ブックマーク / note.com/kirik (3)

  • 月刊『公明』24年6月号に「退縮する地方で取り組む撤退戦」について寄稿しました|山本一郎(やまもといちろう)

    公明党支持に至る経緯 国重徹さんという公明党の議員さんがおられまして(大阪5区)、ちゃんとお会いしたことは無いんですが、妹さんが若くして急死、ご尊父もがん闘病中に司法試験合格、その後刑事事件の弁護で名を馳せ、現在は議員として活躍というヤバい先生なんですよ。ヤバイ。まともすぎてヤバイ。 東京に生まれ育ち、住んだ選挙区ではどちらかというと動物園の人気投票になりがちな私からしますと、こんなちゃんとした候補者を政治家として選べる大阪5区民は羨ましいなって思うんですよね。 そんな国重さんの人柄を思わせる素敵なYoutubeの再生回数が330回とか世の中おかしいよと感じます。お前らもっと観ろ。 記事は、ワイ(山一郎)がなぜか公明新聞に呼ばれてお話したり、誌面に論考を月刊公明に寄せたよって告知です。が、プロテスタント(なんちゃってキリスト教徒)である山が何で公明党や創価学会に心を寄せてるのって話を

    月刊『公明』24年6月号に「退縮する地方で取り組む撤退戦」について寄稿しました|山本一郎(やまもといちろう)
    yars33
    yars33 2024/05/09
  • 藤田正美さん、本当にありがとうございました|山本一郎(やまもといちろう)

    訃報が飛び込んできたのが東京に戻る飛行機に乗る直前でした。しばらくご体調を崩しておられたのは存じていたので覚悟はしていたものの、もうお目にかかれることもないのだなと思うと一週間ほど気分の晴れない、実にぐずぐずとした日々を過ごしております。現在進行形です。 藤田正美さんは私にとって海外事情の調査や情報分野における先達、先輩にあたり、特に紛争地域になりそうな、それでいて日人や日企業、日系資が関わる状況予測の大事さについて良く語り合い、また取り組みでご一緒してきました。何度危ない橋を渡ったか数え切れませんが、かろうじて、どうにかなったのはご教導の賜物とも思っております。 藤田さんに何かを教え込まれたというよりは、物事に取り組む際の心構えや考え方についてアドバイスを頂戴し、その後は「自分で考えろ」というスタンスを藤田さんは貫いておられたこともあり、どっちかというとメンターとかそういう感じでし

    藤田正美さん、本当にありがとうございました|山本一郎(やまもといちろう)
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    yars33 2023/09/18
  • 「おまえ、noteぐらいやっとけよ」と若者に煽られる選ばれし者の記憶|山本一郎(やまもといちろう)

    母校、慶應義塾中等部は、部活棟こそ無くなったものの31年前私が通っていたころと変わらぬオンボロぶりでありました。 いや、校舎はボロくてもいいんですよ。 学ぶ諸君が楽しく中学時代を送ることさえできれば。 私はあまり楽しい中学生生活を送りませんでした。 数学研究会に入りオタク道を進む傍ら、草野球をやり、ゲームセンターに寄り道する日々。いまでこそ、かつての先輩同窓後輩はFACEBOOKに溢れ、日々仕事に家庭に活躍される皆さんがたと昔日を惜しむかのような交流をさせてもらっていますけれども、私は慶應義塾中等部が好きではなかったのだよ。 46歳になったいまようやく中学生時代の自分を客観視できますが、自分のしたいことを、全部はできない、誰からも理解されていないという、悶々とした日々を送っていたのです。 学校なんて燃えればいいのに。 先生もクラスメートも、みな死んでしまえばいいのだ。 このようなイケてない

    「おまえ、noteぐらいやっとけよ」と若者に煽られる選ばれし者の記憶|山本一郎(やまもといちろう)
    yars33
    yars33 2019/03/05
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