これも私信エントリーです。6日のエントリーは昨日の『たかじんのそこまで言って委員会』(以下、『委員会』)を見る前に書いたものですが、今、見返すと凄く甘い認識だったな、と思います。番組視聴の前後で認識がどのように変わったかのメモも兼ねて、『委員会』の感想を書きます。 (※2008年2月8日追記)見易さのために番組出演者の発言を三種類に色訳けし、勝谷氏の発言は引用形式にしました。『委員会』の議論全体の流れは、7日の日記で御確認下さい。 【目次】 1.昨日の『委員会』の感想 2.勝谷誠彦氏の発言について 3.何故、複数対複数の議論が必要か 4.橋下徹氏の言動について 5.番組への感想と死刑存廃論議の区別(10月13日2時00分頃追記) 6.菊田幸一氏は何を言いたかったのか(10月13日2時00分頃追記) 1.昨日の『委員会』の感想 昨日の『委員会』のテーマは死刑制度でした。司会は、やしきたかじん
「後はわしが面倒見る」 時津風親方、稽古後に斉藤さんと二人きりに…その後「あー」という悲鳴聞こえる 1 名前: プロスキーヤー(岡山県) 投稿日:2007/09/30(日) 03:06:11 ID:iMN08jYg0 ?PLT 「おまえらもやれ」。大相撲の時津風部屋の時太山(ときたいざん)=当時 (17)、本名・斉藤俊(たかし)さん=が急死した問題で、時津風親方は 兄弟子らをけしかけていた。 6月25日午前11時ごろ、斉藤さんが逃亡したことに兄弟子らが気付いた。 近くのコンビニ前にいるのを見つかり連れ戻される。兄弟子から殴られた。 午後7時ごろ。親方は飲み終わったビール瓶で斉藤さんの体を数発殴った。 最後に額のあたりを強めに殴り血が流れた。親方は兄弟子らに「おまえらもやってやれ」 と指示。3人が「根性いれてきます」と言って、部屋の裏手や宿舎の外で30分以上、 素手や金属バットで暴行を加えた
あいかわらず、この国の死刑制度に対する存置世論は強いようで、、、 痛いニュース(ノ∀`)【光市母子惨殺】 元少年「生きたい」「検察、僕をなめないでいただきたい」…弁護団、涙で「こんなに胸を張って弁護できたことはない」 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1033297.html ブログ主の編集方針が偏ってるって事情を差し引いても「吊るせ吊るせの大合唱」状態。あまりに人の命の重さに対する感覚が軽すぎるんじゃなかろうか? 気に食わないやつが殺されたらスッキリするっていう人権感覚が蔓延したら「正義のための人殺しは容認される」っていうことにならないかと心配だ。 さてそれにしても、僕にはむしろ悲しみにくれる被害者を救済する手段が「被告の死だけしかない」というこの国の現状こそ問題にすべきだと思える。 刑事裁判の目的が、被害者救済ではなく社会秩序の維持に偏っ
【光市母子惨殺】 元少年「生きたい」「検察、僕をなめないでいただきたい」…弁護団、涙で「こんなに胸を張って弁護できたことはない」 1 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ 投稿日:2007/09/20(木) 22:44:08 ID:???0 弥生さんの母親も、やり切れない思いを法廷で訴えました。 「娘と孫がどんなに苦しい思いをしたのか、自分の首を絞めて実験してみました。被告人はこんなむごい形で娘の命を奪っておいて、まだ自分の命が惜しいのですか。真実の裁判をしてください」(弥生さんの母親) メモをとりながら表情を変えずに遺族の陳述を聞いた元少年。その直後の被告人質問では、 憮然とした態度でこう証言しました。 「今以上の苦しみは実生活において容易に想定できます。それを踏まえてでも生きたい。 僕のほうから検察官に言わせていただければ、なめないでいただきたい」(元少年) (
引き続き今枝弁護士の話 弁護団は被害者・遺族の気持ちを考えていないというコメントに対して 被害者・遺族の気持ちを考えていない、という批判に対し、誤解され得ることを承知で、正直に気持ちを述べます。 私は、前述のように自分自身事務所を拳銃で銃撃するという被害に遭いましたし、裁判所刑事部事務官、検察官、刑事弁護人の職務を通じ、何十・何百という被害者の方と話をし、その法廷供述を目の当たりにし、何百・何千という供述調書を読んできました。 不謹慎に思われるかもしれませんが、仕事がら死体の発見状況、解剖状況を見ることも多く、ご遺族のやるせない気持ちに触れることもたくさんありました。 その課程で、図らずも不覚ながら涙を流したことは数えきれません。 本件も特にそうですが、それ以外にも、松本サリン事件の現場記録には胸がつぶれる思いをしました。 普通の生活の課程で、突如サリンによる攻撃を受けた人は、何が起こって
気持ちが悪すぎて眠れないためつらつら書く。 今回の光市事件を調べていくうち、遺族と司法といったことについて段々と思いを巡らせていくようになっていった。 私自身についていえば、加害者になったことも、被害者になったことも、幸いにしてない。だが、実は、身内からは犯罪被害者も加害者もだしている。 その一件はある遠い親戚(遠いといっても交流がないという意味合いにおいてなのだが)の家族間で起きた事件だった。精神を病んだ息子が父親を殺害したのだ。そういうわけで、私は犯罪被害者遺族でもあり、加害者家族でもあるという、語弊を恐れずに言えば「奇妙」な立場にあるといえる。 私自身の実感をいえば、先ほど述べたように遠い親戚の出来事という程度しか捉えようがなかった。あまり交流はないし、会った事も数えるほどしかないし。ただ全く何もなかったという「幸運」な方に比べれば、考える機会は多少なりともあったとはいえるかもしれな
前のエントリで、最近の抑止効果を肯定する研究も結構強く批判されてるし「やっぱり抑止効果が統計的に証明されたとは言いがたい」と考えるに至ったわけですが、ついでにちょっと。 確かに「実際には抑止効果があるのだが、数が少ないために統計では表れない」ということなのかもしれません。もちろん、そうではなくて本当にあまり関係ないのかもしれません。死刑に抑止効果があるであろうと考えるのは直観的にも理解しやすいので、おそらく「多少は抑止効果があるはずなのだが、対象が少ないせいで統計に表れないだけだ」と考える人も結構いるのではないかと予想できます。 殺人に対する死刑制度の影響が統計に表れないとすると、確かにその可能性は排除されません。多少の抑止効果はあるのかもしれません。しかし、そう考えるのであれば逆の可能性、すなわち死刑制度が殺人を助長している可能性もまた、排除されていないということは認めなければならないの
ついでなので、もう一回だけ。別に他の廃止論者を代弁するつもりはないですし、ちょっと疲れてもきたので『インパクション (156) 特集:死刑―新たな段階へ』(2007年)から引用して紹介するに留めておきます。 インパクション 156 特集:死刑新たな段階へ 作者: インパクト出版会出版社/メーカー: インパクト出版会発売日: 2007/02メディア: 単行本この商品を含むブログ (1件) を見る引用部分は、すべて対談での安田好弘弁護士の発言部分です。 まず、死刑廃止論の立場からは当然ながら死刑判決の増加そのものも問題視していますし、検察や裁判所や法務省を批判しています。そして死刑の「乱発」の原因についてこう言います。 現象面からすると、被害者感情が司法さえも支配しはじめたからだといえる部分があります。司法が、被害者遺族の無念さや憎しみや怒りを代行しているんですね。司法は、もともと、人を殺して
・情状酌量で死刑回避の余地が無い(と、弁護側は判断しているのだろう)以上、傷害致死で争うしかないのだろう。そのこと自体を批判する気はあまり無い。 ・『じゃれついただけ』『復活の儀式』などの無茶な理屈は、弁護士が無理矢理捻り出したわけでは無く、実際に被告人が言っている、ということを否定する材料は無い。勿論、『情状酌量で死刑回避は無理』という理屈を知った、もしくは弁護側から告げられてから考えた理屈だということを否定する材料も無い。 ・あの無茶な理屈を聞いたうえで、被告含む弁護人に対する感情的な批判をするな、というほうが無理な話だ。弁護人だってそれぐらいのことは判っているのだろう(判っていないなら馬鹿) ・そういうものだ、とニヒルになりたくもなるが、しかしそうであっても、マスコミには、本村さんの気持ちを伝えつつも、もっと司法制度とか弁護士の役割とか、あるいは弁護側の主張とか、少しく冷静な解説を求
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