ブックマーク / kojikint70.hatenablog.com (65)

  • 古事記の神様と神社・番外編(2) - のと爺の古事記散歩

    番外編第2弾です。古墳の話ですよ。私は古墳については全くの無知で、何も分かっていないのですが、芝公園に古墳があるということだけは以前から知っていました。あらためて地図を眺めてみたら、どうやら芝東照宮の裏手あたりだということが分かり、東照宮参拝の後に行ってみっか!となった次第です。 場所はここです。 さて、どこが入口なんだろうと思いながら公園内をうろうろしていると、こんな標識を見つけました。じゃぁ、ここを行ってみっぺ! そうすると、ゴツゴツした石段がありました。登っていくとさらに木階段、またまた石段、えーっ、ほんとにここでいいのかな、ちょっと不安に・・・。 ハァーハァーいいながらやっと登りきるとちょっとした広場に出ました。そして、そこにあったのが伊能忠敬なんちゃら? なにこれ? 伊能忠敬測地遺功表とありますね。表? どれが? 勉強不足でよく分かりません。 あとで調べて分かったのですが、伊能忠

    古事記の神様と神社・番外編(2) - のと爺の古事記散歩
    yamatkohriyaman
    yamatkohriyaman 2019/09/10
    お稲荷様は多分鎮守社の一つだったんじゃないでしょうかね。
  • 古事記の神様と神社・ご近所編(12) - のと爺の古事記散歩

    東京都港区愛宕にある愛宕神社です。赤い大鳥居の奥の石段が不気味だなぁ~、なんだこりゃーー! この神社は東京23区でもっとも標高が高い(海抜26m)愛宕山の山頂にあります。だから、あの石段が・・・。なんでこんな高い所に造ったの?いやな予感がするぞーー。 1.場所 2.ご由緒 3.ご祭神 4.故事、伝承 5.参拝 1.場所 ここです。 行ってみて分かったんですが、現在、境内整備工事中で一部参拝ができなかったりしているので、写真もそんな感じになっています。 2.ご由緒 慶長8年(1603年)、江戸に幕府を開こうとする徳川家康の命により防火の神様として祀られました。その後、火災、震災などで全焼したこともありましたが、明治10年に 再建されたそうです。さらに戦災で社殿が焼失しましたが、昭和33年9月、氏子中の寄付により、御殿、幣殿、拝殿などが再建され、現在に至ります。 3.ご祭神 主祭神は火の神で

    古事記の神様と神社・ご近所編(12) - のと爺の古事記散歩
    yamatkohriyaman
    yamatkohriyaman 2019/09/05
    愛宕神社懐かしかったです。あの急石段を馬で駆け上がるなんて考えられないですよね。
  • 古事記の神様と神社・ご近所編(11) - のと爺の古事記散歩

    千葉県松戸市にある松戸神社です。市街地の交差点に面して一の鳥居がありますので、反対側の道から写真を撮っています。 1.場所 2.ご由緒 3.ご祭神 4.参拝 1.場所 ここですよ。 2.ご由緒 当神社のHPによれば、社殿は寛永3年(1626)年の創建とされ、神仏習合思想の影響で、かつては御嶽大権現と称したとのことです。また、郷土の伝承には水戸中納言光圀公の逸話が残っています。 光圀公が鷹狩でこの地を訪れた際に、当神社の大銀杏に止まった白鳥へ鷹を放とうとしましたが、鷹は微動だにしない。憤慨した光圀公は、弓で射ようとするも、弓手は動かなくなり弓も中心から折れてしまった。愕然とした光圀公は、折れた弓矢を奉納し、御神前に鎮謝して帰ったと伝っています。 以後、水戸徳川家より篤く崇敬されたとのことです。時代が変わった今でも、松戸の総鎮守として人々の暮らしを護っておられるのです。 3.ご祭神 日武尊を

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    yamatkohriyaman 2019/09/02
    以前柴又に住んでた頃があって松戸にはよく行きましたがこんな神社があるとは知りませんでした。
  • 古事記の神様と神社・ご近所編(6) - のと爺の古事記散歩

    次はどこに行こうかなぁ、とネットでいろいろ見ていたら、「関東最古の八幡神社」というキャッチコピー?を見つけ、場所が茨城県の下市だと分かりました。下市は前回行った常総市の隣です。こりゃ、行かずばなるまいと一人で盛り上がり、行って来ました。大寶八幡宮(だいほうはちまんぐう)です。 1. 場所 2.ご由緒 3.ご祭神 4.参拝 5. 休憩 6. 豆知識 1. 場所 こんな感じですよ。 2.ご由緒 とっても読みづらいので、当神社のHPから一部引用しますね。 白鳳時代の末期、文武天皇の大宝元年(七〇一)、藤原時忠が、常陸国河内郡へ下向の時、筑紫(大分県宇佐市)の宇佐八幡宮を勧請(神仏の分霊を請じ迎えること)して創建されたという。東国平定のための鎮護の神として、八幡宮を勧請したのである。宇佐八幡宮は、莵狭津彦命を祖とする宇佐諸石が、欽明天皇二十九年(五六八)に八幡神を勧請したのに始まるという。八幡

    古事記の神様と神社・ご近所編(6) - のと爺の古事記散歩
    yamatkohriyaman
    yamatkohriyaman 2019/08/08
    関東の古社は奈良や京都の大古社寺より、地元密着感がとても高くて大好きです。
  • 古事記の神様と神社・ご近所編(2) - のと爺の古事記散歩

    流山市の諏訪神社に行って来ました。 流山市にある諏訪神社に行って来ました。御祭神は国譲りの段で登場した建御名方神です。古事記では建御雷神との戦いに敗れた建御名方神は以後、諏訪の地から出ないと誓い許されたとあるのですが、そもそも建御名方神は出雲に住んだことはなく、もともとは諏訪の神様だったという説もあるようです。私は後者の説に賛同します。なぜなら争いに負けて逃げて来たような神様が諏訪大社の御祭神になるのかな、という疑問があるからです。 ミナカタは水潟の意で、諏訪湖の神格化だろうと言われています。古事記編者は、タケミナカタはもともとこの地方の土着の神だったが、逃げて諏訪に住み着いたと語ることによって土着の神が天つ神に服属したのだという位置づけにしたかったのではないかという解釈があり、私もそうだろうと思います。 社伝によると大同2年(807年)に、天武天皇の皇子、高市皇子の後裔である高階氏の一部

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