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軍事に関するyamiyohのブックマーク (8)

  • YouTube - とても危険なロケットランチャー

    ニコニコから

    YouTube - とても危険なロケットランチャー
    yamiyoh
    yamiyoh 2011/07/22
    フェイク?しかしこの後どうなったのか気になってしゃあない。
  • BBC 核攻撃のときの予定原稿

    BBC 核攻撃のときの予定原稿 [解説・講座] 2008年10月に公開された、1970年代のBBC 核攻撃のときの予定原稿の和訳です。原文: http://news.bbc...

    BBC 核攻撃のときの予定原稿
  • 自衛隊は暴力装置に決まってるだろ…

    GiGi @gigir 自衛隊は暴力装置に決まってるだろ…なんのためのシビリアンコントロールだよ…とか思って元記事を見たら「ある種の軍事組織」とか言ってた…おい、何故そっちが問題にならない…。 2010-11-18 16:34:22 GiGi @gigir タイトルがおかしい。言い換えたのは「軍事組織」>「実力組織」だろ…。そしてどう考えても問題発言は自衛隊を軍事組織といったことだろ…。頭が痛い。 / 官房長官:自衛隊は「暴力装置」…すぐに訂正「実力組織」 - 毎日jp(毎日新聞) http://htn.to/H3mPU2 2010-11-18 16:45:51

    自衛隊は暴力装置に決まってるだろ…
  • 暴力装置 - おおやにき

    いやいや何を言っているんだ自衛隊は国家の暴力装置に決まってるだろう(参照:「仙谷氏「自衛隊は暴力装置」 参院予算委で発言、撤回」(asahi.com))。国家が(ほぼ)独占的に保有する暴力こそがその強制力の保証だというのは政治学にせよ法哲学にせよ基中の基であり、その中心をなすのが「外向きの暴力」としての軍隊と「内向きの暴力」としての警察である。で、日では主として歴史的経緯によりこの両者が相当明確に区別され、かつ現実的にもあまり仲が良かったり悪かったりという話があるわけだが(戦前ならゴーストップ事件が典型ね)、フランスやイタリアにある国家憲兵隊制度や、発展途上国に多い警察軍制度に示されているように暴力としての質に違いがあるわけではなく向きを変えれば同じものであると、そう整理されることになる。 その上で、まあ法哲学的にはゆえに国家は質的に悪であるとする立場と、しかしこの暴力抜きには社

  • 「子ども手当の3分の2で独自防衛可能」 田母神氏ら自衛隊OB試算 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    在日米軍に頼らず日独自で防衛力を整備した場合、防衛費の増額分は最大で単年度あたり約1兆5500億円で、現行の約4兆6800億円(平成22年度予算)の1・3倍程度になることが、元航空幕僚長の田(た)母(も)神(がみ)俊雄氏と自衛隊OBらがまとめた試算で分かった。20年間で計約15兆2千億円の増額となり、この試算で必要最低限の防衛力が自衛隊だけで備えられるとしている。 戦後、専門家らによる軍事的試算が明らかになったケースはなく、普天間基地移設や尖閣諸島問題で日の安全保障が改めて政治的課題となる中、議論を呼びそうだ。 試算は、田母神氏のほか、現役時代に防衛費の積算などに携わった複数のOBらが行った。自衛隊で実際に見積もるのと同様の手法で試算を行い、2万人分の自衛隊増員分の人件費も含まれている。田母神氏は「単年度では、子ども手当の初年度費用(2兆2500億円)の3分の2程度であり、捻(ねん)出

  • ビールとタバコが大好物、第二次世界大戦で活躍したポーランド軍の勇敢なクマ「ヴォイテク二等兵」

    第二次世界大戦中ポーランド第2軍団第22弾薬補給中隊に所属し、激戦となったモンテ・カッシーノの戦いでは砲弾が飛び交うなか一度も弾薬箱を落とすことなく補給任務にあたったシリアヒグマのヴォイテクは、ポーランドでは英雄として知られています。 一兵卒として活躍するとともに、家を遠く離れたポーランド軍兵士たちの心を和ませる中隊のマスコット的存在として愛されたヴォイテクは、戦後共産圏となったポーランドを避けた中隊とともにスコットランドに駐屯し、エディンバラ動物園で1963年に死去したのですが、その最期の地となったエディンバラにヴォイテクを記念した像が建立されることになったそうです。 ヴォイテクが兵士たちと戯れる写真や映像などの詳細は以下から。Wojtek The Soldier Bear -  In the Ranks of Victors - Home Polish bear 'that fough

    ビールとタバコが大好物、第二次世界大戦で活躍したポーランド軍の勇敢なクマ「ヴォイテク二等兵」
  • 政府 核兵器保有の検討していた NHKニュース

    政府 核兵器保有の検討していた 10月3日 19時53分 1960年代の後半、日政府が、核兵器の保有について極秘裏に検討を進めていたことが、NHKが入手した機密資料からわかりました。当時の西ドイツとの間で核をめぐる秘密の外交協議を行っていたことが記されていて、核兵器を持たないという「非核三原則」が定着するまでの経緯を示す新たな事実として注目されています。 NHKが入手したのは、ドイツに残されていた西ドイツ外務省の機密資料です。それによりますと、西ドイツとの秘密の外交協議は1969年2月、箱根の旅館などで極秘裏に行われました。この5年前、中国が核実験に成功し、アジアで初めての核保有国になり、これ以上、核保有国を増やさないというNPT=核拡散防止条約が提唱され、戦後経済発展を遂げた日や西ドイツなどの国が核兵器を持たないよう促されました。秘密協議は、この条約の発効を翌年に控え、日側が西ドイ

    yamiyoh
    yamiyoh 2010/10/04
    まあ核兵器保有なんて絶対反対だけれども、あの時代に核兵器保有を検討するのは当然で、現実的な判断だとは思うね。検討して、最終的に「やっぱダメだな」という結論を出したんだから良し。
  • 命がけとは知らずに米軍の原水爆実験を記録し、歴史の闇に葬り去られたカメラマンたち

    1945年から1962年にかけて米軍が実施した原水爆実験を、極秘裏に映像や写真で記録していたカメラマンたちの部隊がいたそうです。 冷戦中に原水爆の開発に携わった科学者たちの多くが名声を得たのに対し、命がけでそれを記録したカメラマンたちは決して表舞台に出ることはなく、機密を保持したまま多くが亡くなっていったとのこと。半世紀を経て情報が公開されつつある中、その極秘撮影チームの数少ない生存者の一人George Yoshitake氏が当時を語っています。 詳細は以下から。Capturing the Atom Bomb on Film - Audio & Photos - NYTimes.com Secret Corps of Filmmakers Documented Nuclear Bomb Tests - NYTimes.com 原水爆実験を撮影したカメラマンたちのほか監督やプロデューサーなど

    命がけとは知らずに米軍の原水爆実験を記録し、歴史の闇に葬り去られたカメラマンたち
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