2013年5月29日のブックマーク (5件)

  • の夢想とグッドマン・チョムスキー論争 - 現在思想のために

    トマセロ(Michael Tomasello)が、「どんな証拠ならUG仮設を論駁できるのだろう」(What kind of evidence could refute the UG hypotesis?)という短い論文を書いている。これはStudies in Language 28 (2004)に掲載されたもので、来、同誌に寄せられたヴンダーリッヒ(Wunderlich)の論文への注釈として書かれた。ただその内容を読むとヴンダーリッヒ論文の議論を正面から取り上げたというより、UG仮設を支持する他の研究者の主張をまとめて論評した体裁になっている。 事実この文章の末尾で、著者は自分の意見は単にヴンダーリッヒだけに向けられたのではなく、UG仮設のすべての主張者に対するものだと明言している。以下で、トマセロがUG仮設のどこに不備があると考えるかを見るために、彼の議論を筆者なりに整理してみたいとお

    の夢想とグッドマン・チョムスキー論争 - 現在思想のために
  • ヌスバウム『感情と法』(4)[男子の病理としての羞恥] - charisの美学日誌

    [読書] ヌスバウム『感情と法』(慶応大学出版会)  (4) (承前) 今日は「細やかなやりとり」ができない男の子という問題。 「羞恥」の感情は、ナルシシズムの乗り越えに関る問題を抱えている。ヌスバウムによれば、「羞恥」は、自分の貪欲さを反省するという「建設的な羞恥」もあるが(p270)、病理的で「危険な恥」もある。病理的な羞恥とは、「すべての人間が共通に担っている脆弱性を受け容れ」ようとせず(p271)、完全性を目指さねばという強迫観念によって自我が硬直してしまうことである。羞恥とには、人間の弱さから目をそむけるという危険な要素があるというのが彼女の考察である。しかも、羞恥が病理的な形態になるのは、女子ではなくほどんどが男子なので、そこには社会を支配するジェンダー・バイアスが存在している。 ヌスバウムは、原始的羞恥心からの脱却がうまくできず、ナルシシズムの乗り越えに失敗した実例として、精

    ヌスバウム『感情と法』(4)[男子の病理としての羞恥] - charisの美学日誌
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    yob 2013/05/29
  • ヌスバウム『感情と法』(3)[羞恥について] - charisの美学日誌

    [読書] ヌスバウム『感情と法』(慶応大学出版会)  (3) (承前) 今日は「羞恥」についてです。 嫌悪が、人間の動物性にストレートに関る感情であったのに対して、「羞恥」は、動物的なレベルとは異なる人間固有の「自我のあり方」に基づく感情である。羞恥とは、当然できなければいけないと見なされていることができない、という意味での自分の欠点が露わになることの苦痛の感情である。嫌悪感が、どうしようもなく露呈する自らの動物性への拒否感情であったのと違って、人間のあり方の「規範性」からの逸脱の感情が、羞恥なのである。ヌスバウムは、「羞恥」を次のように記述する。 >嫌悪感と同様に、羞恥は、私たちの社会生活の至る所に見られる感情である。・・・私たちは、人生を経てゆくに応じて、自分の弱点を他の長所で埋め合わせたり、それを克服しようと鍛錬したり、あるいは否応なく欠点があらわになってしまうような状況を避けたりす

    ヌスバウム『感情と法』(3)[羞恥について] - charisの美学日誌
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    yob 2013/05/29
  • ヌスバウム『感情と法』(2)[嫌悪について] - charisの美学日誌

    [読書] ヌスバウム『感情と法』(慶応大学出版会)  (2) (承前) 今日は「嫌悪」について。 >嫌悪感は、ほとんどの人間の生活の中に強く働いている感情である。嫌悪感によって、私たちの親密さの度合いは決まってくる。身だしなみに気を配るというような日常の決まりごとは、多くの場合この感情に基づいている。たとえば、私たちは体を洗い、排尿や排便を人の目から隠そうとし、歯磨き粉やうがい薬を使って周りを不快にさせる匂いを洗い流し、誰も見ていない時に脇の匂いを嗅ぎ、鼻糞が鼻毛について目立っていないか確認するために鏡をじっと見たりするのだが、私たちは嫌悪感に基づいてこうした日常的な習慣を身につけるのである。多くの点で私たちの社会関係を決めているのも、また嫌悪を催させるものとそれをさまざまな方法で取り除こうとする振る舞いである。嫌悪を催させる動物的なものへの対処法は、社会の習慣を生み出すものとして広く浸透

    ヌスバウム『感情と法』(2)[嫌悪について] - charisの美学日誌
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    yob 2013/05/29
  • ヌスバウム『感情と法』(1)[感情は認知的価値を持つ] - charisの美学日誌

    [読書] ヌスバウム『感情と法』(慶応大学出版会) (1) (写真は原書表紙。Hiding from Humanity というタイトルだが、Humanityという語の意味が通常とは違う。「おぞましさ」や「弱さ」を持つ「人間であること」の意味で使われている。邦訳ではこの絵は使われていない。) 現代アメリカリベラル派哲学者マーサ・ヌスバウムは、2004年にHiding from Humanity ―― Disgust, Shame and the Law を刊行した。2010年には邦訳『感情と法――現代アメリカ社会の政治的リベラリズム』(慶応大学出版会)も出た。書は、「怒り」「嫌悪」「羞恥」などのネガティブな感情の性を分析し、概念を十分に区別することによって、これらの感情が我々の生において果す役割、とりわけ公共的行為やジェンダー文脈における重要な機能を考察している。そして、それらが法の規

    ヌスバウム『感情と法』(1)[感情は認知的価値を持つ] - charisの美学日誌
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    yob 2013/05/29