新奇にみえる精神分析と政治理論の交錯を試みる本書は、様々に興味深い。だが僕は、本書には無縁にみえる次の問いを立て、本書を政治的に詮索ゴシップしてみる。 ポピュリズムに善し悪しはあるのか、と。それは前―出来事的な浮遊する人頭ポピュレスの政治に関わるのか、とも。 この設問こそ、本書の隠された論点であり、バディウ、ランセラン、クーヴェラキスがヨーロッパ全体に及ぶギリシャ政治をめぐって鼎談した問題の核心(改良か、革命か)だった。 本書の構成をやんちゃに整理すれば、否認概念を軸とする第1部では、著者が言うラカニアン・レフトを臨界的外部から炙り出すために登場させられた同胞カストリアディスが検討され、師ラクラウの検討を経て、主要敵ジジェクをディスり、その戦略的な対比・・・・・・・・―離接のもとで・・・・・・第2部への結節環とされたバディウに、軽く秋波が送られる。 第2部では、著者にとっては不可欠な無意味
![ラカニアン・レフト ラカン派精神分析と政治理論 書評|ヤニス・スタヴラカキス(岩波書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/c1e9297a48b1645505bc8d58d8311c963dbe8142/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fdokushojin.com%2Fimg%2Fbook%2Fbook2550.jpg)