『「知」の欺瞞』ローカル戦:浅田彰のクラインの壺をめぐって(というか、浅田式にはめぐらないのだ) Version 1.7 2000年10月-2002年4月 山形浩生 読み始める前に……:この文章を出して 1 年以上たった 2002 年 4 月、菊池和徳氏が、クラインの壺が本当に循環しないかを検討している。そして、浅田の言っているのは「中身のあるクラインの壺」と解釈すべきで、そう解釈したときは循環すると言えることを述べている。 とりあえず考えてみてはいるけれど、はい、確かにそういう解釈はなりたちそうですす。そしてその場合、ぼくの以下の文章はかなり割り引いて考えていただく必要がある。『構造と力』のまとめ部分と、モデルとしての必然性のなさについては額面通り受け取っていただいていいけれど、途中の(かなりの部分を占める)循環しないという記述に関しては、非常に強い説得力のある反論が存在しているというこ