15才の時に3.11東日本大震災で家族、親戚を全員失い孤児になりました。その後16才で東京でホームレスを経て現在に至ります。震災の記憶を風化させないために当時の事を漫画で発信していきます。みなさんに当時の様子を知っていただけたらと思います
![あぶくま君による「15才の時に東日本大震災で家族を亡くし、天涯孤独の身になり東京でホームレスになった話」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/3c2b6430b4d744fa85912da907689e3ccf71633a/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2Fd2963143e078953f11f265acb0058b64-1200x630.png)
「来ていますよ、津波。来ている、来ている! 川を上って来ていますよ! 正面」 それまで冷静だったパイロットの緊張した声で、カメラを前方へと向けると、名取川を津波が遡上してくる様子が確認できた。 午後3時54分。ヘリの映像が、テレビで生中継され始める。 白波がザーッと川を上ってくる様子の撮影を続けていると、再び前方の席に座るパイロットと整備士の叫び声がした。 「海、海、海。もっと左、左、左」 カメラマンの座席は後部右側。真ん前や左側はよく見えない。指示された側にカメラを振ると、黒い津波が陸上にも押し寄せていた。 東日本大震災の津波の恐ろしさに、世界中の人が気づいた瞬間だった。 撮影できたのは「偶然」この映像を撮影したのは、当時入局1年目の鉾井喬だ。ヘリでの撮影は研修を含めてこの日が4回目。4回といっても、実際に放送に使われたのは、前日に撮影した海岸の不法投棄現場の映像が初めてだった。 NHK
東北にときどきぶらりと訪ねて行く小さな港町がある。その町には何人かの友だちが住んでいて、うまく時間が合えば一緒に食事をしに行くこともあるし、夜遅くまでバカ話をすることもある。誰の都合もつかなければ1人で町の様子をなんとなく眺めてから、お決まりの土産物を買って帰ることになる。そんなふうにして僕はその町を訪ねている。 そこに今月いっぱいでひとつの役割を終えようとしているラジオ局がある。5年前、町の人たちが中心となって、震災からわずか41日後に開局した臨時災害FM局だ。どうしても伝えたいことがあるのだという強い思いから、地元の人たちがたどたどしく始めた放送も、気づけばもう5年近く続いていることになる。何かを大げさに語るのではなく、理想論を振りかざすのでもなく、ただ町と一緒に歩もうとした小さなラジオ局は、色も音も失いかけていた町に若者たちの明るい声を届けてきた。 いよいよ放送が終わると聞いた多くの
「あの大きな揺れのさなか、中学生が訓練通りリヤカーでお年寄りを助けに行く姿を想像し、行くな、と思った」(シンサイミライ学校 片田敏孝教授の言葉) Posted on 2013年8月12日. Filed under: ボランティア | タグ: 防災, 東日本大震災 | 東日本大震災に関するテレビ番組はよく観るけど、録画リストを消化中に強く惹きこまれたのがこの番組だった。 「釜石の奇跡 片田敏孝先生のいのちを守る特別授業 第三回 私たちがふるさとを守る」:NHK シンサイミライ学校 岩手県釜石市で津波防災教育に約10年に渡って取り組み、2011年3月11日に起こった東日本大震災では小中学生の生存率が99%という“釜石の奇跡”を生んだ片田敏孝教授。 番組は、彼が和歌山県田辺市のある中学校を訪れ、座学や地域での実践、釜石への訪問などを通して津波防災を生徒たちに体得させていくという構成だ。震災当時に
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