自分では気がつかないけれども,他人からはよく見えることがあります。そのひとつが,「話し過ぎ」です。筆者は若いころ「話し過ぎ」でした。今ならそう自覚できますが,当時は「話し過ぎ」とは思っていませんでした。 このように,「話」には自分自身で見えにくいため,課題がよく自覚できないという非常に困った特徴があります。そして,これが非常に曲者なのです。 たとえば,文書なら,「書き過ぎ」かどうかは自分でも分かります。落ち着いて第三者的な立場で,自分の書いた文書を見れば,それが「書き過ぎ」かは分かるものです。 例えば,以下の文書を見てみましょう。