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ブックマーク / www.at-akada.org (7)

  • 『フィクションの哲学』検討会の雑感 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    ■ 感想 ふだんのゆるふわ形而上学読書会メンバーと数名で開催。 の性格を考えると、文学系の人が来てくれたのは大変よかったですね。わたしも文学理論や文学の哲学の話は元々の関心ではあるんだけど、ふだんあまりその話をする機会がないので、そういう話がいっぱいできて満足。 なお、3月には著者さまを呼んで開催する公式検討会もある予定だよ! ■ 『フィクションの哲学』について 前半「作者と語り手の分離」という定式化は二つに分裂してないか? 1つは、物語的な語りの特徴として捉えられた「視点の分離」(あまりうまく表現できない) もう1つは、単純に「わたし」が誰を意味するか。および真偽の追求先が誰にあるか ノンフィクションは前者は満すけど、後者は満さないよね。 このは、重要な主張が変なところにさらっと出てくる。 しかもかなり大胆な主張してるよね。 このの特徴付けだと、私小説って扱いがたくない? ウォルト

  • ブログ生成器をちょっと改良 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    ■ 赤田ブログ生成器(Akada Blog Generator) http://www.at-akada.org/cgi/akada-blog-generator/ ちょっと改良した。 括弧ひらくや括弧とじるがつづかないようにした。あと、の出版年などが途中にまざらないようにしたのでより自然な文を生成するようになったと思われる。当は、URLやの紹介は、まとまった単位として生成するようにしたいのだが、それは後の課題ということにした。 サーバーへの負担も思ったほどではなさそうなので、皆もっとガンガン生成してもいいです。 自分で生成したなかで気にいったやつを貼っておく。 ■ 考えたサービス ああいうものらしい。 榊原郁恵のと同系統の語用論。同じ小説の読者が教養を得ることがあるわけだが、リンゴの絵を描くが、読書手帳をまめにするよ。フランス語、ドイツ語、ヘブライ語バージョンなどもすべて実在するこ

  • Cian Dorr「抽象物は無いよ」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Contemporary Debates in Metaphysics (Contemporary Debates in Philosophy) Theodore Sider (編集), John Hawthorne (編集), Dean W. Zimmerman (編集) Blackwell Pub、2007 ゆるふわMetaphysicians勉強会で読んだ論文2つ目。 ずいぶん時間がかかってしまった。 1つ目の論文に関する記事は以下。 http://www.at-akada.org/blog/2008/12/chris-swoyer.html 一応、論文の要約くらいは毎回載せようかと思っているので感想やまとめなど。 (ずいぶん遅れてしまったので、実はもうこの次の論文も読み終わっている)。 書は、様々なテーマについて対立する立場に立つ2人の著者が文章を寄せた論集。 1章のテーマは、「

  • 飯田隆『意味と様相(上)』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    『意味と様相(上)』 飯田 隆 (著) 勁草書房、1989 言語哲学大河入門書(?)シリーズその2。 実は3しか読んでいなかったので2もはじめて読んだ。 巻では、論理実証主義、初期ウィトゲンシュタイン、クワインの言語哲学が解説・検討される。 目次 序章 必然性小史―アリストテレスからフレーゲまで 分析的真理と言語的必然性(論理実証主義の言語哲学) 規約による真理 分析性の退位―「経験主義のふたつのドグマ」 2章「規約による真理」はかなりの難物。むずかしかった。 「数学的真理は規約によって真である」「論理的真理は規約によって真である」という主張がそれぞれに検討され、さまざまな困難が指摘される。 結論としては両者とも「かなりのブレイクスルーがないかぎり無理」というところだろうか。 言い方を変えれば、「数学の哲学、論理学の哲学においてプラトニズムを避けることがいかに困難であるか」*。 ここで「

  • 田中ロミオ『AURA』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    『AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫 た 1-4)』 田中 ロミオ (著), mebae (イラスト) 小学館、2008 ■ 最初に こんなタイトルだしサブタイトルだしあんな序章だし、こんな表紙だしあんな帯なので、この小説がどんな話か知る前に「あー学園でファンタジーで悪と戦ったりするラノベなのね」と読まない人がいるのではないかと思う。 なので、最初に謎を解いておきたい。 まずタイトルの AURA は、作中では、「クラスの目立つ奴などから感じられる圧迫感(人間力)」という意味で使われている。 サブタイトルの 魔竜院光牙最後の闘い というのは、主人公の妄想脳内設定である。序章も同じ。 ヒロインは魔女服を着ているが、これはヒロインの脳内設定に基づくコスプレである。帯には、ヒロインの不思議なセリフが書かれているが、これはヒロインの脳内設定である。 要するにこれは、ファンタジーな要素な

  • デイヴィドソンを最大限活用するためのFirefoxプラグイン3つ - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    さて、科学の多くは「見えるもの」を観察し、「見えないもの」について明らかにしようとするものである。 デイヴィドソンが「根源的解釈」という状況設定を通じて提案した「デイヴィドソンのプログラム」にも見えるものと見えないものが仮定されている。 わたしの書いた図は上半分と下半分に分かれるが、上半分に置かれた「信念」「欲求」および「言語の意味」が見えないもの、下半分に置かれた「文」と、人と文の関係である「真と見なす」「選好する」が見えるものである。 さしあたって人の頭の中、つまり「信念(事実として受け入れていること)」「欲求(価値付け)」はわからないものと仮定されている。その人が話す言葉もわからないものとして仮定されている。そういう風に状況を設定したのだから当り前だ。 一方、人が「どの文を真と見なしているか」「どの文を良いもの/悪いものと見なしているか」はわかるものと仮定されている。それは言葉の意味

    yanoz
    yanoz 2009/03/26
  • その発想はなかった! 新しいデイヴィドソン - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    タイトルは再びホッテントリメーカーから。 だいぶ間が空きましたが、先日の記事について、はてなブックマークのコメント欄でやりとりがあったので稿を改めてここに書きます。間に引越しを挟んだのでずいぶん時間が経ってしまった。 まずid:contractioさんから「暮らしの中で解釈が必要となるのはかなり特殊な場面だけではないか」という質問がありました。 (またこれに関連し、Twitter上でいくつかやりとりがありました。以下の記事はこの辺りのやりとりを踏まえたものです)。 それに対し、私は以下のように答えました。 「日常的に意識的な解釈の必要がないのは、すでに言語理解が完了しているからだ」という理屈になるのではないかと。>id:contractio http://b.hatena.ne.jp/at_akada/20090130#bookmark-11885983 これに対し、以下のようなお返事があ

    yanoz
    yanoz 2009/03/26
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