ブックマーク / mwtstinger.info (48)

  • 受け取ったバトン

    ヨウちゃんは不良だった ヨウちゃんは不良だった。 誰が見ても一目瞭然。不良と呼ばれる生徒の、典型的な見のようなクラスメイトだった。 友人として紹介したら、どんな母親も同じ様に怪訝な表情を真っ先に浮かべてしまうような、そんなルックスと生活態度がヨウちゃんのスタンダードだった。 今はヤンキーって言うんだろうけど、僕が中学生の頃、そんな生徒のことは、良きに非ずと書いて「不良」と呼ばれ区別されていた。 決して上手い表現じゃないけど、見事に的は得ていると思う。 学校の規則からはみ出している者は皆、「不良」というレッテルを貼って、ひと括りのワクの中に押し込めて、普通の生徒とは区別して対処するのが昭和のやり方だった。髪型でもファッションでも授業中の態度でも、良しとされるルールからはみ出す人間は、男女の例外なく不良として扱われた。 そう考えると、僕は学力の面からいったら確実に不良の部類に入っていたと思う

    受け取ったバトン
  • 麒麟が来たりて蒼天を衝く

    8.6病バズーカー! 昨日(2021年2月7日)、コロナ禍により約二ヶ月の撮影中断という苦境に立たされながらも、壮大なスペクタクルを展開しつつ、堂々のクライマックスを迎えた大河ドラマ、「麒麟がくる」の最終回を視聴させていただいた。 (撮影再開後も、コロナ感染防止のために相当の苦労をされたとメディアが伝えていた) 戦国時代最大のクーデターといわれる「能寺の変」を企て、天下統一を目前にした「織田信長」の野望を、その燃え盛る能寺とともに歴史の表舞台から消失させた張人。 歴史を教科書通りに学んでいたならば、三日天下で終わった悲しい人、主君に仇なした謀反人であり反逆者という、ダークでダーティーなイメージを強く刷り込まれてしまっている、「明智光秀」がこのドラマの主人公だ。 そんな彼の生涯を、天下の国営放送が大河ドラマとしてどのように描き、新たなる光秀像をどう解釈・提示してくるのか、ドラマ中のプロ

    麒麟が来たりて蒼天を衝く
  • ごめんなさい。やっぱり通勤電車はキライです。

    考える人 足早く過ぎゆく人々の音と、上り電車の発射を告げるベルを聞きながら、今私はここにいる。 下半身を丸出しにし、かのオーギュスト・ロダンが、ブロンズにありったけの情熱と魂と命とを吹き込んだ「考える人」の如きポーズをとりながら、今私はここにいる。 午前8時10分。 私の地元、神奈川のクソ田舎から電車で小一時間ほどの場所にある、県内では中規模程度の大きさを誇るターミナル駅に降り立った私は、急転直下の腹具合からもたらされる苦悶の表情を顔にへばり付け、尻穴に余計な力を加えないよう、ヨチヨチ歩きの幼児の如き足取りで、ようやくここにたどり着いたのであった。 ホームの階段を登りきった、改札口まであとホンの少しのところ。 そにはまるで、神が両手で迷える子羊を優しく迎え入れてくれるかのように、その門戸を開いて待ってくれていたのだ。 そう。その輝かしい場所とは、まさにトイレなのである。 最近改装されたば

    ごめんなさい。やっぱり通勤電車はキライです。
  • トイレの神様

    トイレには神様がいる。絶対にいる。 汚いトイレがキライだ。 こと女性に対し、アレコレと注文をつけられる男などではないことは重々承知しているが、それでも、モノをすときクチャクチャと音を立てる女性と同じくらい、汚れたトイレがキライなのだ。 (女性の咀嚼音とトイレを同列に比較するとはなにごと、というフェミニンな指摘はどスルー) 汚れたトイレが大好き!という、ト変態な性癖をお持ちの方と話が合わないのは仕方がないとはいえ、トイレを汚れたまま放置しておいて、良いことなど一つもないのである。 断言できる、トイレには神様がいるのだ。絶対に。 2010年の初春、FM Tokyoの番組から爆誕した大ヒット曲「トイレの神様」。 その歌詞の中でも、「トイレにはキレイな女神様がいて、べっぴんさんになりたきゃ毎日ピカピカにトイレを掃除せよ」と、コンポーザーである植村花菜嬢も説いているではないか。 「あなたが芸術的に

    トイレの神様
  • あけましておめでとうございます。(2021)

    気がつけば2021年も残すところ360日。 みなさま、あけましておめでとうございます。 年も、この下らなくどうしようもない、アラフィフおやじの戯言日記にお付き合いください。 どうぞよろしくお願い申し上げます。 さて、 去年一年間でコロナウィルスにまつわる日記をいくつか書いて、もぅいい加減ウンザリ・・・・・と思っていたところ、ここへ来て、またも非常事態宣言が発出されそうな勢いである。 東京では連日1,000人に手が届きそうなくらいの新規感染者を数え、我が神奈川県もそれに迫る勢いで感染者を増やしている。コロナに正月休みもヘッタクレもないのだ。 外出自粛という名の「引きこもりぐぅたら生活」を自主的に励行してはいたのだが、身近に感染者がいなかったこともあり、コロナウィルス自体が対岸の火事のような、どことなく遠い世界の出来事と思って生活してきたのは正直な話である。 だが、私の住む神奈川のクソ田舎

    あけましておめでとうございます。(2021)
  • 今年も色々ありました(2020)

    この恋が実りますように 昨年同様、年末年始の休暇時期に突入するやいなや、早朝から夕方にかけ、今年ヒットしたドラマを一気に総力再放送という大技にでた某TV局。 家政婦所から紹介された、柔和な笑顔を持つアラフィフのおっさんが、ミラクルな家事テクニックを披露しつつ、ヒロインのハートをガッチリと鷲掴みにし、最後の最後には結婚にまで漕ぎつけるとういうガチな大人のファンタジー。 そんなのあるワケねぇよ!的な荒唐無稽なストリーにーにもかかわらず、から依頼された大掃除を全てスルーし、最後まで視聴してしまった12月28日。 の逆鱗に触れたその日の夕飯が、カップ麺一個だったのは言うまでもない。 「この恋が実りますように・・・・・」と、エンディングで主題歌が流れるたび、アラ還で独身の我が友のことを思う。 このドラマの主人公のように、50過ぎのおやじが正々堂々と、うら若き意識高い系独身女子の部屋に入るなど、普

    今年も色々ありました(2020)
  • 全くわからない女心

    ショーケースに並ぶ宝石 手が触れた途端、ヒヤっとするガラスのショーケース。 コートのポケットで温めていた手に、びっくりするような冷たさが一瞬で伝わる。 およそ3~6℃に保たれた何段かで構成されたその中に、色とりどりの甘い宝石たちが並んでいる。ケースの中の空気はシンと冷え切っているのだろうが、濃密で甘美な香りが、その中にたっぷりと広がり溶け込んでいるだろうことは、ひと目見ただけで容易に想像できた。 真っ赤で大振りな一粒のイチゴを載せた純白のショートケーキ。 艷やかな光沢を放つ表面に、煌めく星々を散らしたかのような細かい金箔をあしらった、まるで小宇宙を思わせるようなダークチョコのムースケーキ。 まだ誰も歩いていない新雪の上、その存在を鮮烈にアピールするかのように、数個のブルーとカシスのベリーが散りばめられたレアチーズケーキ。ケーキの素地とベリーの色とのコントラストが見事な一品に仕上がっている。

    全くわからない女心
  • 年賀状を断捨離しました

    今年のハロウィンは静かであった 今年も既に11月半ば。 例年、眉をひそめるほどの乱痴気騒ぎで繁華街を騒然とさせる一夜の仮装パーティーも、今年はコロナの影響か、それとも既にオワコンとなりその使命を果たしたのか、すっかりと大人しいものだった。 ミニオンズのキャラクターに扮した若者が、普通の服装をした人々で溢れかえる渋谷のスクランブル交差点で浮きに浮きまくり、半時も立たないうちに足早に帰路についたとTVのニュースは伝える。 半笑いで半べそに近い表情を浮かべたあの若者。 もう二度とコスプレをして渋谷の街に繰り出そうとは思うまい。 何よりコスプレのクオリティーが低すぎて、あれではミニオンズなのか、水中メガネをかけたバナナの如き黄色い男なのか判別しかねる。 やるならもっと気合を入れて欲しい。 そんな状況下、インスタグラムには「鬼滅の刃」のコスプレを嬉々として披露するツワモノが多数いたが、いかんせん、人

    年賀状を断捨離しました
  • アラフィフ美容院に行く

    学校指定? 数年前まではバーを経営していた店舗が閉店。 その後、内装を大々的に改装し、営業をはじめた美容院が隣の駅にあるのは知っていた。 行動の動機付けや物事の価値基準を、「面倒くさい」か「面倒くさくない」か、の二極で半世紀以上乗り切ってきた人間にとって、自身の身だしなみ、とりわけ髪の毛の手入れについては、常にナーバスな問題として長年私を悩ませ続けている。 嫌いだ。果てしなく面倒くさいのだ・・・・・。 私の住んでいる神奈川のクソ田舎町では、小学校の頃にお世話になっていた理髪店が激減している。 壊滅状態といっても差し支えない。 赤・青・白の三色が細長い円柱の中でクルクルと回る、謎のサインボールが店先に鎮座する、ロードサイドに数件は点在していた昔ながらの理髪店だ。 店内の椅子に座れば、たちどころに後頭部の二歩手前まで、青白く地肌が見えるまで刈り上がった髪型に仕上げられてしまう。こちらの希望・要

    アラフィフ美容院に行く
  • いやぁ・・・・・キツいっす。

    やっぱり痛い 帯状疱疹を患ってから早一週間。 しびれを伴う、思わず悶絶してしまうような鋭い痛みと七転八倒しながらの一週間が経過した。 今はだいぶ落ち着いたが、それでもまだ左脇に鋭い痛みが残る。 朝・昼・晩に痛み止めを服用し、疱疹患部に薬を塗布しガーゼを当てて生活しているのだが、当初の頃のような激しさはさすがに無くなったが、それでも痛い。 ナメていた。完全に。 一週間もほぼ寝室で寝てばかりの生活を余儀なくされていたので、思いっきり筋力も落ちてしまっている。 痛みが収まっている隙にウォーキングに出かけたのだが、歩きだしてすぐ、息切れと鈍痛にも似た腰の痛みに襲われた。 人間、一週間寝たきりになっていると、衰えた筋力を取り戻すのに一ヶ月近くを要するのだ。 それは以前大病を患ったときに身をもって体験している。 (いづれ、この大病に関する闘病記を書いてみたいと思っているが、需要があるだろうか?) 体型

    いやぁ・・・・・キツいっす。
  • 寒くなってきました・・・・・。

    寒い。寒すぎる・・・・・。 常日頃から季節感のない、Tシャツと短パンという常夏コーデで日々をやり過ごしていたのだが、今朝方から降り続く冷たい雨と、急降下を告げる室内温度に、とうとう身体が耐えられなくなってしまったのだ。 室内温度が19度となってしまった以上、この時点で真夏の格好をしていたら、れっきとしたキチ◯イか、よほど生活に困って冬服を買うことすらできない貧乏人と思われても仕方がない。 (在宅勤務で外出していないので、誰に見られるということもないのだが) どちらにしても、まともな思考回路を持った人間の所業とは理解されるはずがない。 メタボおやじであるがゆえ、無駄に布地をたっぷり使ったユル~い洋服を好んで着ている。 だがこうも寒いと、Tシャツの首元、袖口から冷たいすきま風がダイレクト・インしてきて、どうしようもなく寒い。二の腕にはポツポツと鳥肌が立つ始末だ。 「もはやこれまで・・・・・」。

    寒くなってきました・・・・・。
  • 伊勢神宮に行きたい!その4

    金剛證寺(こんごうしょうじ) 「お伊勢まいらば朝熊をかけよ、朝熊をかけねば片参り」。 お恥ずかしながら、金剛證寺(こんごうしょうじ)の存在を最初は全く知らなかった。 伊勢神宮参拝について自分なりに色々と調べ、二見興玉神社での禊、外宮や内宮においての正しいとされる参拝の方法や、それにまつわる様々な場所や宮の特徴などの知識を習得できたと思っていたのだが・・・・・。 金剛證寺についてはノーマークであった。 六世紀半ば、欽明天皇(きんめいてんのう)により、朝熊岳山頂に創建されたお寺であり、伊勢神宮の鬼門をしっかりと守ってくださる、ありがたいお寺なのである。(伊勢神宮の鬼門は北東方向)伊勢神宮参拝と合わせてお参りするのが当たり前とされていて、知らなかったこととはいえ、人生初の伊勢神宮参拝は見事に片参りとなってしまったのである。(翌年の参拝ではしっかりお参りさせていただいたのは言うまでもない) このお

    伊勢神宮に行きたい!その4
  • 伊勢神宮に行きたい!その3

    レトロな駅舎「近鉄・宇治山田駅」 内宮に向かうには、まず近鉄線・宇治山田駅で下車しなくてはならない。 そこから伊勢神宮(内宮)行きの市内循環バスに乗るのだが、宇治山田駅の駅舎が、これがまた古き良き大正レトロっぽいデザインで、なかなかの雰囲気を醸し出しているのだ。東京駅ほどの重厚さと壮大さはないものの、「ここが内宮の正面玄関である!」との静かな主張が、この佇まいとデザインから聞こえてきそうではないか。 風格漂う壁面タイル張りの駅舎を背にすると、いよいよ内宮参拝に来たのだという思いが強まってくる。嫌が上にでもテンションは上がる。 内宮へいざ到着! 市内循環バスを降りしばらく道なりに歩けば、いよいよ内宮に到着する。 日最高神である天照大御神をお祀りしている場所であるからして、荘厳にして神聖。お宮に続く道や、そこを歩く人の流れもキッチリと滞ることなく誘導され、一糸乱れぬような参拝への静謐なる流れ

    伊勢神宮に行きたい!その3
  • 伊勢神宮に行きたい!その2

    いざ、外宮へ! 二見興玉神社を参拝し、しっかりと俗世の垢を落とせたところで外宮へ向かうのである。 外宮とは正式には豊受大神宮(とようけだいしんぐう)であり、豊受大御神(とようけのおおみかみ)さまをお祀りしている。先述したとおり、豊受大御神さまは内宮にいらっしゃる天照大御神さまのお事を司っており、衣住と産業の守り神とされている。 ここで忘れてはいけないのが、外宮は「左側通行」で、内宮は「右側通行」ということだ。 その起源について、はっきりと文献などに記されてはいないようだが、昔からそのようになっているらしい。 お作法には黙って従うべし。 もちろん、参道や鳥居をくぐる際、ど真ん中を肩をイカらせて通ることなどもってのほかである。 真ん中は神様の通り道であるからして、人間ごときが偉そうに、直球ストレートで神聖なその場所を闊歩することなど許されない。 と二人、しっかりと左端を歩いたのは言うまで

    伊勢神宮に行きたい!その2
  • 伊勢神宮に行きたい!その1

    山崎のような夏 「なにも足さない。なにも引かない。」 1995年辺りに放映されていた、サントリー高級ウィスキー「山崎」のCMキャッチコピーである。 歳月という時の流れと、そこからもたらされる養分の力によりその色を琥珀に変えた、一般庶民がカジュアルに口にすることなどできない至高の液体。そのはっきりとした、まるで人格をもったかのような味わいは、襟を正し、真剣に対峙しなければならないものだ。 コピーライター西野 吉也(にしむら よしなり)氏によるこの秀逸なるコピーは、まだ酒の味が全く分からない未成年だった私の心を、何故かガッツリと鷲掴みにして離さなかった。 以来私にとって、何かあるとつい思い出してしまう染みるフレーズとなっている。 この世に生を受けて半世紀以上を経過したが、まだ「山崎25年」を味わった経験は一度もない。芳醇なる薫りと味を閉じ込めるため、ひっそりと、そしてしっかりと、25年もの静か

    伊勢神宮に行きたい!その1
  • TVって本当にオワコンなの?

    最近のTV番組はつまらないっていうけど 「サクラァ~ふぶぅ~きのぉ~!サライィ~の空うぇ~!・・・・・」 このコロナ禍の最中、さまざまな賛否両論の嵐をものともせず、今年も24時間テレビの放送が無事に終わったようである。このような書き方をしているのはズバリ、今年も同番組を一瞬たりとも視聴することがなく、番組に関する情報は全て、後からネットで仕入れたものだからだ。 連日におよぶ強烈な日差しと暑さのおかげで、当日はすっかりシオシオのパーになってしまっており、TVを楽しむこともなく早々にベッドに潜り込んでしまったのだから、番組の様子は知りようもない。 今年は、恒例となっている公道でのチャリティーマラソン実施を断念し、その代わり、シドニーオリンピック金メダリスト高橋尚子氏が率いる「チームQ」の面々が、走破した距離に応じて、自らの募金額を増額しながらリレーをするという企画に変更された。 これには驚いた

    TVって本当にオワコンなの?
  • ブログ開設一周年、本当にありがとうございます!!

    思い出す令和元年の夏 日(2020年8月31日)をもって、我がブログ「毒針を持つ男」がこの世に産声を上げ、一年が経過いたしました。 これも読者の皆さんのおかげです。当にありがとうございます。 今年の夏ほどではないにしろ、そこそこ暑かった令和元年の夏。何をトチ狂ったのか、「ブログで何かを発信してみたい、ひょっとしたらアフェリエイトとやらで、ちょとした小遣いくらいは稼げるかもしれない」と思いつき、何の予備知識もなく、しっかりとした準備期間も設けず、ひたすらトライ&エラーの連続で、やっとの思いで公開まで漕ぎ着けたのが昨日のことのようです。 IT業界仕事をしているとはいえ、半沢直樹と同じ平成バブル新卒入社組。Web系の技術はからっきしダメで、レンタルサーバーやらWordpressの導入方法、独自ドメインの取得方法やらなにやら、必要なことはGoogle先生に教えていただき、偉大なる先輩ブロガー

    ブログ開設一周年、本当にありがとうございます!!
  • あらゆる場面で必要になる、「出来上がりを想像する」ということ

    諸先輩方から口酸っぱくして言われたこと 「プログラムを上手に作るコツは、出来上がりを想像しながら作っていくことだよ」。 今を遡ること30年以上も前、まだ私が社会人になりたて、かつ、プログラマーとしての基礎知識をOJTで習得している最中、講師や先輩達から口を酸っぱくして言われ続けた言葉である。 出来上がりを想像する・・・・・。 今でこそすんなりと理解でき、腹に落ちるところまで持ってこれた感はあるが、働きはじめた新入社員当時の私には、その言葉の字面的な意味は理解できていても、質は全く理解できていないものだった。 会社員として働くための必要最低限なマナーや、ゼロベースから学習するコンピュータ・プログラミングのイロハなど、覚えたり身に付けなければならない情報が山のように積み上がっていて、インプットするだけで日々精一杯であったのだ。それらをしっかりと咀嚼し、アウトプットまで結びつけるプロセスを体系

    あらゆる場面で必要になる、「出来上がりを想像する」ということ
  • 県立茅ヶ崎里山公園へ行ってきた。

    そりゃ晴れてくれと願っていたけれど 明日はもうお盆の入である。 もぅいい加減にしろ!と、七月まるまる一ヶ月間降り続いた雨に逆ギレしていたかと思ったら、今度は連日の強烈な夏日である。いかんせんアラフィフのくたびれ果てた身体に、この温度差は泣くほど応える。 クーラーからの乾いた冷たい風を何時間も浴びていると、体の芯まで冷え切ってしまい、強烈にダルくなる。 かといって扇風機だけで過ごしていると、一気に上昇する部屋の温度に耐えられなくなる。気がつけば机の上には、置いた腕と同じ形の汗溜まりができている。額からしたたり落ちる汗が、在宅勤務中のノートパソコンのキーボードにポタリと落ちる・・・・・。 加齢による身体的な変化なのだろうか、それとも今年の夏が異常なのか、とにかく、クーラーや扇風機による体温調節が上手いこと行かない。点ければ冷えすぎるし、止めたら暑くて何もできない。 令和二年の夏、コロナ禍に加え

    県立茅ヶ崎里山公園へ行ってきた。
  • 鬼滅の刃。果たして、我が家の鬼を滅することはできたのか?

    一陣の風のごとく 視界に映る景色の全ては、太陽光のまばゆさの中に浮かぶ雲の白さと、その白を際立たせるような空の青さで満たされている。真夏の強い日差しの中、プールサイドに腰掛けながら、膝まで浸かった両足をバタつかせ、休憩時間の終わりを待っている14時50分。10分の休憩時間終了のホイッスルを合図に、子供たちが一斉に、空色のプールの水に吸い込まれていく。 小学生時代の夏休み。私は数人の友人と連れ立って、市営プールで過ごす日々を送っていた。市で運営しているプール施設の利用料はたったの100円。朝10時の開場時間から入場し、昼は母親からもらった200円でカップヌードル・カレー味を堪能し、遊ぶだけ遊んで疲れた身体をひきずりながら、あちこちにサビの浮いた自動販売機でチェリオのグレープ味を買って締めくくるのが、夏休みの正しい過ごし方だった。 カラカラに乾いた喉を通り抜けるチェリオ。太い束となって張り付

    鬼滅の刃。果たして、我が家の鬼を滅することはできたのか?