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ブックマーク / censorship.social (4)

  • 嶋田美子 | 表現の不自由展・その後

    焼かれるべき絵:焼いたもの 版画を1/3くらい焼いたもの、版画を焼いて灰にするまでの経過を撮ったスナップ、実際の灰、富山県立近代美術館宛の嶋田さんからの手紙、富山県立近代美術館からの返信 1993 OTA FINE ARTS Collection “A Picture to be⦆Burned (Burned)” 1959年東京都生まれ 千葉県拠点 この作品は、「’86富山の美術」に出品された大浦信行の《遠近を抱えて》への検閲事件を契機に生まれた。まず版画作品《焼かれるべき絵》は、「無傷」のものと燃やされ半分ほどなくなったものが対になっている。さらに富山県立近代美術館へ抗議の意を示すアクションも付随し、そのトータルで作品を構成する。展では、焼いた過程の写真、館へ送った灰や文章、封筒、返事なども併せて展示する。 冷戦以降の現代美術においては、多文化主義(民族問題など)やジ

    嶋田美子 | 表現の不自由展・その後
    yas-mal
    yas-mal 2019/08/06
  • 大浦信行 | 表現の不自由展・その後

    1947年富山県(日)生まれ 川崎市(日)拠点 作は1975年から10年間ニューヨーク滞在中に制作され、1986年、富山県立近代美術館主催「86富山の美術」で展示される。1993年、大浦は制作の意図を次のように語った。 「自分から外へ外へ拡散していく自分自身の肖像だろうと思うイマジネーションと、中へ中へと非常に収斂していく求心的な天皇の空洞の部分、そういう天皇と拡散していくイマジネーションとしての自分、求心的な収斂していく天皇のイマジネーション、つくり上げられたイマジネーションとしての天皇と拡散する自分との二つの攻めぎあいの葛藤の中に、一つの空間ができ上がるのではないかと思ったわけです。それをそのまま提出することで、画面の中に自分らしきものが表われるのではないかと思ったのです。」(大浦信行「自分自身の肖像画として―作家の立場から」、1993年6月6日、富山近代美術館問題を考えるシン

    大浦信行 | 表現の不自由展・その後
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    yas-mal 2019/08/06
  • 出展作家 | 表現の不自由展・その後

    「表現の不自由展」は、日における「言論と表現の自由」が脅かされているのではないかという強い危機意識から、組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品を集め、2015年に開催された展覧会。「慰安婦」問題、天皇と戦争、植民地支配、憲法9条、政権批判など、近年公共の文化施設で「タブー」とされがちなテーマの作品が、当時いかにして「排除」されたのか、実際に展示不許可になった理由とともに展示した。今回は、「表現の不自由展」で扱った作品の「その後」に加え、2015年以降、新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を、同様に不許可になった理由とともに展示する。 The exhibition was held in 2015 and the goal of the "Inconvenience of Expression Exhibition" was to highlight the ce

    出展作家 | 表現の不自由展・その後
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    yas-mal 2019/08/03
  • キム・ソギョン/キム・ウンソン | 表現の不自由展・その後

    キム・ソギョン(金曙炅) 1965年ソウル市(韓国)生まれ。ソウル(韓国)拠点。 キム・ウンソン(金運成) 1964年春川市(韓国)生まれ。ソウル(韓国)拠点。 作の作品名は《平和の少女像》(正式名称「平和の碑」。「慰安婦像」ではない)。作者は、韓国の彫刻家キム・ソギョン-キム・ウンソン夫で「民衆美術」の流れをくむ。民衆美術とは、1980年代の独裁政権に抵抗し展開した韓国独自のもので、以降も不正義に立ち向かう精神は脈々と継承されている。作は「慰安婦」被害者の人権と名誉を回復するため在韓日大使館前で20年続いてきた水曜デモ1000回を記念し、当事者の意志と女性の人権の闘いを称え継承する追悼碑として市民団体が構想し市民の募金で建てられた。最大の特徴は、観る人と意思疎通できるようにしたこと。台座は低く、椅子に座ると目の高さが少女と同じになる。それは見事に成功し、人々

    キム・ソギョン/キム・ウンソン | 表現の不自由展・その後
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    yas-mal 2019/08/02
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