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思い出に関するyazibeeのブックマーク (14)

  • ドン底大学院生時代と尾道 - ばななぼーと

    2013年、学科の教授陣のお情けで母校の大学院に入れて貰った僕は、案の定ついていけず、完全にメンタルをぶっ壊していました。 そもそも、文系の大学院というのはメンタルをぶっ壊してる人だらけです。文献を前にして、ああでもないこうでもないと日がな一日やってるだけに、その成果を見てもらう指導教授とうまく関係を築けないと、自分が今何をしているか見失いがちになります。 僕は大学四年生の頃に就職活動をしたり、教育実習へ行ったりするうちに、自分がこのまま社会に出ることに悔いがある気がして、大学院に進学しました。しかし、前述のとおり、たいした実力も、研究に人生を捧げる熱意もないまま、お情けで入れてもらったようなものなので挫けるのは当然のことでしたが、それ以上に多忙な指導教授とうまく関係を築けなかったことが一番の行き詰まりの原因でした。 そんなわけで、M1の終わりの頃になっても修士論文の骨子はグラグラでした。

    ドン底大学院生時代と尾道 - ばななぼーと
  • 「リトアニア」と「モー娘。」と「秋田ふるさと村」 - ばななぼーと

    「リトアニア」という国があることを皆さんはご存じでしょうか。 リトアニアの国旗 僕はこの国の名前を初めて認識した時のことをなんとなく覚えていて、それはたしか2000年の秋頃だったんじゃないかと思います。 当時僕は小学4年生で、秋田県のド田舎に住んでいました。グローバルとは程遠い田舎で、そもそも、外国の人を見る機会すらほとんどありませんでした。しかし、ある日の全校集会で校長先生が急に妙なことを言い出しました。 「今度リトアニア少年合唱団が来るので、皆さんも一緒に歌う練習をしましょう」 リトアニア?いったいどこの国?というか何故来る?それも秋田の県庁所在地ですらない県南部の田舎に?と疑問は尽きなかったのですが、どうやら当に来ることにはなっているようで、その日を境に全校で歌の練習が始まりました。今となっては何を歌ったのかは思い出せませんが、それなりに練習していたのはたしかだったと思います。 そ

    「リトアニア」と「モー娘。」と「秋田ふるさと村」 - ばななぼーと
  • いつかの田舎のメリークリスマス - ばななぼーと

    を代表するロックグループ「B’z」の代表曲の一つに『いつかのメリークリスマス』という曲があります。 www.youtube.com 1992年発売の『FRIENDS』というアルバムに収録された曲で、この時期になるとよく方々で流れているのでリアルタイム世代じゃなくても聴いたことがある方は多いのではないかと思います。 僕も小学生の頃、友人に借りてよく聴いていたのですが、当時、とても疑問に思ったことがありました。 それはズバリ、歌詞です。 この曲はクリスマス当日の恋人たちの切ない1日の様子を綴った曲なのですが、1番の歌詞に「僕は走り 閉店間際 君の欲しがった椅子を買った 荷物抱え 電車の中 一人で幸せだった」というフレーズがあります。 秋田県の田舎に住んでいた少年の僕はこの短いフレーズの中にいくつも疑問を覚えていました。 まず、「僕は走り」という部分。クリスマスの時期、秋田では当然のごとく雪

    いつかの田舎のメリークリスマス - ばななぼーと
  • 「VHSがありそうで無かった」旅 2019 - ばななぼーと

    福山に引っ越してようやく半年が経ちました。 夏頃から、中古VHSハントの旅にも出かけているのですが、ありそう、と思って行ってみても、なかなか無いパターンがしばしば。 まぁ、街歩きそのものが好きなので、無かったとしても、それはそれで楽しんだりしてます。 せっかくなので、ここ数ヶ月の「VHS、ありそうで無かった旅」の記録を簡単にご紹介します。 【津山】 B'zのボーカリスト稲葉氏の出身地、そして、八つ墓村のモデルとして知られる岡山県の津山に夏の青春18切符で行ってきました。 以前にこのブログで紹介した岡山の超デカい古書店「万歩書店」が津山にはなんと2店舗あるのですが、レンタサイクルで巡れる距離だったので行ってみました。 残念ながらVHSはありませんでした。 しかし、相変わらず万歩書店は充分に楽しめる蔵書量。なかなかのものでした。 ついでに名物のホルモン焼きそばべたり、ファンに紛れながら、B'

    「VHSがありそうで無かった」旅 2019 - ばななぼーと
  • 【ゲームインナハⅡ】インツーでプレイしたゲームと思い出【前編】 - タコの卵

    2019年9月26日 惜しまれつつも26年間営業していた老舗ゲーセンゲームインナハⅡ通称インツーが閉店した。 最終日は宇宙で一番流行っているゲーセンと錯覚させるほどの人で埋め尽くされて、最後のインツーを味わおうとインツー勢が所狭しとレバーを握ってボタンを叩いた。 しにインツー人いる pic.twitter.com/7djUbDSwtJ— てっちゃん@もてラジ (@tettyagi) 2019年9月26日 宇宙で一番流行ってるゲーセンインツー… pic.twitter.com/eXAtZ4MNad— てっちゃん@もてラジ (@tettyagi) 2019年9月26日 インツー閉店の感傷に浸っているのもいいが、空白期間があるとはいえインツーオープンからラストまで過ごしたのでこれまで遊んできた楽しかったゲームの記録を書きたい。 長文になるし後編まで続く可能性があるが好きな人は最後まで読んでほしい

    【ゲームインナハⅡ】インツーでプレイしたゲームと思い出【前編】 - タコの卵
  • 香川の平成最後のカオススポット「平家物語歴史館」に行ってきた! - ばななぼーと

    高松には平家物語に登場する合戦舞台「屋島」があるのですが、そこにほど近い朝日町という場所に「平家物語歴史館」という観光スポットがありました。 厳密にいうと、日、3月24日までありました。 そう、今日で営業終了となってしまったのです。 以下、ホームページからの引用です。 <閉館のお知らせ> 謹啓、時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。 弊館こと、来る平成31年3月24日を以って諸般の事情により閉館させて頂きたくお知らせ申し上げます。 そもそも我が国の一大戦史であります平家物語を題材に蝋人形で後世に歴史を語り継ぐ資料館として平成4年7月、大手ミシンメーカーの営業の下ここ平家ゆかりの地髙松でオープンしました。 爾来、営業母体こそ代りましたが地元観光に微力ながら貢献し併せて地元青少年への郷土史への関心を深めることが出来ればとの思いで営業を続けてまいりました。 幸い、NHK大河ドラマ「平清

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  • 大阪ミナミのはなまるうどん「かけ中」の思い出 - タコの卵

    大阪に住んでいた。 親には「遊びに行ってくる」と言ってそのまま空港に向かい大阪に。 家出だ。何も告げずに飛び出した。そのまま大阪で何年か過ごす事になるが、その話はのちのち書きたい。 大阪にいた時に僕はキャバクラのボーイをしていた。 金がないので水商売で働く沖縄人。絵に描いたような状況に今思うと微笑ましい。 キャバクラの出勤は夜からだと思われがちだが、色々と準備があるので夕方ごろになる。だいたい4時~5時ぐらいに店を開けて軽い掃除をして準備だ。 準備が終わるとスカウトと呼ばれる仕事にでかける。 このスカウトってのは文字通り女性をスカウトする行為だ。 ミナミの繁華街なのでしぬほど人がいるなか、女性にかけより「仕事なにしてるの?」「よかったら働かない?」「めっちゃ可愛い」とか色々声をかける。 とにかく数撃ちゃ当たる戦法で声をかけ続ける。 最初は恥ずかしかったし緊張したが、慣れたら50回連続で無

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  • 京都のVHS取扱店 最後の砦「万物創造房」 - ばななぼーと

    京都を離れて9か月。 今更、京都のことを書いても情報の鮮度が低いので、 書かない方がいいかなとも思っていましたが、 意外にもこのブログを頼りに VHS集めをされている方がいらっしゃるようなので、 ひとつだけ思い残していたお店について書いてみようかと思います。 これまで、このブログで紹介したVHS取扱店は、 当然のごとく、レンタルビデオ店か中古ビデオ店だったのですが、 今回紹介するお店はそれとは少し趣が異なります。 なぜなら、そのお店は 骨董品店だからです。 そのお店とは、 京都、二条城にほど近いところにある 万物創造房 です。 万物創造房 すごい名前ですね。 実は、京都に来た当初はこのすぐ近くの中京区に住んでいたのですが、 その当時は気づかず、右京区に引っ越してからこのお店のことを知りました。 (Amazonのある映画のレビュー欄に熱心に書いている人がいて、 そのレビューをたどっていくと、

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  • 僕の人生を大きく変えたメンヘラ神との思い出 - 落ち着けMONOLOG

    サークラアドベントカレンダー3日目、ホリィ・センです。 「こじらせ自分語り」がテーマだそうで、僕の中でこじらせの定義は「他者にあまり理解されにくい複雑なこだわり」みたいな感じですかね。と言っても、今回はそういうテーマに回収されるのか微妙です。今回はメンヘラ神と名乗っていた女性を巡って2013年にあった出来事と、それについて僕が何を思ったかを書こうと思います。 はじめに 文脈を知らない人のためにも説明します。2014年2月にLINEで自殺教唆した人間が逮捕されたというニュースがありました。それによって話題が掘り返されてしまったのですが、その自殺した人間がメンヘラ神でした。先に言っておくと、彼女の自殺の動機や原因は僕にも分かりません。彼女は精神疾患を抱えていましたし、その「自殺教唆」のようなものが決定的な自殺の原因になったかと言われればそうではないと思っています。 そのニュースがあって、誰が作

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  • 資格だけ取って何者にもなれなかった自分がいた話 - ばななぼーと

    資格を取れば役に立つ、そう思い込まされて教育され、実際にそう思っていた時期もあったのですが、27年も生きてきたのにもかかわらず、正直役に立ったと実感できることは殆どなかったと思います。 と、いうのも、試験が終わった瞬間にその努力していた対象に対して興味を無くしてしまい、それを役立てようというところまで至らないからだと思います。「資格がとれたんだから、もう十分頑張ったよね」と、勝手に自分の中で完結してしまいがちだったなとつくづく反省させられます。 参考までに、これまで取得した資格を思いつく限り挙げてみます。 ■漢検 準2級 ■英検 3級 ■剣道 二段 いずれも中学生の時に取得したものです。剣道に至っては真面目にやっていたのは小学生の頃だけで、中学生になってからは資格を取るためだけの型の稽古だけ参加していました。 思えば、この頃は高校入試の時にアピールになるかもしれないと思っていたのですが、別

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  • おぼえてる者はいないのか!~記憶の片隅にあるTVドラマを書き綴ってみる~ - ばななぼーと

    つい最近まで、その存在すら忘れていたのですが、 小学校1年か2年生くらいの頃に、奇妙なTVドラマがやっていました。 僕が小学校1、2年の頃といえば、1997~1998年頃のことです。 まだ子供だったので夜更かしはせず、21時頃にはだいたい寝ていたので、 それより前の時間帯でやっていたのではないかと思います。 ストーリーはほとんど覚えていなかったのですが、 部分的に思い出せるところがいくつかありました。 まず・・・ ◆主人公はOLだった。 ◆何故か主人公の持っていたおもちゃが意志を持って動き始めた。 ◆そのおもちゃは毛むくじゃらだった。 ◆しかも、なんか気持ち悪かった。 ◆しかし、おもちゃは不思議な力で毎回主人公を助けた。 ◆最終回でおもちゃは動かなくなった。 あと、そのおもちゃがブースカの弟のチャメゴンに 似ていたということも憶えています。 右がチャメゴン。 平成生まれの僕にとって「怪獣ブ

  • 今さら語りたい「おねがい☆ティーチャー」 - ばななぼーと

    すっかりブログをサボってしまい、気付けば一ヵ月が過ぎていた。 月1でもいいから更新しようと思い立ち、はてなブログのトップを見ると 今週のお題「思い出の先生」 というのがあった。 たまにはお題に沿って書いてみようと思ったが、 思い出の先生、というと、いなかったわけではないけれども、 なんか色々と個人情報を書いてしまいそうな話や、 暗い話ばかり思い浮かぶので、どうしたものかと悩んでいたところ、 家の棚に並んだ一つのDVDが目に入った。 おねがい☆ティーチャー あぁ~、そうだ。 実際の先生の話は置いてといて、「おねてぃ」の話をしよう。 まず、「おねてぃ」を知らない人のためにWikiを引用しよう。 おねがい☆ティーチャー』は、日テレビアニメ作品、およびそれを原作とする漫画小説である。テレビアニメは2002年1月10日から3月28日にかけて、WOWOWのノンスクランブル帯にて放送された。略称

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  • 温故知新 - 俺は此処に居る

    カラーでよみがえる東京 - YouTube 消えてしまう前に是非見て欲しい動画。NHK文化部か社会部かはわからないけども、たまにこうした反体制的でカウンターないい番組を制作する。これはそういう番組だ。 明治期から残っている動画フィルムを世界中の技術の粋を集めてカラー化したもので、相当な労力と資金がかかっていると思う。NHKはこういう番組だけ作って、クズ政権擁護の報道をすべてやめてくれれば、テレビを購入しお金を払いたいものだ。 この番組のキモは敗戦時の伊丹万作(伊丹十三の父親)の言葉であろう。 「現在でも別の嘘によって騙され始めているのに違いないのである。」 伊丹万作 戦争責任者の問題 ここに全文があるわけだが、まさにクズ安倍政権に対するカウンターたる言葉だろう。「いくら騙す者がいても、誰一人騙される者がいなかったら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。」 それはそうとこう

    温故知新 - 俺は此処に居る
  • ネットラジオを聴きはじめた頃の思い出 【きっかけ編】 - ばななぼーと

    中学生の頃(2004年ぐらい?)、ipod miniが発売され、 時代はMDからmp3プレイヤーへと移り変わりつつありました。 僕も当時、ipod miniが欲しくてしょうがなかったのですが、 如何せん、中学生の小遣いではなかなか買えませんでした。 しかし、それでも何とかお金を貯め、 オリンパスの「m:robe」というmp3プレイヤーを手に入れ、 大量の音楽データを持ち歩くことが可能になりました。 ipodほどオシャレではありませんでしたが、 使い勝手は良く、それから何年かこの機種を使い続けていました。 そして、mp3プレイヤーを手に入れたことで、 僕の生活にもう一つ大きな変化が現われました。 それは ネットラジオを聴くようになった ことです。 当時、「podcast」という言葉は一応あったのですが、 必ずしもitunesを介したものだけではなく、 ホームページにアクセスし、 音声ファイル

    ネットラジオを聴きはじめた頃の思い出 【きっかけ編】 - ばななぼーと
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