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2010年8月1日のブックマーク (6件)

  • 【山さ行がねが】ミニレポート第153回 国道148号旧道 山之坊橋 

    申し訳ないが、今回の物件についてはお手上げだ。 これからご覧頂く橋。 一見ただの旧橋なんだが、どうにも理解できない部分がある。 とりあえず手元の資料にあたっても、謎は全く解けていない。 当なら、自分なりに答えを見つけてから発表したかったが、ちょっと無理っぽい。 皆様のご高察を賜りたい。 助けてくれ。 で、問題の橋はここにある(→)。 姫川沿いを通る国道148号の旧道。 対岸は長野県小谷村だが、ここは新潟県糸魚川市である。 そして、橋の名前は「山之坊橋」という。 この探索は行きずりで、北から南へと進められた。 2010/5/18 11:05 現道と旧道の分岐地点。 背景の大きな山は、海抜1518mの一難場山か。 左には姫川の広い谷が口を空けている。 姫川温泉で知られる平岩の集落も遠くに見えてきた。 簡単なバリケードで塞がれている旧道に入る。 私にとっては呼吸するに等しい行動だが、そうでなく

    yamaiga
    yamaiga 2010/08/01
    <ミニレポ-153>誰か教えて! この構造の意味を
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第152回 山形県道279号荒谷原崎線 旧道 

    山形県内陸部には山形盆地という日有数の大きな内陸性盆地が広がっており、これを書いている7月から8月頃にかけては日有数の酷暑の地となる。 そして東北の例に漏れず、冬は豪雪に閉ざされる。 これだけを見れば決して住み良さそうではないのだが、住めば都ということか、山形盆地こそが数十万人が住まう山形県の中心的な生活圏である。 そんな山形盆地のほぼ中央部にあって交通の枢要を押さえているのが、サクランボや将棋の駒の産地として名高い天童市である。 ここは盆地を南北に貫く羽州街道から、東へ関山峠越えの関山街道が別れており、近世から近代そして現代と、常に人の流れが絶えない。 羽州街道とは現代の国道13号であり、関山街道とは国道48号のことである。 だが、そんな交通の要所であっても、当然のようにそれとは機能を異にし、もっと言えばごくごく地元の人ばかりが使うような道もある。 それは当たり前のことであるが、時に

    yamaiga
    yamaiga 2010/08/01
    <ミニレポ-152>心に沁みる、山裾の旧道
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第151回 富山県道187号荒屋敷月岡町線 

    なんの脈絡もなく、マイナーな県道を紹介する。 富山県道187号「荒屋敷月岡町線」は、富山市(旧大山町)内の山と平野を結ぶ、幾つもある行き止まりの県道のひとつである。 全長は約12kmで、道中にはこれと言って大きな集落も、観光名所になるようなものもない。 それを敢えて紹介するのであるが、きっかけは読者さんから寄せられた情報である。 「気になる道がある」らしいので、さほどアクセスの難しいような場所でもないし、通りがかりに寄ってみたのが今回のレポートだ。 …気軽にね。 情報があったのは、この道の終点側に近い下渕地区である。 そこまで行くのも、この県道187号に拠った。 神通川支流の黒川に沿って一だけ奥まで通じているのがこの県道で、現在のところ他に乗用車でアプローチ出来るようなルートは無い。 なお、途中は見ての通り、何の変哲もない2車線舗装路である。 むしろ、交通量の割には良く整備されている印象

    yamaiga
    yamaiga 2010/08/01
    <ミニレポ-151>行き止まりの県道の力尽きた新道
  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 小鹿野町三山の廃吊橋 

    2010/2/25 16:16 秩父市から西北西の方向に荒川支流の赤平川をさかのぼり、志賀坂峠から群馬上野村へ、さらに信州へ続く国道299号。 その途上の小鹿野(おがの)町三山(さんやま)地区旧国道脇に、珍しい形をした廃吊橋がある。 今回はそれを紹介したい。 右の地図にカーソルオンで拡大する。 田ノ頭と久月の間の国道は、新旧道が赤平川を挟んで並行している。 途中、北岸の旧道から南岸の現道に向けて一の橋が架けられているが、これが今回見つけた橋だ。 最新地形図に描かれてはいても、これが廃橋なのだった。 なお、探索を終えた現在でも、この橋の素性は不明のままである。 正式な名前さえも分からないので、地区名を取って「田ノ頭吊橋」と仮称することにする。 目の前を流れる川は赤平川。 奥は下流方向となる。 谷幅の割に水量が少ないのが目に付くが、その理由は分からない。 そして左岸の1車線の道路は旧国道で、

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道148号旧道 下寺地区

    これは当サイト最初の国道148号関係のレポートだが、今回紹介する区間はその数多く存在する旧道の中では小規模であり、代表的と言えるようなものではないので、路線の全体像については次の機会に譲ることにする。 ここでは単に、新潟県の糸魚川市と長野県の大町市を結ぶ、おおよそ70kmの一般国道であることだけを述べておく。 70kmという距離は国道としては長い方ではなく、その道筋は新潟県糸魚川市、長野県小谷(おたり)村、白馬村、大町市の4市村のみに納まっている。 今回紹介するのは小谷村北小谷は下寺地区の旧道であるが、その位置は右図の通りである。 あわせて山行が初登場である小谷村についても簡単に紹介すると、ここは典型的な豪雪の山村である。 面積の9割近くは山林、しかも東西を標高2000~2500mの山岳が画しており、ほとんどの集落は中央を流れる日有数の清流姫川(平成12年と13年の一級河川における水質調

  • 【山さ行がねが】廃線レポート 千頭森林鉄道 [総扉ページ]

    その経営規模は極めて大きく、昭和44年度の予算規模は約11億5千万円と全国350署中の一位を占め、日における表街道である東海道筋にそのようなマンモス署が存在することは特異なことといえる。 昭和46年版「千頭営林署管内概要」より 昭和44年当時の千頭(せんず)営林署は、全国350の営林署のなかで最大の予算規模を誇っていた。 このことは同署発行の「管内概要」自らが「特異」だとしているが、確かに誰もが知っている青森や秋田、それに木曽などの“林業国”を差し置いて、静岡県の一部を所管する千頭営林署がそのような地位にあった事は意外である。 ということは当然のことながら、千頭営林署を所管する東京営林局の中でも同署が最大の営林署であった。 膨大な予算は、首都の名を冠する東京営林局が半ば宿命的に持たされていた、わが国の林業の模範となりまた先進的でなければならないという性格を反映させたものでもあった。 それ