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historyと資料に関するyofaのブックマーク (2)

  • 自宅でここまでできる→日本史史料の探し方/集め方(増補しました)

    我々は直接に過去を知ることはできない。 人間の行動や思考が残したさまざまな痕跡を手がかりに、過去を再構成する以外にそれを知る術を持たない。 そのようにして再構成された過去を歴史といい、再編成の手がかりとした痕跡を史料という。 もとより人が残した痕跡は〈書かれたもの〉に限らないが、古文書、古記録をはじめとする文献史料は、長きにわたって史料のなかでとくに優越した地位を占めてきた。 以前は限られた人しか見ることができなかった文献史料が、一部ではあるが歴史資料集として編纂され、刊行物として活字化されることを経て、多くの人が見ることができるようになった。 加えて近年、そうした刊行物はインターネット上で誰でも検索/参照できるようになっている。 以下では、自宅で誰でも(基的に)無料でアクセス可能な歴史史料を紹介する。 ここで紹介する歴史資料集は、大きく2つに分けることができる。 A.ひとつは各文書・記

    自宅でここまでできる→日本史史料の探し方/集め方(増補しました)
  • 尖閣諸島問題 日本の領有は歴史的にも国際法上も正当 2010年10月4日 - 日本共産党

    の尖閣諸島周辺で起きた中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突事件をきっかけに、尖閣諸島の領有権にかかわる日中国の主張の対立が、国際的にも注目を集めている。日共産党はすでに1972年に日の尖閣諸島の領有は正当であるとの見解を発表しているが、この機会にあらためて尖閣諸島の領有の正当性について明らかにする。 一、日の領有と実効支配 近代まで「無主の地」 尖閣諸島の存在は、古くから日にも中国にも知られており、中国の明代や清代の文献に登場する。当時、琉球は中国との間で朝貢貿易をおこなっており、中国の使節である冊封使が琉球国王の代替わりにさいして往来した。琉球と中国大陸の福州とを結ぶ航路のほぼ中間に位置する尖閣諸島は、海路の目標とされていた。しかし、中国側の文献にも、中国の住民が歴史的に尖閣諸島に居住していたことを示す記録はなく、明代や清代に中国が国家として領有を主張していたことを明らかにで

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