皆さんこんにちは。 環濠集落は、戦乱が激化した中世には全国各地に発生し、その濠は江戸時代以降も灌漑・治水に利用され、昭和の初め頃まではありふれた農村風景の一つでした。 しかし、戦後の経済成長で急速に進んだ宅地化によって、濠は埋められ、あるいは暗渠化され、多くの環濠が失われました。 大阪府の摂津・河内地域は、かつては多くの環濠集落が存在しましたが、宅地化の波に呑まれてほとんどの環濠が消失した地域です。 今回ご紹介する大阪市平野区の喜連環濠も、そういった環濠の一つ。 しかし、大阪市内にありながら、現在も環濠時代の多くの社寺や古民家と、中世以来の環濠集落に特徴的な道筋を残す町です。 喜連環濠(喜連城)とは 環濠内 北口地蔵 西口地蔵 南口地蔵 馬倉地蔵 東口地蔵 尻矢口地蔵 如願寺 楯原神社 中高野街道・屋敷小路 近隣情報 参考文献 喜連環濠(喜連城)とは 喜連環濠の場所はこちら。 大阪きっての