれていないが、おおむね明治10年代には「房総東往還」が完成したようである。 その後は、道路の開発を鉄道が追いかける形をベースに推移するのであるが、明治43年に勝浦~鴨川間に乗合馬車が運行されたという記録は重要なものであろう。 この時点では間違いなく「おせんころがし」を通過する車道が開通していたことになるからだ。 続いて、今回紹介する区間の歴代地形図を見ていこう。 上図は、ここを描いたものとしては最古の5万図である明治35年版である。 既に「府県道」のはっきりした線で、海岸沿いの道が描かれている。 そのルートは、西側の「小湊」から隧道を抜けて海岸線へ出て、郡境を越えて大沢へ、さらに浜行川(なめかわ)へと至るルートである。 『外房総大沢の生活と民俗』という資料によれば、「おせんころがし」は「大沢から行川に向

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道158号旧道 沢渡~中ノ湯

    廃道の中の廃道。 皆様にとっての廃道とは、どんなイメージだろう。 草むした砂利道、苔の生えたアスファルト、ひび割れたコンクリート、消えかけた白線、色あせた道路標識、忘れられた路傍の石碑、照明の消えた真っ暗な隧道、落石に埋もれたガードレール、路面を奔る沢水、崩れ落ちた橋や路肩、草いきれのする藪、弱音、諦め、安堵とガッツポーズ… ここには、それら考えられる要素のほとんど全てのものがある! 廃道の中の廃道とは、決して険しいだけの廃道だとは思わない。 ここには、演出過剰なほどに分かりやすい、“廃道の真景”がある。 それゆえ、以前執筆させていただいた『廃道をゆく (イカロス・ムック) 』にも、巻頭企画としてこの道を紹介した。 この道を辿ることは、廃道の酸いも甘いも同時に体験することに他ならない。 同書にて一度紹介済みではあるが、とネットでは表現方法も異なることであるし、今回はより詳細なレポートを作

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道410号 松丘迷走区

    松丘 迷走 国道 なんぞそれ? それは、 おそらく 関東一理不尽な国道の線形。 まずは次の地図を見て欲しい。 【所在地(外部リンク)】 ご、ごめん…  もったいぶって… でも、“めくる”前に…  ちょっとだけ想像してみて欲しい。 房総半島の内陸にあるこの「一般国道410号」に、どんな異常線形があるのかを。 上から来た道が左へ曲がっていく。 隠された部分には、そんな線形が潜んでいる。 それでは、めくってみよう。 なんじゃこりゃ。 いままで数多くの道路線形を見てきた私だが、こんなに変態的なのは、初めてだ。 まるで、& の “なり損ね” のような線形と言えばいいだろうか。 しかも、この“変態線形”は一時的なものではなく、 国道410号が昭和57年に誕生して以来、ずっとここにある。 一体現地では、どのような「案内」がされているのだろうか? まさか千葉方向から館山方向へ向かうドライバーは、こんな変態

  • 【山さ行がねが】道路レポート 神奈川県道701号 大山秦野線

    【所在地(外部リンク)】 また、オカシゲな県道に行ってきまつた。 神奈川県の一般県道701号、大山秦野(おおやま-はだの)線だ。 その異様な様子は右の地図の通り。 県の資料によれば、「起点」が伊勢原市大山の一般県道611号大山板戸線(通称:大山街道)上にあることになっているが、地図上に県道色で塗られた道が現れ始めるのは、その県道611号から400mほど山に入った地点からである。しかも点線として。(縮尺の小さな地図では、伊勢原市側の道は全く描かれていないこともある) 海抜450mの「峠」付近は林道と重なっているのか、とにかく地図上では林道が県道色で塗られている。 そして秦野市側だが、麓へ下っていく林道を尻目に、県道は忽然と消失。 …したかと思えば、またヒョロヒョロと現れては県道70号秦野清川線にぶつかって「終点」である。 山腹に突如現れたり、峠で消えたり、まるで幽霊か蜃気楼。 「おお、山肌の

  • 道路レポート 国道291号 清水峠(新潟側) <リベンジ編>

    忘れない。 2007年10月8日、午前7時08分。 もうどうにも進むことが出来なくなった我々が、遂に撤退を決心した、あの場面。 傍らには、滝が落ちていた。 “国道”を横断して流れ落ちる、小さな滝。 仰ぎ見る、上れない土斜面。 顔面を伝ったものは、滝の飛沫と前夜から降り出した雨の雫だけではなかった。 二日にわたる挑戦は、唯一の目的を果たせずに終わった。 まさか、我々が二人がかりで挑んでも駄目だなんて…。 そんな傲りをしたたかに打ち据えられた屈服感のなか、上擦った声で放たれた精一杯のことば。 「 くじさん。 このままでは終わらせないぞ…。 」 “ナル水沢の撤退” から1年、 約束に違わず、二人は再び未踏国道へ挑んだ。 ※このレポートは、「道路レポ 国道291号 清水峠(新潟側)」の続きです。 群馬県前橋市と新潟県魚沼市を結ぶ一般国道291号のうち、群馬と新潟の県境にそびえる清水峠の前後約27k

  • 【山さ行がねが】道路レポート 大白川林道

    【所在地(別ウィンドウ)】 これから紹介する大白川林道には秘密がある。 それはかつて一夏だけ、国道158号の迂回路として一般車両が通行していたという事実だ。 国道の迂回路として並行する林道が使われたという記録は各地にあるが、その道が現在ではすっかり廃道になっているという点で特異といえる。 大白川林道が国道の迂回路になったのは、昭和41年の7月頃から翌42年春までの半年ほど。 その原因は、国道を襲った大規模な斜面崩壊だった。 そして、あなたは既にその現場を見ているかも知れない。 以前に紹介した『道路レポート 国道158号旧道 水殿ダム~奈川渡ダム(第2回)』の「ずみの窪隧道」脇の旧道こそ、まさにこの時廃止された区間だったのである。 それでは、 誰も知らない、一夏だけの国道へ、GO

  • 【山さ行がねが】道路レポート 釜生林道

    【周辺地図(別ウィンドウ)】 房総半島と言うところはもの凄く林道が多いところで、半島内陸部の房総丘陵に網の目のように張り巡らされている。 しかも、これはもう房総のお家芸とでも言うべき隧道の多さ。 これが林道にまで浸透しているのだから、タマラナイ。 ほんの数キロの林道に、素堀であったり無かったりの隧道が5以上並んでいるような、隧道連続地帯が、ざらにある。 しかし私も贅沢なもので、たくさんあるのだと知っていると、なんだかありがたみが薄れる気もする。 しかも関東という土地柄から、生半可の林道であればバイクの猛者たちが走破済みで、サイトやブログに情報がわんさか蓄積されている。 こうなると、私の生きるべき場所は限られている。 バイクでは入れなさそうな、廃林道に廃隧道だ。 というわけで、それっぽいところを地図で探して行ってみたのが、これから紹介する林道。 名前は分からないままなので、とりあえず起点

  • 【山さ行がねが】道路レポート 奈川渡ダムの謎の道

    前に、長野県松市にある奈川渡ダムそばの国道158号、「入山トンネル」の東口坑口前で、右の隧道を発見したのを覚えているだろうか。 そのときのレポはこちら→【道路レポ 国道158号旧道 水殿ダム~奈川渡ダム (第5回)】 その場所はこちら→【周辺地図(別ウィンドウ)】 それは、人が立って入るのがやっとと言うくらいに狭い、明らかに人道用の隧道である。 写真に出口は写っていないが、長さはかなり短くて、覗き込むと向こうの光が20mくらい先に見える。 しかし、入り口には施錠された鉄格子が填められていて、進入はできない。 この閉ざされた隧道は、こんな異様な場所にある。 国道の直角コーナーの先にあるにしてはあまりにも目立っていない。 周りに存在感のある標識や看板が多すぎるためだが…。 ドライバーに危険な錯誤を起こさせかねない正面の隧道にはスッコンデいてもらいたい。 それが松工事事務所の音であろう。

  • 【山さ行がねが】道路レポート 長野県道26号 奈川木祖線 奈川渡ダム~奈川

    【周辺地図(別ウィンドウ)】 このレポートは、「道路レポート 国道158号 水殿ダム~奈川渡ダム」の続編である。 nagajis氏とタッグを組んで梓川筋の隧道・旧道・廃道を手当たり次第に攻略する旅は、その重要な経由地である奈川渡ダムに到達後、少し寄り道をすることにした。 ターゲットは、奈川渡で国道158号より分岐して旧奈川村から木祖村方面へ繋がる県道26号「奈川木祖線」にある、4の隧道たちだ。 水殿ダムから奈川渡ダムまでの区間にも5の隧道があったが、ダムへのもう一つの接近路である県道26号にある隧道は4。 由来もダム工事に関する路線の付け替えということで前者と共通する。 なお、前回レポートの冒頭でも語ったとおり、私にとってこの一帯は、“トンネルではない「隧道」への目覚め”のエリアである。 特に我が家では、毎回この県道26号から梓川筋へ入っていた憶えがある。17.8年も前だから、当時

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道158号旧道 水殿ダム~奈川渡ダム

    右図は、安曇三ダムと通称される梓川に連なる3つのダムを中心とした、松市安曇地区(旧安曇村)のマップである。 3つのダムは、東京電力が昭和30年代以降に開発したもので、主に発電、次いで農業水利と洪水頂設に用いられている。 最も下流の稲核(いねこき)ダムから水殿ダムをへて奈川渡ダム、そしてその上流端である沢渡まで、水面高低差200mを付けながら、梓川には約15kmも湖が連続していることになる。 ダム有るところに、廃道あり。 このセオリーはこの場所でも生きている。 梓川の流に平行する国道158号はもちろん、奈川渡で南に分かれる県道26号、そして前川渡で分かれる県道84号のいずれにも、当然のように水没を喫した廃道が存在する。 おいおい紹介していくことにもなるだろう。 だが、私にとってこの国道158号の梓川筋は、単に廃道を巡って終わりという、行きずりの場所ではない。 日中の道の中でも、ここの現

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道158号旧道 猿なぎ洞門

    平成3年10月18日、 国道の現役の洞門が巨大な土砂崩れに呑み込まれ、あっという間に破壊されるという事故が発生した。 しかも、その模様は偶然にも、対岸の集落に住む安曇村役場職員によってビデオ撮影がされていた。 真新しいコンクリートの洞門が、落雷のような轟音とともにひしゃげ、無惨に崩れ落ちて行くショッキングな映像は、当日夕方のニュース映像にも使われており、ご記憶にある方もおいでだろう。 私もおぼろげながら見た記憶がある。 現在もこの映像は土木の世界において各種の解析に用いられているという。 これは、長野県松市と福井県福井市を結ぶ国道158号上で、関東方面から上高地へと向かう玄関口の安曇村島々地区、「猿なぎ洞門」での出来事だった。 一歩間違えれば、昭和46年に静岡県の国道150号で発生した石部洞門崩落事故や、平成8年に北海道の国道229号豊浜トンネルでの崩落事故のような大惨事になっていただろ

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道293号旧道 越床峠

    これから、地図上で「越床峠」の歴史をさかのぼる、 時空旅行にお付き合い願いたい。 先に簡単に越床峠の位置を説明しておくと、 …まあ文章よりも地図を見た方が早いだろうが、 栃木県の西南端で足利市と佐野市の境にある、小さな峠である。 地勢的には、奥羽山脈から南に連なる足尾山地が、いい加減関東平野にぶつかって終わろうとする、最後のぽよぽよ。 この ぽよぽよ をサラッと乗り越える峠である。 越床の読みは、「こしどこ」。 意味はそのまま、越し処=峠 ということだろう。 まあ、平凡そうな峠である。 それでは早速、タイムスリッーーープ!! と、その前に、 まず今の地図を見ておかなければね… はい。 どう? こんな感じで、まあこれと言ってコメントのない峠風景である。 もちろん、当サイトの読者ならば、既に峠の旧道に目星を付けているだろう。 ついたよね? では、その答え合わせを、次の地図で…。 皆さん、予想通

  • 【山さ行がねが】道路レポート 塔のへつりの廃道

    2008/7/29 9:57 《現在地》 ここは福島県南会津郡下郷町の一角で、大川(阿賀川)の西側にいくつかの集落を束ねる白岩地区だ。 写っている赤い橋は「塔のへつり橋」。 「えっ? つり橋? これって吊り橋じゃないよね?」 いえいえ。 “塔のへつり”で一つの地名。 この辺りではかなり名前の知れた、岩と水の織りなす景勝地である。 橋が渡る大川の500mほど上流にそれはある。 ちなみにこの道自体は下郷町の町道だ。 で、右に下っていく細い路。 気になるすべ? 分岐に何の案内も無いところを見るに、この立派な橋の旧橋にでも繋がっていそうだ。 そう思ったので、歩きで見に行ってみることにした。 あれれ? こんなトコロに一軒家が。 道は、ちょっと無理やりなカーブを重ねながら、一気にその庭先へと下って行くではないか。 これは… 旧道とは関係ないのか? もう少し行ってみる。 一軒家への道を無理やり右に分かち

  • 【山さ行がねが】道路レポート 割石の高崖みち

    2008/7/4 7:01 《現在地》 このレポートを書いている時点ではまだ最終回を迎えていない長編、廃線レポート「神岡軌道」の探索は、7月3日に始めたが一日で目的を達することが出来ず、日4日へとずれ込んだ。 3日は神岡の市街地(飛騨市神岡町)にある「道の駅かみおか」で夜を明かし、この日は朝から、前日の終了地点である東漆山へとチャリを漕いで向かった。 もちろん、前日から引き続き相棒nagajis氏がいる。 その途中、割石という地名のところで、トンデモナイ風景に遭遇してしまった。 国道41号を神岡市街から富山方向へ向かうと、はじめのうち高原川の左岸を、対岸に神岡鉱山の巨大施設や禿げ山を見ながら進むことになる。 そして、2kmの少し先で「吉ヶ原橋」という大きな橋で右岸に移ったかと思うと、また1km以内に「割石(われいし)橋」で左岸へ戻る。 この辺りが割石地区であるが、国道沿いに集落は無い。

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道289号 甲子道路の廃止区間

    再訪 してきました。 「山行が」レポートの中でもかなり問題作として物議を醸した、あの“隠密探索”の地に。 「甲子道路」といえば、古い読者さんならお分かりだろう。 工事関係者の目を盗んで突撃した、廃止されたてのトンネルたち。 あれから3年。 ⇒問題の「過去作」 【位置】 これは、最新の地形図から見た甲子道路の甲子工区である。 甲子道路は計画全長23.3kmに及ぶ国道289号のバイパスで、従来車の通れない登山道国道であった甲子峠区間を結ぶべく、昭和50年以来工事が続けられてきた。 そして今年(平成20年)、32年にも及んだ工事はいよいよ開通の予定である。 このうちの甲子工区は、最も早く平成7年に開通していた。 だが、一度は開通した甲子工区に事件が起きたのは、平成14年のことである。 詳しくは前回のレポをご覧頂きたいが、平成14年7月の台風通過に伴う大雨で、地中の地層がずれたことが「事件」の発端

  • 【山さ行がねが】道路レポート 都道201号 十里木御嶽停車場線

    【位置】 一般都道201号十里木御嶽停車場線(じゅうりぎみたけていしゃばせん)は、あきる野市十里木から養沢(ようざわ)へ入り、日の出山山頂付近、御岳山山頂付近を経て青梅市滝へ下り、さらにJR御嶽駅前に達する全長15kmあまりの都道である。 この道には都道としては珍しい自動車交通不能区間が約3kmという長距離(あきる野市養沢~青梅市御岳山)にわたって存在するばかりでなく、一部で2路線の都道が交通不能区間のまま重複するという、日唯一の区間がある。(これは県道でも珍しい) 正直、3kmという交通不能区間をチャリで踏破する事への不安は小さくなかったが、都内ということでそれなりに踏まれているだろうと考えてチャレンジしてみることにした。 またこの道には、私にとって前述の交通不能都道同士の重複区間ということ以上に興味深い“エリア”があった。 それはあきる野側(図中右下)から行って自動車交通不能区間の

  • 【山さ行がねが】道路レポート 保台清澄連絡道路

    2008/4/2 10:34 <現在地と周辺地図> ここは、2000年に完成したばかりの保台(ぼだい)ダムの堤体の上。 クルマからチャリを降ろし組み立てる。 (保台ダム:千葉県鴨川市の待崎川上流にある上水道・灌漑用ダム) 今は、2008年4月2日の午前10時半過ぎ。 これから、日のメーンディッシュへ挑む。 いまは、精神修養中だ。 この旅は、きっと過酷なものとなるだろう。 ダム湖の周りには一周約3kmの周回道路が作られているが、ターゲットはダムサイトより400m上流の地点で周回道路から右へ分かれる。 図に描かれた湖畔のカタチを見て欲しい。 決して大規模ではない人造湖がこんな複雑なカタチをしている訳はなんだろう? それは、地形が複雑に入り組んでいると言うことに他ならない。 この場所にダム湖が作られた理由を考えて欲しい。 簡単なことだ。 それは、谷がとても深いからだ。 10:39 装備と気持ち

  • http://yamaiga.the-orj.org/dounyu/tabasho/main.html

  • http://yamaiga.the-orj.org/dounyu/kasiwa/main.html

    yamaiga
    yamaiga 2010/05/30
    <ORJお試し“無料”レポ>
  • 【山さ行がねが】道路レポート 清川村道土山高畑線

    <周辺地図> 首都圏を代表する水瓶の一つ、宮ヶ瀬ダム。 神奈川県の中北部、丹沢山系の麓に県内最大級の貯水池「宮ヶ瀬湖」が湛水を開始したのは、平成10年のことである。 都心からわずか50kmという好立地に加え、豊富な自然が色濃く残っていることから、現在では「ダム湖百選」にも選ばれる一大レクリエーションゾーンになっているのだが、この巨大な人造湖の湖畔に通常では辿り着く術のない…“不思議な橋”がある。 そしてこの橋は、観光客や釣り人など湖を訪れる大勢の目に、大変奇異な光景として映っている。 私が“この橋”について興味を持ったのは、かれこれ5年以上も前のことだ。 当時の私は当然秋田に住んでいて、また、20年ほど前まで横浜に住んでいた時分には、この宮ヶ瀬のまだ沈んでいない道を走った事はあった筈だが、ともかく、見ず知らずの「宮ヶ瀬ダム」が興味の対象になる環境ではなかった。 それなのに私が“この橋”につ

  • 【山さ行がねが】道路レポート  

    大崩海岸。 なんと直感的な名だろう。 誰しもがその名から容易に想像する険しい断崖絶壁は、“東海の親不知”とも呼ばれ、絶海を隔てて富士を眺める風流景勝の地であると同時に、交通の難所として日の交通史に存在感を示し続けてきた。 大崩海岸とよばれる約5kmの海岸線は、静岡県静岡市と焼津市の境にある。 南アルプスの南端が太平洋駿河灘に落ち込む、陸と海の鬩(せめ)ぎ合いの合戦場だ。 険しい場所ではあるが、内陸へ入ればそこには数千メートル級の山脈が連なっているため、沿岸地域は古くから東西日を繋ぐ交通の要衝であり続けた。 日武尊の時代から戦国、平安、そして江戸時代、明治・大正・昭和・平成まで、国の要となる大路がこの一帯を通過してきた。 徒道、そして鉄道、さらに自動車道へと形を変えながら。 近世以降、日最大の道であった「東海道」。 現在の国道1号は東海道をほぼ忠実になぞっており、海岸線から10kmほ

  • 【山さ行がねが】道路レポート 旧東京府道242号 日原氷川線 (日原5期道) 

    これまで4編の都道204号日原鍾乳洞線の旧道に関するレポートを公開してきた。 そして、“とぼう岩”付近には現在の都道に至るまで、実に7世代もの道が存在していたことを突き止めた。 このうち、私が主な探索の対象としたのは、「3期:江戸道」「4期:大正道」「5期:昭和道」である。 緑:3期「江戸道」 江戸中期に日原の原島家が中心になって、とぼう岩に初めて横断する道が付けられた。 なお、探索の結果最も困難な岩盤に一の隧道を発見しているが、これが江戸道であるかは未だ不明である(レポ) 橙:4期「大正道」 大正4年に改修された道で、氷川から樽沢まで荷車の通行が可能になった。府道242号日原氷川線と呼ばれた。(レポ) 赤:5期「昭和道」 昭和6年に、従来の「大正道」を惣岳吊橋から日原まで延伸し、遂に全線荷車の通行が可能となった。引き続き府道242号と呼ばれた。今回攻略目標! 青:6期「旧都道」 昭和1

  • 【山さ行がねが】道路レポート 福島県道318号 上小国下河原線 

    道路レポート「福島県道318号上小国下河原線」(以下「編」と呼ぶ)を公開した数日後、 地元に住むというある読者様から、レポート投票欄経由で一通の感想メールが届いた。 子供の頃よく行き来した道です。 昭和30年前に隧道建設をしましたが、工事費、町村合併などの理由から工事は中止されたと聞いています。 昔は、入口までの道があったのですが、今は解らないでしょう。 これはッ! と思った。 山行がをやっていて一番嬉しいのは、地元の方や実際にその道の現役を体験した人からの感想や情報を貰ったときである。 しかもその内容は、私にとって非常に衝撃的なものであった。 編を見返して貰えると分かると思うが、この僅か0.7kmの自動車通行不能区間に車道は存在しない。 小さな切り通しの藪道があるのみで、歩いてやっと通り抜けられるような代物だった。 しかしこの情報によれば、ここで昭和30年以前に隧道の建設が行われたと

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道291号 清水峠 新潟側 

    おそらく、日でもっとも有名な廃道の一つである。 多くの廃道ファンや国道ファンが、畏敬を込めて、こう呼ぶ。 清水国道 と。 清水国道の歴史は古く、明治の初期にまでさかのぼるのであるが、これは後にしよう。 それよりも、先に現状から説明したい。 清水峠は、群馬県と新潟県の県境(上越国境)上にあり、列島の中央分水界をなす、海抜1,448mの峠である。 この道は国道291号に指定されているが、峠の前後あわせて約28kmが「自動車交通不能区間」となっており、俗に言う“酷道”のひとつである。 これはおそらく、全国でも最長クラスの国道における自動車交通不能区間であるが、それでも群馬県側の大半は登山道になっていて、多少健脚であれば誰でも歩くことが可能である。 そして、素晴らしい景観を誇る清水峠に立つことも出来る。 だが、新潟県側の大半の区間(約12km)は廃道になっていて、 ここ何年、或いは何十年の間、誰

  • 道路レポート 中央自動車道 旧道 

    今回紹介するのは、数多くの道を紹介していた「山行が」でも初めてのジャンルである。 それは、高速道路の廃道である。 そんなものがあるのかと思われるだろうが、確かに高速道路で廃道になった路線はない。 昭和38年の名神高速道路栗東IC~尼崎IC開通以来、日の高速道路45年の歴史の中で、一度開通した高速道路は今日まで継続的に利用されてきた。(ただし一例のみ、北陸道において一般道路に格下げとなった区間が存在する) 今回採り上げる“高速道路の廃道”とは、線形改良によって生じた部分的廃道である。 一般道路においては線形改良による路線の更新は頻繁で、全国にそれこそ無数に存在しているわけだが、ことさら大がかりな工事と、それ故十分な事前調査を行って産み出される高速道路においては、そういったケースでさえ稀で、私がネット上で調べた限り全国でもわずか2例しかない。 そのうちの一例が、中央自動車道の上野原IC~大月

  • 【山さ行がねが】道路レポート 鬼怒川温泉の廃観光道路 

    例年、その年の一番始めに書くレポートを何にするかで悩む。 やはり一年の始まり、自分自身の士気を高める上でも、あまりしょうもないレポで明けたくないし、また、多くの読者様の「廃道初め」になるのかも知れないと思うと、そう軽々とネタを決定できないものだ。 そんな中で、今年はわりかしすんなりと決定した。 表題は仮称なのだが、正式な道路名がまだ判明しないので、やむを得ない。 しかし、この道の状況をよく現すタイトルにはなったと思っている。 「東京の奥座敷」と呼ばれ、箱根と共に関東を代表する温泉場である栃木県日光市の鬼怒川温泉。 そこに廃道があるとの情報を手にしたのは、平成18年の夏頃だった。 情報提供者は、『険道と標識のページ』を運営する春日氏である。 どうもその廃道の途中には一の隧道があるらしく、それより先は訳あって未調査だという。私は彼からその調査を託された形となって、いざ訪問の機会を覗っていた。

  • 【山さ行がねが】道路レポート 茨城県道248号八溝山公園線 

    八溝山にある二の不通県道のうち、栃木側から登ってくる栃木県道28号「大子那須線」を攻略。八溝山の肩に達した私は次に、県境線を越えて茨城県側の不通県道である「茨城県道248号八溝山公園線」を使って下山する事にした。 まさに登りも不通、下りも不通という、不通県道マニアにとっては垂涎のルートセレクティング! 二の県道を結びつけるものは、県境線の尾根に沿って山頂を目指す「八溝林道」だ。 簡単にではあるがこの林道もレポートしつつ、不通県道を目指すことにする。 なお、市販の地図には一部、例えば右に挙げたもののように、福島県道377号「八溝山線」と茨城県道248号を県道の色で結びつけているものもある。 だが、帳簿上の県道指定区間は県道377号が福島・栃木県境以下、県道248号は八溝山林道との交差点以下である。 また、こうしてレポートを書いていてもこんがらがるほど、この山域には八溝の名を冠した道が多い