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2018年8月2日のブックマーク (6件)

  • 料理のSN比と、目黒のサンマのジレンマ 前編 - 食べるそして考える

    SN比という言葉がある。 オーディオに凝った事がある人や音楽のレコーディングにたずさわった事のある人ならご存知かと思うが、これはサウンドに対する雑音の比率を表す。 SN比が高いほどそれは高音質である事を意味する。 SN比を高める、つまり音質を良くするには、サウンドの音量を上げるか雑音を削るかという二つの方法があるわけだ。 料理に関してはもちろんこのSN比という言葉がそのまま使われることはないのだが、あえて料理にこの概念を当てはめてみるといろいろ面白い、というのが今回のテーマである。 最初にものすごくざっくりとした言い方をすれば、料理というのはいかにして元々の材に手を加えてそのSN比を向上させるか、であると言ってもいいと思う。 特に高級なもてなし料理においてはそれが重要になる。 例えば牛ヒレ肉なんてものは元々のSN比が高いからわざわざ料理によってNを削る必要性もさほど無いわけだが、これがレ

    yhara
    yhara 2018/08/02
    “和食はN値を可能な限り削ぎ落とすことで、洋食はS値を徹底して損なわない事で、結果的にはどちらも高いSN比を目指している”
  • 鋼メンタルのレストラン in カナダ - 食べるそして考える

    カナダのバンクーバーで行ったフレンチレストランでの、とても印象的だった話をしよう。 その店は港のすぐ近くにある、海の見えるモダンなレストランだった。 その港はヨットハーバーだったのだが、近くには漁港もあり、店はシーフードが売りであった。 そこに日人3人とカナダ人1人で訪れた。 その日のコースのスープは、オマール海老のビスクだった。 ビスクというのはだいたいどこでべても濃厚なものだが、そのビスクは他でべた事がないほど濃厚だった。 そして濃厚なだけでなくとても塩っぱかったのだ。 同行者の日人の1人は、一口啜るなり顔をしかめた。 彼は現地在住のビジネスマンで、この会のホスト的な立場でもあったからというのもあるかもしれないが、即座にギャルソンを呼びつけて抗議した。 「これはいくらなんでも塩からすぎないか?シェフは味付けを失敗したのではないのか?」 この時のその若いギャルソンの対応がある意味

    yhara
    yhara 2018/08/02
  • こんばんは、カマキリのオスです。今まさに愛する妻に食いちぎられている..

    こんばんは、カマキリのオスです。今まさに愛するいちぎられている最中、これを記述しています。 私には人間の営みがどのようなものであるのかは皆目見当も付きませんが、自分の宿命はわかっています。もちろん、生まれたときからわかっていたわけではありません。つい数分前までは恍惚でした。憧れの女性をようやく自分のものにできたのですから。 思えば彼女はクラスでは目立つ方ではありませんでした。しかし、自らの中に芯のあるような、そんな態度が私の心を惹きつけて離しませんでした。彼女も私もハナカマキリではなく没個性的なオオカマキリですが、私にとって彼女は世界に一人だけの高嶺の花でした。 きっかけは「ハリガネムシ、ついてるよ」でした。陸上部に所属していた彼女は卓越した身体能力で、私に寄生しようと試みていたハリガネムシを殲滅したのでした。きっかけは彼女の単なる善意から。彼女が意図せず作ってくれたそのきっかけを私

    こんばんは、カマキリのオスです。今まさに愛する妻に食いちぎられている..
  • こんばんは、猫です。残念ですが、あなたのようなヒトによる書き起こしか..

    こんばんは、です。残念ですが、あなたのようなヒトによる書き起こしからは、その意図を正確に翻訳することが難しいです。 理由として、あなたには「みゃう~なあう~」と聞こえているそうですが、実際は「っなぁあぁみゃうぅるっつぅなぁああぅううるるっ(この空はいいね、それは好きか?、の意)」かもしれませんし、「むぅうみゃぁぁうーっふ、んなぁぁうーっふ(夢に出てきたのはお前か?、良かったぞ、の意)」かもしれません。ヒトは2万ヘルツまで聞き取るそうですが、私達のそれは10万ヘルツです。ゆめゆめ、あなたに聞こえているものが全てだとは思われませんよう。この世には、目に見えない、耳に聞こえない事柄も在る故、「各自の定める『在る』こそ無い」という理のみが真実なのです。 ところで私たちは元来、人目につかない場所で目を閉じてじっとすることが好きです。まわりの音が四方から絶え間なく聞こえ、私が居ても居なくても、世界

    こんばんは、猫です。残念ですが、あなたのようなヒトによる書き起こしか..
  • こんばんは、ゴイサギです。淋しいとき、私は少しないています。 それはい..

    こんばんは、ゴイサギです。淋しいとき、私は少しないています。 それはいつ現れますか。私のそれは自分と向き合うことでやってきます。月夜、水面にはこちらを覗き込むもう一人の私が現れ、すると魚を追うのも忘れて、魔法にかけられたごとく見つめ合ってしまいます。もうひとりの自分が、私の様子を確かめに来てくれたようで安堵します。水が少し温んだ気がします。 水面の自分が小首を傾げ、順調?と問いかけます。順調です。魚は美味しく、コロニーは安全で、ホシゴイと呼ばれる子供も2羽育てています。マズロー的にはやがて自己実現の段階です。そうですが、このまま自己を実現して良いのでしょうか?幼い頃、将来は月まで飛んでいき、星粒を集めて暮らすと信じていました。けれど今、こうして小さな橋の下にじっとしています。ねぐらと餌場を行き来するだけで、この翼で月まで行けるか試してもいません。私は、私でいられていますか?濡れた瞳の自分が

    こんばんは、ゴイサギです。淋しいとき、私は少しないています。 それはい..
  • Kenji Yoshida on Twitter: "@todesking Scala本体でも一応使われているのと https://t.co/acSkzkmr72 https://t.co/1JIBKepEo2 あと(Scalaではそういうの判断してくれないが) case clas… https://t.co/klDkOdyai0"

    yhara
    yhara 2018/08/02
    Bivariance