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東浩紀に関するyatataのブックマーク (8)

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    なぜ、を読むのか? Why do we need to read books なぜ、を読むのか?書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれたの中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の

  • 学びを駆動するために~勉強の哲学-中動態の世界-観光客と誤配~ - 思想的、疫学的、医療について

    ツイッター等のSNSで話題になっていた人文・思想系の書籍、3冊を読んでみた。このブログでも少し触れたことがあるが、その三冊とは、東浩紀さんの「ゲンロン0」、國分功一郎さんの「中動態の世界」、そして千葉雅也さんの「勉強の哲学」である。 ゲンロン0 観光客の哲学 勉強の哲学 来たるべきバカのために 中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく) のタイトルだけでは、この3冊はまるでばらばらのテーマを扱っているように思われるだろう。しかし、これらので取り扱われている主題はどこかでリンクしている。僕はそのように感じている。 おそらくゲンロン0で語られている「観光客の哲学」の射程はかなり広い。その広大な景色を自分なりの言葉で落とし込むには、もう少し時間が必要な気がしている。そこで稿では、「勉強の哲学」で語られているラディカルな勉強論、特に同書の前半部分の理論的パースペクティブを中

    学びを駆動するために~勉強の哲学-中動態の世界-観光客と誤配~ - 思想的、疫学的、医療について
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    なぜ、を読むのか? Why do we need to read books なぜ、を読むのか?書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれたの中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の

  • 「ふまじめな観光客」が世界の希望になるという話 リベラル VS 保守、どっちか選べを越えていけ

    刊行にあわせて東さんはこんな宣言をした。 「哲学書の読者を大きく変えたい。来の市場を自己啓発書とスピリチュアルに取られている」 「今まで哲学や思想なんて関係ないと思っていた人に読んでほしい」 東浩紀さん。1990年代後半、新世代の哲学者としてデビュー作が異例の売れ行きを記録し、一躍「時の人」になった。 その後のキャリアは華やかだが、かなり変わっている。 哲学や批評だけでなく、小説人生論を交えたエッセイも書き、賞を次々と受賞する。 早稲田大に勤めたこともあったが、一転、自ら起業した出版社「ゲンロン」の社長に。 いまは批評誌の出版、トークイベントを主宰と多忙な日々を送る中小企業の社長兼哲学者だ。 そんな東さんが「今までで一番、自信がある」と送り出した一冊が『観光客の哲学』である。 言葉はあくまで平易で、専門用語を知らなくても読める。しかし、中身は今日的でありながら、議論の射程は歴史を捉え

    「ふまじめな観光客」が世界の希望になるという話 リベラル VS 保守、どっちか選べを越えていけ
  • cakes(ケイクス)

    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

    cakes(ケイクス)
  • 東浩紀さんと川上量生さんのやりとり「理系と文系について、そのほか」(20150622)

    東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma ところでこれなんか最後にぼくの話が出てくるんだけど、いちゃもんすぎないだろうか。。。→ インターネットの未来の正しい議論 - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記 kawango.hatenablog.com/entry/2015/06/… 東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma 「それを従来型の国家権力=悪、インターネット=自由という素朴な認識からくる善悪判断で判断したかのようなツイートで切り捨てるのが、日のネットに詳しい有名批評家の現実である。」そんなことどこにも書いてない、というか、「インターネット=自由という素朴な認識」なんて僕がもつわけない。

    東浩紀さんと川上量生さんのやりとり「理系と文系について、そのほか」(20150622)
  • 反知性主義に抗してリベラルで人文的であることについての東浩紀さんのつぶやき(20150918)

    東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma 脈絡なく呟きますが、反知性主義に対するもっとも有効、かつ唯一有効な戦い方は、リベラルでまともな人間を時間をかけて育てることであって、いまここの反知性主義に対抗するため、慌てて彼らの方法論を真似、数で勝負することは結局は絶対的な敗北に繋がるというのがぼくの考えです。 東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma 反知性主義とは当は、マンガしか読まないとか韓国が嫌いだとか、そういうことで規定されるものではありません。知性とは現実を複数的に見る能力です。現実を単一の視野に押し込め、「いまここ」の「アクチュアリティ」にむけてひとを急き立てること、それこそが反知性主義の質だと思います。 東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma だからぼくは、いまの日の状況は、全体として、絶望的なまでに反知性的だと見ています。悲惨な委員会決議だけが問

    反知性主義に抗してリベラルで人文的であることについての東浩紀さんのつぶやき(20150918)
  • 原発は倫理的存在か(東浩紀)|ポリタス 原発“新設”の是非

    原発をめぐる議論で「倫理」がなぜ問われるかといえば、それは使用済み核燃料の処理技術が確立されていないからである。「トイレのないマンション」とも揶揄されるように、現在の原発は、使用済み燃料の処理を、長期間保管しその危険性が自然に減衰するのを待つか、あるいは後世の技術開発の可能性に委ねることで成立している。いずれにせよ、いまここで処理できないものを、いつかだれかがなんとかしてくれるという「他人任せ」の態度のうえで成立しているのは疑問の余地がない。 面倒なことは他人に任せ、自分だけが利得を得る。そのような態度が「よい」ことであるか 面倒なことは他人に任せ、自分だけが利得を得る。そのような態度が「よい」ことであるかどうか。原発の倫理的問題は結局はそこに集約される。日では福島第一原発事故を機にはじめて関心を向けたひとが多いが(筆者自身もそのひとりだが)、この問題は質的に事故の可能性とは関係ない。

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