ブックマーク / akouroushix.hatenablog.jp (17)

  • 木俣さんの釣場の弁当 - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

    釣り師の朝は早いと言うのは相場が決まっております。 世の中ではそんなに役にも立たぬのが年甲斐も無いところで浮かれているんだろうと、お思いの向きもあるところ、確かに浮かれていないとははっきり言えない所が情けない有様なのですが・・・ 魚を釣ります時、「朝まずめ・夕まずめ」などと朝晩魚が良く釣れる時間帯が有るところで、釣り師はこれを狙うと言う事も有り、朝早くから朝駆けするのでもございます。 今は24時間営業の店などふんだんに有って不都合は無いのですが、昔は朝早く弁当などを売るところが御座いませんでした。 前の晩 昼に使う弁当と、なにぶん腹が減っては戦が出来ぬ、朝に腹に入れるものを段取りいたします。 どの釣り師も一緒で御座います、弁当を造ってもらえるのはほんの最初だけ、後はあきれ返られてどこかの弁当屋さんかお店でそれなりのものをそろえる、とまあこのように成るのです。 奥方様におかれましては「やっち

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  • もう勘弁してやってはどうかい! - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

    さてお立会い、何の変哲もない一枚の写真此れがどうしたと怪訝な顔をされるところですが、此れがどうこうするのですから世の中退屈はしないように出来ておるところで御座います。 さてこの車、何処にでも転がっていそうな古い物ですが、これがそんじょそこらにある古いものと一緒にされたのではかなわない、何しろ丁度50年目を迎えたところで大往生、ここ20年来夏には強力な暖房がよく効いて、冬には凍死体の製造機などとも呼ばれる冷房がこれまた容赦なく効くという、誠に不都合を絵に描いたような代物なのです。 そうあの携帯電話をたびたび海中に落とした高下君の車です。サニーの50年前式という代物で、この度あえなくご臨終と相成った次第、これを評して「JAFいじめ」の究極のお手とも言う人があって、これまでたびたびご厄介になったところだが、高下君にいたってはエンジン乗せ替でまだ鞭打つらしい。 「まだまだこれからですよ・・・」

  • 巻き上げられる波止場の釣り師と「菜っ葉の小母さん」の釣り ! - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

    波止場と申しますのは文字通りの事で、波を止める用向きで作られたものでして、決して釣り師がたむろする為に作られたものでは御座いません。 船を舫で船だまりにしますのと、もしもの大波や高潮のために備えるもので、そのもしもなどめったにあるものでは御座いませんで、大半は釣り師の手慰みの場と成るのです。 こちらの波止場は我々筏釣りの出船場とも成っておりますところ、いきおい筏の釣り師と波止場の釣り師が混在するということに成ります。 釣る魚と釣り方が違う為に分かれるのですが、話しと趣向が違ってきますから日頃あまり行き来はありません。波止場でも挨拶を交わす程度ということで折り合いは付いております。 どの集団にもおやと思わせる特異な人は有るもので、日頃あまり感心を持たぬ波止場の釣り師の中にも思わず目を向ける人のあるところです いつも手提袋を両手に提げて、少々丸っこい身体を終日ちょこまか動き回る極普通の婦人の釣

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  • 「といち」 じゃあないよ 「まばたきいち」だよ前川くん! - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

    世の中には誠に奇妙奇天烈、その上複雑怪奇なことが有りますもので、よほど注意を払わねば、けつの毛まで抜かれる羽目となって参ります。 先日もなにやら耳障りのいい事を申しますので携帯屋に出向いて参りますと、ああだこうだと能書きに責任回避の言い訳をまぶして、挙句巧妙に小銭を巻き上げる算段を凝らしているのですからいけません。 やたら複雑な仕掛けを親切で覆い隠しているのですから、油断した日にはあっという間の丸裸、とても米の飯にはありつけなくなります。 世の中は様々な決まり事や掟でがんじがらめのところ、おおよその常識の範疇に入っておりまして、何の疑いもなく日常は過ぎて参ります。 ところが中には驚くような約束事が有りまして、普通の生活をしておりましたら一生お目にかからぬ生き馬の目を抜くようなやつが潜んでおるものなのです。 「浪士さん針を一分けてくれん、忘れて予備が無いんじゃ」 「おお、二でも三でも得

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  • 「あんたの子供は隣の畳屋の親父に似ていないか?」 - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

    どちら様も初春のお喜びを申し上げるところです。 随分と遅い間の抜けた挨拶ということで御座いますが、ほとんど哀れな置かれようの釣り師で御座いますから、哀れな野朗の精一杯の気の効いた挨拶などとお笑いいただければ、事は波風の立たぬところと成って参ります。 釣り師の正月などといいますのは、喰って飲んで寝て釣るという面白くもなんともない事の繰り返しなのですが、当の人はこれさえ邪魔立てされなければ至って機嫌がよいのですから、かなり単純に出来ております。 さてここは穏やかな日和の新春の釣場と言う事で御座いまして、いつもの年季の入って少しばかりくたびれの出た釣り師に混ざって、何度か顔を見せた事のある大層下手糞な青年も混じっております。 青年は何を商っておるのでしょうか営業職だと申します。 優男とはこのことで御座いまして、細いからだで釣り道具がどう見ても重そうに身体にまとわりついております。つまり非常に均

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  • 墓暴きの久良さんは 「このブログは新手のプロレタリア文学の匂いがする」と言うのだ! - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

    のっけから墓を暴くなどと、およそ世間様では怪訝な顔つきでみられる、それこそ神をも恐れぬ、その上天に唾する傍若無人な事で御座いまして、これに手を付ける者などといいますのは、いかに好き物といえどもめったに出会えるものでは御座いません。 久良さんは長くデザイン関係に携わった人で、こちら福山では結構知る人が多い。 広告代理店を経営して、早くからタウン誌を発行するなど社会の先取りをしたし、行政に働きかけて福山を「ばらの街」にしようと企てたのも彼の仕業という事になる。 中肉中背でやや小柄な彼は片方の肺がない。癌で摘出したのでいまは文字通りの片肺飛行ということである。 この久良さんがひょんなことから「墓暴き」と言う趣味に取り付かれてまいりまして、「また途方もない事をはなえて」と世間を姦しくするので御座います。 墓を暴くのにはそれなりの理由が合った事で、病後生まれ育ったところに引き込みます。何やかやで目出

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  • さすらいの忠兵衛 波止場の巡回 - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

    どの世界にも「主」と呼ばれる、下手をすると化け物に近い評価をされるものが有るところで御座います。 まあ大概が場を仕切る、その場の親分扱いと言う事で御座いまして、何事もこの人の顔色を卑屈に伺うと言う事で折り合いの付くところで御座います。 今のところ太平洋の主が第七艦隊ならば中国の主が習さん、ロシアの主はプーさんと、収まりのついているところで、おうちの主は山の神、会社の主は社長さん、波止場の主は「さすらいの忠兵衛」という事になるので御座います。 この主といいますのは時として変わって参るものでして、トランプだかスランプだかの、新参者も現れるのですから周囲にはよほど注意を払わねば成らぬところです。主もおちおちと胡坐ばかり搔いている訳には参りません。中には占い師の後ろ盾がある主もあるのですから、余程主と言うのも様々あることです。 いつの頃からか皆のはっきりした記憶は無いところだが、釣り師を運ぶ渡船場

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  • 津軽三味線 高橋竹山さんと 釣り師  その3 神戸地震 - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

    福山に竹山さんをお迎えしたのは都合四度のことだった。 最初はいかんせん右も左も、その上前後も分からぬ無謀な企て、あちこち綻ぶところで 冷や汗をかいてまいります。 このような催しは一人の手では運営が無理なところ、知り合いなど70人ばかりを関係者として運営に当たってもらいます。 なあに打ち上げで不足の無いよう一服盛るのですからよく動くのです。 「飲み足りん、い足りんが有ったら返さない」が合言葉ですから、不足の出る幕など隙間のない事です。 公演を数度繰り返しますと同じ関係者ばかりですから、目を瞑ったところで事は運んで参ります。 当初は「三味線・・ださい」などとほざいた若い衆も最初の公演が終わると早速CDを買いあさる手のひら返しの術を使うのですから、見かけで決め付ける怖さを味わう事と成って参ります。 主催すると言うのは因果な商売で、公演が始まるまでは不測の事態を空心配いたすもので、一週間前辺りか

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  • 津軽三味線 高橋竹山さんと 釣り師 その2 恐怖 - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

    竹山さんと直接合って話をしたのは数ヶ月後の事と成って参ります。 話をしたといいましても竹山さんとはほんの挨拶程度の事、なんせ敵は難解な外国語を操り押し付けて参る青森の人ということで御座います。 てんで話に成らないとはこのことで御座います。何しろ通訳が要るのですから。 お話なんてえものは片方がわかっても片方がからっきし分からないなんざぁ、一方通行の行き止まり出口の無い糞詰まり、行きようが御座いません。 広島から帰って数日、それはあの感動をどう処理するか粗忽者は考える事です。どうも数日余韻が抜けぬのです。 数日の後、粗忽者は意を決して参ります。どう意を決したかと申しますと、そこは粗忽者の気軽さ身軽さということになってまいりまして、「よし!福山にも来て貰おう」と言う事で御座います。 あれこれ手引きをしてもらう事で姫路の公演で合うことに。 なぁにどうなるか分からぬところだがどうにか成るわい、「庄屋

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  • 「老人と海」 孫に先を越された釣り師はこう足掻いて参りました - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

    秋と言う事で世間様はそれぞれ「秋」を確かめに散策するところで御座います。 釣場におきましても、秋の魚ということに成って参りまして、それは気候も良しく賑わいを増すところで、欲の皮を目いっぱい張ったところで出っ張って参ります。          大概が当てが外れて、釣れもせぬ魚を夢見るところと成って参るのではございますが。 楽しい事は一人ではなく、出来ますれば同好の志や気の合うところで、わいわいやるのが又別の楽しさとなって参ります。 釣場におきましても、組み合わせで多いのは友人知人同好の志などで御座いまして、中には訳ありの少々艶っぽい道行などと言うのもあるところで、目をそむけながら覗き見しなければならない事と成って参ります。 柿井さんは、随分と大きな釣りクラブで世話役を勤めた人だ。 人柄と腕で収まりを付けるところで、盛んな頃は全国の大会で名の知れるところとなって、実績でもその辺を黙らせて参りま

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  • 立て篭もる銀行員と白壁の夜鷹 - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

    「えぇ雨じゃったですねえ・・」、ずぶ濡れに成りながら嬉しそうに入って来たのは、まだ見習いを少しばかり修行した銀行員でして、挨拶も世間慣れをしていないところと成っております。 上辺ばかりのぎこちないせりふを言い回しながら、突然の雨に濡れた身体を拭くのです。 「お前さん、折角の水も滴るいい男に成ったんだ、そのままぬれねずみが洒落たところじゃあないんかい」 「いえいえ元が良いんで水などいりません、カープ勝ちましたね」どうやらカープの話から入って切り崩そう、出来たら商品の一つも掴まそうなどと、かばんの中をまさぐるのですから下心なぞ見えております。 その上にきびが二つ見え隠れするのですから、何に付けてもこれは幼くぎこちない。 この野に放たれた銀行員は今年入行したばかり、細身の小柄な体を独楽鼠のようにせわしなく動かすのですから、あわただしくっていけません。 ひとしきり用向きを聞いて、綺麗さっぱり断った

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  • 釣り師と宗教  「船頭 浮気はいけんじゃろう」 - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

    秋が少しばかりもったいぶって姿を見せて参りますと、どちら様も夏とは違う期待がほのかに漂うので御座います。 相も変わらず釣りに呆ける釣り師も、今まで一番良かった秋だけを思い出してまいりまして、独りよがりで勝手な妄想を膨らますこととなって参ります。 気候が良くなって、段々に釣りに適した日々が続くと成りますと、出てくる出てくる、日頃顔をみせぬ良いとこ取りを狙う、したり顔の釣り師が早朝より大漁を狙うところと成って参ります。 早朝と言いましても中には夜釣りと申しまして、警戒感の手薄と成った魚を狙う夜専門のふくろうのような輩もあることでして、いずれにしても夜討ち朝駆け、忙しく立ち回ることです。 浪士様など昨今ではもっぱら昼専門で御座いまして、昼と申しましても朝早い、朝4時には起き出す所となって参ります。 永年早朝に起き出す習慣など付いて参るところで、目覚ましなど不要、体内時計が組み込まれるところとなっ

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  • 釣り場で釣り師はこれを恐れる - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

    釣り師といいますのは、他に気の効いた芸などなかなか持ち合わせぬところで、そこはやはり釣りをするので御座います。 これを世間様では褒め言葉で「馬鹿の一つ覚え」などと申しまして、賞賛するところで御座いまして、今日も埒の明かぬことに精出してまいります。 釣場と言うのは実に厄介なところで御座いまして、ただ魚を釣ればいいというものでもございません。 そこには人知れず、釣り師同士の密かな戦いなどと言うものが有りまして、お互い静かな、駆け引きと戦いを繰り広げているもので御座います。つまり見えざる足の引っ張り合いで御座います。 いつ頃なのか戦にしろ遊びにしろ競うという術を身に付けまして、悲惨なものから悔しい物まで様々、人様と言うのは競うものです。 釣場でも魚を釣るという、至って個人的な事情に加えて、人様より釣りたいと言うのは奥底に抱えておる物で御座います。 競う上でなんと言っても明確に優劣が出ますのは、釣

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  • 瀬戸内海は逃げられない! 「いつでも 何処でも なんとでも 」  - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

    物事に凝るということは、個人の思い込みを他人に知らしめたいという顔が有りますもので、これを突き抜けると他人の顔など気にならなくなりますから、立派な世捨て人ということに成って参ります。 凝りあげた人と言うのは、たやすく他人の手出しが出来ぬことから、程々の扱いは受けるところですが、それとて常人の常識から外れた位置にありますもので、表面の評価と実際は違うものとなって参ります。 渡船場の駐車場に一台の箱バンが入って参ります。取り立てて変わった風ではありませんで、ただ釣具メーカーのステッカーがかなり賑やかに貼ってあるだけで、一見ああ釣り好きの人だなぐらいの装いです。 車から降り立ったのは若い兄ちゃん二人組み、服装はいかにも今風という出で立ちでは御座いませんで、普通を絵に描いたどちらかと言うと地味な部類の戦闘服にあつらえて有ります。 異変に気が付いたのは道具を下ろし始めて、さあいよいよという時で御座い

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  • 竿師に成った釣り師の 「団子杓」 その2 - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

    よくもまあ作る気になってといいながら製作途中では、「あの浪士の野朗が血迷ったところで又新しい手慰みを始めた」と、半ば悪口を広めるところで御座いまして、最後までは行き着くまい、が読みどころでした。 作る浪士様がこれは一番心当たりの有ったところですから、世間の口はやかましいなどとは決して言えない事となって参ります。 あれこれの事で形が終いに差し掛かりますと、世間様随分当てが外れてまいります。 今年の冬は是非にも竹の切り出しには手伝いたい物だと、やや遠まわしの秋波を送ってくるのですから、野暮に近い手のひら返しになって参ります。 このようなものは徹底してやるに限ります。中途の者はその後もすべてにおいて中途の扱いを受けるものでして、ここは一番 埋められない距離を見せ付けておかねば成りません。これで力仕事は他人様、偉そうに思い切り振舞ったところで下仕事は他人様、実に美しい光景が保障されるのです。 この

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  • 釣りは今日どう釣るか これからどう釣るかであって、決して過去の釣果をひけらかすことではありません。 - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

    空を見上げますと覆いつくすのは女心ばかりと成りまして、秋で御座います。 釣り師も気がはやる季節と成ってまいりまして、益々成り立ち様が世間様とかけ離れる事と成って参ります。 この時節に成りますと釣り師の頭の中は,それは釣りのことばかりで御座いまして、世間向きのことは上の空、言われることなどてんで眼中に無い事となって、ずれた返答しかいたしません、ここいらが一般の常識と行き違いとなってまいるところです。 一般社会と行き違いと成った集団が今日も渡船場にたむろ致します。新手の顔やなじみの顔、それぞれに思惑などよこしまに抱えておりまして、虎視眈々とお互いの手の内を探ったり、知らぬ間柄ですとそれぞれの力量を値踏みいたしております。 自然と小さな集団が出来て参りまして、与太話から釣りの話、はたまた下世話な話まで花が咲く事です。 浪士様は先日のへたくそに、鼻で息をしながら集中するように偉そうに講釈を垂れてお

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  • 「ゆず」に「ごん」と言う名前をつけてやりました。この犬のほんとの名前はどう呼ぶのでしょうか - 備後「あこう浪士」  釣り場の周辺

    忘れられない名前というものは有りますもので、頭の隅にこびりついているものですから、つい節操無く使ってまいります。 釣りに行きます。人間様の料に魚のい分、釣れましたら自分のい分におすそ分けのい分と、随分な宛がい扶持を段取りせねば成らぬ事です。 秋の時節、いよいよ釣りにとってはよい季節と成りまして、釣り師だけでなく取り巻く人たちも浮き足立ってまいります。釣ってよしべてよしですからいきおい人間のほうの活性が上がってまいるところで御座います。 さて魚にわせる「餌」と称するもの自分で賄ってもよろしいのですが、随分と手間隙を要するものでして、安定的に量が必要なものですからいきおい釣具屋さんで購入すると言う事に成って参ります。 年金組みなど自分で川や池、海辺などを徘徊して餌のエビや蟹など獲ってまいります。時間がありませんとこうは行きませんから、やはり釣具屋さんです。 この餌集め、これが面白い

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