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ブックマーク / www.isehanhonten.co.jp (4)

  • 伊勢半本店について | 文政8年創業 最後の紅屋 | 株式会社伊勢半本店

    文政8年(1825)、江戸時代後期に、伊勢半店は紅を製造・販売する紅屋として現在の日橋小舟町に創業しました。 かつては京都を中心に作られていた紅でしたが、化粧の習慣が一般庶民にまで普及し、江戸でも作られるようになります。初代・澤田半右衛門は、紅白粉問屋で20余年の奉公の後、独立。たゆまぬ努力に試行錯誤を重ねた末、主流であった京都製の紅に劣らぬ玉虫色の紅を完成させました。半右衛門が生み出す美しい玉虫色の輝きは、たちまち江戸で評判になったといいます。 創業より守り続けられてきた秘伝の製法は歴代の紅匠(紅職人)に受け継がれ、 また、もの作りに対する真摯な姿勢は、今日に至るまで伊勢半グループの商品に息づいています。 商号 株式会社 伊勢半店 創業 文政8年(1825) 設立 昭和22年(1947) 資金 1億円 社所在地 〒102-8370 東京都千代田区四番町6-11 TEL:03-3

    伊勢半本店について | 文政8年創業 最後の紅屋 | 株式会社伊勢半本店
    yaskohik
    yaskohik 2019/11/29
    “明治期の伊勢半店構え 『東京商工博覧絵』 明治18年(1885)刊行 国立国会図書館蔵”
  • 江戸時代の紅化粧 | 紅とは | 株式会社伊勢半本店

    化粧に欠かせない色-紅 江戸時代、化粧に用いられた色は赤(紅)・白(白粉)・黒(眉墨・お歯黒)の三色のみでした。その中で唯一の有彩色であった紅は、唇はもとより頬・目元・爪に、時には化粧下地として用いられることもあったほど、女性の顔に彩りを添える大切な「利かせ」の色だったのです。 頬紅 白粉と紅を混ぜて使用。くすみ防止や地肌そのものを明るく見せるために、白粉を塗る前に、目の周辺から頬にかけて紅を伸ばすこともあった。 口紅 口紅は淡くほのかに色付くようにつけることが良いとされた。おちょぼ口のような小さな口元が好まれたため、上唇・下唇共に、紅を点(さ)す面積はかなり小さかった。 アイメイク 現在のアイラインのように、目の縁に紅をひくことを目弾(めはじ)きといった。歌舞伎役者の舞台化粧として発生した化粧だが、町方の女性が真似たことを機に広く行われるようになった。 爪紅(つまべに) 爪先を紅や鳳仙花

    江戸時代の紅化粧 | 紅とは | 株式会社伊勢半本店
    yaskohik
    yaskohik 2019/11/09
    “「当世美人合踊師匠」 香蝶楼国貞 画 国立国会図書館蔵”
  • https://www.isehanhonten.co.jp/wp-content/uploads/2019/11/8735ee251cbdff20bf427441b1343a79.pdf

    yaskohik
    yaskohik 2019/11/09
    当世美人合踊師匠 歌川国貞画 国立国会図書館蔵
  • 紅ミュージアム | 文政8年創業 最後の紅屋 | 株式会社伊勢半本店

    紅ミュージアムは、江戸時代から続く最後の紅屋「伊勢半店」が運営する資料館です。 文政8年(1825)の創業時から今日まで受け継いできた紅づくりの技と、化粧の歴史文化を数々の資料と共に公開しています。 併設する体験ゾーンでは、紅のお試しづけに加え、科学的なアプローチから紅ならではの色の不思議にせまります。 「紅」を知り、学び、その美しさを体感できる空間、それが紅ミュージアムです。

    紅ミュージアム | 文政8年創業 最後の紅屋 | 株式会社伊勢半本店
    yaskohik
    yaskohik 2016/06/05
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