2022年11月22日のブックマーク (1件)

  • 思ってたんと違う(11)「洞ヶ峠の順慶」にあらず。山崎の戦いのキャスティング・ボートを握った男・筒井順慶 - 大和徒然草子

    皆さんこんにちは。 筒井順慶という戦国武将がいます。 大和国(現奈良県)の国人領主の出身で、戦国きっての梟雄・松永久秀と大和国の覇権を争った順慶は、最終的に久秀に勝利して大和一国の守護に上り詰めた人物です。 しかし、順慶の名は一般に、「洞ヶ峠の順慶」として広まりました。 能寺の変に際して大恩ある明智光秀を裏切り、山崎の戦いでは日和見を決め込んで参加せず、最終的に勝ち馬の羽柴秀吉についたとされ、「優柔不断な狡い武将」という負のイメージが、以後つきまとうことになってしまいました。 一方、順慶とともに光秀の有力組下大名だった細川藤孝も、姻戚関係にある光秀に味方しなかった点では順慶同様ながら、能寺の変後の動きについての評価は、順慶に比べて随分高いように思います。 しかし、能寺の変直後の畿内の情勢を考えたとき、筒井順慶の立場は極めて重要なものであり、史実を追うと順慶はあまりに過小評価されている

    思ってたんと違う(11)「洞ヶ峠の順慶」にあらず。山崎の戦いのキャスティング・ボートを握った男・筒井順慶 - 大和徒然草子
    yamatkohriyaman
    yamatkohriyaman 2022/11/22
    洞が峠の順慶として日和見大名の代名詞となってしまった筒井順慶は天下分け目の山崎の戦いの勝敗に大きな影響を与えた武将。最も過小評価されている戦国大名がその時どう動いたかを記事でご紹介してます。 #戦国時代