2017年7月5日のブックマーク (2件)

  • エスカレーター立ち止まる勇気を 都理学療法士協会訴え:朝日新聞デジタル

    エスカレーターは急ぐ人のために片側を空ける――。こんな都市部の暗黙の「マナー」に、大変な思いをしている人たちもいる。障害があって左側のベルトをつかめない。子どもと手をつないで並んで立ちたい。そんな思いを知ってもらい、誰もが安心して歩ける街にしようという呼びかけが始まっている。 埼玉県の会社員の女性(46)は10年前に脊髄腫瘍(せきずいしゅよう)の手術をし、首から下にまひがある。エスカレーターでは右側に立った方が安定するが、「迷惑をかけるから」と左側に寄っていたという。杖をついて乗ろうとすると、またいで追い抜く人も。「荷物がぶつかって落ちそうになることもあり、ヒヤヒヤです」 こうした声を聞き、「気兼ねなく右側に止まって乗れる雰囲気を作ろう」と動き出したのが、東京都理学療法士協会だ。6月中旬、東京都内の駅でチラシなどを配り、「止まって乗りたい人もいる。立ち止まる勇気を広げよう」と訴えた。 日

    エスカレーター立ち止まる勇気を 都理学療法士協会訴え:朝日新聞デジタル
    ymkjp
    ymkjp 2017/07/05
    大江戸線のエスカレーターで立ち止まる勇気をください
  • 私の家には奴隷がいた… 罵られ、殴られても、一家に仕え続けたフィリピン女性 | ピュリッツァー賞作家、衝撃の絶筆

    遺灰は、トースターくらいの大きさの箱に収まった。プラスチック製の黒い箱で、重さは1kg半。それをトートバッグに入れてスーツケースにしまい、マニラ行きの飛行機に乗って太平洋を横断したのは2016年7月のことだ。 マニラに降り立つと、車で田舎の村へと向かう。到着したら、私の家で奴隷として56年間を過ごした女性の遺灰を受け渡すことになっている。 彼女の名前は、エウドシア・トマス・プリド。私たちは、彼女を「ロラ」と呼んでいた。背は150cmで、肌はチョコレート色だった。アーモンドの形をしたロラの目が、私の目をのぞきこんでいるのが人生最初の記憶だ。 祖父が私の母にロラを“贈り物”として与えたとき、ロラは18歳だった。そして、家族が米国に移住したとき、彼女も一緒に連れていった。 ロラが送った人生を言い表すのに、「奴隷」という言葉以外には見つからない。彼女の1日は、ほかのみんなが起きる前に始まり、誰もが

    私の家には奴隷がいた… 罵られ、殴られても、一家に仕え続けたフィリピン女性 | ピュリッツァー賞作家、衝撃の絶筆
    ymkjp
    ymkjp 2017/07/05
    Filipino-American の一家が祖国から連れてきた奴隷を米国内で続けていた話