ygdのブックマーク (8)

  • 不登校、半生を語る - こじらせません、勝つまでは

    1999年、生まれた。 その時からの記憶がある。わけがない。 殆どの人が3歳ぐらいからの記憶しかないと思う。 つまりそのころの自分を知る人間は周りの人しかいないわけだ。 記憶喪失と同じように過去を偽ることができる。 「こんな子供だった。」それが真実なのかどうかは誰にも分からない。 両親が言うには泣き声がやかましい赤ちゃんだったみたいだ。 他の子供と同じように幼稚園に入った。 ここの記憶は少し残っている。 叱られた記憶といじめられた記憶。そのぐらいしか残っていない。 保育士がいないと外に遊びに行けないという規則があった。 それを聞いていなかった僕はだれもいない園庭で遊んでいたようだ。 そして、案の定叱られる。 「みんな遊んでない。周りに合わせろ」 要約するとこんな内容の話をされた。 そのころは歪んでなかったので そんなものか。と思っていた。 いじめられっ子気質は幼稚園生からだったようでいじめ

    不登校、半生を語る - こじらせません、勝つまでは
    ygd
    ygd 2013/11/02
    不登校は、"反社会的"ではなく、"非社会的"の方になると思う。
  • 「うちら」の世界 - 24時間残念営業

    2013-08-06 「うちら」の世界 最近は冷蔵庫に入ったりなんかくわえたりするのが流行りらしいです。 このへんのことについては、書こうと思ってうまくいかなくていくつか文章を放置してあったんだけど、今日、どこぞのまとめ見て不意にまとまったので書いてみる。 なおこのエントリは、来だったらもうちょい精密に考えなきゃいけないところを、自分の経験に引き寄せすぎて、ちょいとざっくりと処理しちまってるので、あんまり論としてはよいものではないです。 さて、件の炎上した人たちについては、バカに見える。現実問題としてアホだなあとは思うわけだが、俺自身の思想によって、バカであるという判断では終わらせられない。もしバカなのだとしたら、過去にも同様にバカはいたはずで、過去のバカと現在のバカはあまり変わらない、彼ら、彼女らだけが特異的にバカなのではない、と考えるわけだ。つまり、彼ら、あるいは彼女らが悪いというの

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    ygd 2013/08/08
    >このへんの問題についての関連書籍とかあったら教えてください。おかねとじかんが許せば読んでみたい。 ←図書館の◆レファレンスサービス◆を活用すれば、お望みの関連書籍に辿りつけるかも知れませんヨ!!
  • SYNODOS JOURNAL : 安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美

    2012/9/2811:0 安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美 アシュリー事件―メディカル・コントロールと新・優生思想の時代 著者:児玉 真美 販売元:生活書院 (2011-10) 販売元:Amazon.co.jp クチコミを見る 尊厳死法制化をめぐる議論で、尊厳死を推進しようとする人たちの中から「既に安楽死や自殺幇助を合法化した国では、なんらおぞましいことは起こっていない」という発言が出ることがある。私はそうした発言に遭遇するたびに、そこでつまづき、フリーズしたまま、その先の議論についていくことができなくなってしまう。 「おぞましいこと」は当に起こっていないか? それとも現実に何が起こっているかを、この人は知らないのか? しかし、これだけ尊厳死法制化に積極的に関わってきたこの人が、当に知らないということがあるだろうか? それとも現実に起こっていることを十分

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    ygd 2012/10/01
    「■「くぐりぬける力」を信頼する」というくだりは、「くぐりぬけ」てきた者によって、それが叶わなかった人々の屍の山の上より、その屍を踏みにじりながら喚く、人生の"勝者"が驕った詭弁でしかない。サバルタン
  • SYNODOS JOURNAL : 政策分析の二つの視点 大屋雄裕

    2012/7/319:0 政策分析の二つの視点 大屋雄裕 ■内的視点と外的視点 20世紀を代表する法哲学者の一人であったH. L. A. ハートは、法を分析するにあたって内的視点と外的視点を区別する必要性を指摘している。ある法システムの内部にいてその正統性を認めており、法律が守られるべきものとされていることを前提にする内的視点に対し、そのような引き受けのない・外部からの観察者として見るのが外的視点である。 たとえば人々がみなエスカレータの特定の側に寄って立つという事実があるとき、その根拠となる法・規則がないことを知っている我々からは単なる慣習と位置付けられることになるだろう。他方、日を訪れた外国人の目から見ればそこには一定の規則に沿った(ように見える)行為があり、ほとんどの人々がそれに従っている以上「法」が実在しているということになるかもしれない。逆に、ひところまでの未成年者飲酒禁止法の

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    ygd 2012/08/05
    手段の実効性を確保する為に、元々の目的が害される状況を容認できるのなら、ごもっともな主張でございます。
  • SYNODOS JOURNAL : 生き延びるための「障害」――「苦しみ」の行き場がない社会 ―― 荒井裕樹

    2012/6/19:0 生き延びるための「障害」――「苦しみ」の行き場がない社会 ―― 荒井裕樹 1 「苦しいこと」と「苦しみ」の違い 昨年(2011年)秋、5日間という短い会期ながらも、静かに熱い、不思議な感動に包まれたアート展が開催されていた。東京精神科病院協会が主催する「心のアート展」である。このアート展は、都内の私立の精神科病院に入院・通院する人々が、主に病院内で制作したアート作品を集めた展覧会である。 近年では、精神科医療の臨床現場でも、治療の一環としてアート活動を採りいれることが広がりつつあり、「アートセラピー」という言葉も珍しくなくなってきている。ただし、病院内でのアート活動はあくまで医療行為の一環であり、生み出された制作物もいわゆる「作品」ではなく、院外に持ち出されることは基的にはない。場合によっては表現者の心のナイーブな部分に触れる自己表現を、不特定多数の人目に触れる公

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    ygd 2012/06/03
    筆者は、「うつ」を専らうつ病の略称として捉えているが、もともと、「うつ」という語自体はうつ病の略称ではない語として、従来から存在している語です。その点を失念している様で残念。
  • SYNODOS JOURNAL : 「社会保障で成長」が画餅である理由〜規制と公費投入が、過剰需要を作る 鈴木亘

    2010/12/137:0 「社会保障で成長」が画である理由〜規制と公費投入が、過剰需要を作る 鈴木亘 ―― 社会保障を成長産業として捉える、という発想から、菅直人首相が「強い社会保障」なるものを主張しています。 鈴木 出発点にあるのは「強い財政」なんです。簡単にいうと、消費税引き上げでまず財源を確保し、社会保障分野に投じよう、ということです。そうするとGDPが拡大して税収も上がる、そうなると社会保障にいく分もさらに増える、となって好循環が生まれる。これが「強い社会保障」という考え方です。 ―― なるほど、だから医療や介護、保育というのは成長産業だと。 鈴木 そうそう、そこに需要があるからというわけです。 ―― 話がうますぎるように思えますが、当なんでしょうか? 鈴木 経済学的にみて、まったく間違ってます(笑)。 成長産業というのは、自動車や電気機械、最近だとITとか情報産業などのよう

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    ygd 2010/12/20
    「介護や保育には需要がたくさんあるのは明らかだと。」の「需要」とは、介護や保育が必要なのに受けられていないニーズを指しているのに、経済学用語としての「需要」と捉えてミスリードしてる様な……
  • ちょさかのひとりごと - 「火垂るの墓」に関する低い評価(米Amazon)

    http://anond.hatelabo.jp/20070811193806 このレビューの指摘はもっともであるし、評者は正しくこの映画のテーマを読み取っている。しかし、それをもとに映画の評価を下げるのは間違っているのではないか。 なぜなら、この映画のパンフレット自体に、野坂昭如自身が、評者と同じことを述べているのだ。この映画戦争を描いたものではあるが、同時に、若い無思慮な少年が自分自身のつまらない自尊心を原因に妹を死なせてしまったこともあからさまに描いた物語なのだ。 父親の純白の海軍服に憧れ、戦争での日の勝利を無条件に信じるこの少年は、勝ち目のない戦いに無自覚に足を踏み込んでいった日人全体の暗喩にもなっている。彼らはたんなる被害者ではない。 予備知識が少しでもあって高畑勲の立ち位置を考えれば、こんな事は自明のことだし、そういった情報を知らなくても、この評者のように、きちんとそれを

    ちょさかのひとりごと - 「火垂るの墓」に関する低い評価(米Amazon)
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    ygd 2009/05/01
    高畑勲監督は、鑑賞者の清太への感情移入を意図して製作し、集団主義・全体主義に抗う清太の姿勢を肯定している。さらに、鑑賞者が清太を指弾する状況になるのを懸念している。http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070816/hotaru
  • 悪人を倒せば世界が平和になるという映画は作らない――宮崎駿監督、映画哲学を語る(前編)

    悪人を倒せば世界が平和になるという映画は作らない――宮崎駿監督、映画哲学を語る(前編):“ポニョ”を作りながら考えていたこと(1/4 ページ) 「悪人をやっつければ世界が平和になるという映画は作りません」 『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』などのアニメーション映画を手掛けた宮崎駿監督が11月20日、東京・有楽町の日外国特派員協会に登場し、講演を行った。 『千と千尋の神隠し』が2003年にアカデミー賞長編アニメーション部門作品賞を獲得するなど、宮崎監督は海外でも評価が高い。内外から200人以上の記者が集まり、10分間の講演後には1時間以上も質問が投げかけられた。時には笑いながら、時には真剣な顔で宮崎監督は、最新作の『崖の上のポニョ』や現代社会に対する不安、自らの映画哲学などについて語った。 以下、宮崎監督のメッセージをご紹介しよう。 ポニョと同時に保育園も作った 私たちが作った『(崖の上の

    悪人を倒せば世界が平和になるという映画は作らない――宮崎駿監督、映画哲学を語る(前編)
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    ygd 2008/12/02
    大々的なプロモーションを行い、多額の興行収入を上げている監督が商業主義批判とは笑止だ。更に、バーチャル・商業主義批判を展開し、(※但し、宮崎作品は特別)と矛盾を正当化する御仁。天狗の鼻はへし折られるべき
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