陰暦令和5年11月カレンダー 吉田兼好が宮廷の蔵人(総務・文書係)を早期退職し、在家の沙弥となった1313年(30歳)ころは武士が公家から政権を奪い、国を治めるようになってから既に120年経っておりました。 世の中は再び王政復古を目指す倒幕運動や幕府内や皇室内での対立が頻発し、やがて滅亡していく鎌倉幕府凋落の時代でした。 兼好は西行や鴨長明と違い、在家の沙弥として41歳(1324年)を機に比叡山横川(よかわ)から京の仁和寺のある双ヶ岡(ならびがおか)に移り住み、俗世と接触し、歌人・文筆家としての生活を始めます。 yaseta.hateblo.jp 兼好は政治にまったく関心を持たず、随筆を執筆しています。同時に藤原家分流で藤原定家の子孫の歌人二条為世が主催する和歌の集まりにも通っています。 京の都に住んで、和歌の会合に出入りし、頻繁に起こる紛争や事件に宮廷・寺院・幕府の高名な人物が関与をした
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