ブックマーク / deepbluedragon.hatenadiary.com (2)

  • 心理学の危機再び、または学際分野としての認知科学の解体(素描) - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    注:あくまで素描なので、様々な知識を勝手に前提にして書いています。ようするに、ただでさえ書くのが厄介な内容なのに、その上に丁寧に説明するのは面倒(それでなくても、言及すべきなのに抜けてるところはいろいろありそう)。ご了承ください。 生理学的な心理学と解釈学的な心理学 心理学には外部からの介入が多いが、(昔のゲシュタルト心理学の例外はあるが)その多くが心理学の問題を勘違いしたものである。認知革命は来その問題意識を取り戻すためのものだったのだが*1、いつの間にか手段と目的とが勘違いされるようになった*2。結局、未だに生理学的な心理学と解釈学的な心理学という昔ながらの対立は全く解消してない。 脳科学と遺伝学における還元主義とその裏返し 心理学を理解するうえで生物学が必要なのは確かだが、どのように必要とされるのかには問題が絡む。遠い将来的にはどうであれ、当面は心理学を生物学に還元するにはその溝が

    心理学の危機再び、または学際分野としての認知科学の解体(素描) - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • ハイデガーにおける論理学と形而上学 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    理性を解明し規定することが正当に且つ必然的に《論理学》と呼ばれるかぎり、西洋的な《形而上学》は《論理学》であるとも言える。存在者たるかぎりの存在者の質は、思惟の視圏のなかで決定されるのである。 ハイデガー「ニーチェ ヨーロッパのニヒリズム」isbn:4582761844.78-9より カテゴリー論と形而上学の関係 ハイデガーの大きな問題点は、科学と技術を安易に同一視しているのと同じように、論理学と形而上学をも一緒くたにしてしまうことだ。この場合、形而上学とはアリストテレス的なカテゴリー論のことであり、トマス・アクィナス経由で西洋哲学が受け継いでる思考法でもある。実際にハイデガーは(若き時分にブレンターノの論文で出会った)トマス・アクィナス的なアリストテレス理解への批判を出発にしているところがある*1。ところで、カテゴリー論とは何か。カテゴリー論とは物事をカテゴリーに分類する議論のことだ。

    ハイデガーにおける論理学と形而上学 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
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