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ブックマーク / youkoseki.com (5)

  • 誰かのナンバー

    youkoseki.com 誰かのナンバー 残業を終えた帰り道、酔っぱらい客でいっぱいのメトロ5号線を下りて、改札を通ろうとしたら、エラー音が鳴って止められた。 駅員ロボットがキャタピラを鳴らしてかけつけ、私の顔を一瞥して言う。 「GGカードを見せてください」 私はカードを差し出す。ロボットはさっとスキャンをして言う。 「このカードでは通れません。正しい自宅の最寄り駅を選んでください」 「えぇ……」私は答える。「履歴を見てよ。朝もこの駅を使ったし、上京してから、もう何年もこの駅が最寄り駅だから」 「このカードでは通れません」ロボットは辛抱強く言う。「履歴は確認しました。あなたは確かに今朝8時28分にこの駅を利用していますし、11年と32日前から継続的に利用していることも事実ですが、いまのあなたにはこの駅を利用できる権利がありません」 去年末から、駅の利用が許可制になった。都市の犯罪率が上昇

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    yojik
    yojik 2023/05/29
  • チャット・ジェントリフィケーション

    youkoseki.com チャット・ジェントリフィケーション 信じられないかもしれないけど、私が大学を出て働きはじめたころは、オフィスっていうのがあった。オフィスってのはつまり……働くために会社のみんなが集まる場所だ。いまみたいに好きな場所で働くのじゃなくて、みんな会社の決めたオフィスで働くのがルールだったんだ。これ当の話。 みんな一斉にオフィスに集まって、一斉に帰るもんだから、行き帰りの電車なんか混雑でひどいものだった。お昼ごはんだってオフィスの近場で探さなきゃいけない。だいたいオフィスに移動するのが時間の無駄だし、そこからまたお客さんのオフィスに移動することなんかもあって、そうすると二重に無駄だ。それに、昼間は家がからっぽになって、夜中はオフィスがからっぽになるんだから、東京なんて土地も少ないのに、とにかくずいぶんな無駄だった。 いま思えば、相当におかしな話だけど、当時はみんなそれ

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    yojik 2023/04/26
  • インターネットおじさんの2019年

    youkoseki.com インターネットおじさんの2019年 叔父と初めて会ったのは90年代の後半で、私がまだ高校生のころだった。叔父は長くアメリカに留学していたが、日の通信会社に就職が決まったので、帰国してきたのだ。叔父は日のことがよくわからないからと言って、私達の家のすぐ近くにマンションを借り、しょっちゅう私達の家に出入りするようになった。 叔父と私は、親子にしては近すぎるような、兄弟にしては離れすぎているような、微妙な年齢差で、はじめこそ、お互いにどう接すればいいのかわからなかった。しかし夜になると決まって叔父が家にやって来ては帰らないので、気付けば次第に話をするようになった。たとえば、私がテレビゲームにはまって遊んでいると、叔父はもっと面白いゲームがあると、聞いたことのないアメリカ産のゲームを持ち込んでくるといった具合に。 大学でコンピュータについて学んだという叔父は、私に言

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    yojik 2019/12/12
    泣ける
  • パワポ職人の人生

    youkoseki.com パワポ職人の人生 加藤三四郎は日を代表するパワポ職人。パワポ職人として初めてノーベル文学賞を受賞したことで知られる。 官僚の父と経営コンサルタントの母を持つ加藤は、幼少のころから自然とパワポに馴染む環境で育った。四歳の時、保育園の担任宛に「ごはん後のおやつを増やす理由」を綴った三枚のスライドが、現存する最初の作品と言われている。箇条書きを用いた端正な作品で、当時の作風が読み取れる。 小学生のころには既に才能を嘱望されており、特にSWOT分析の鋭さでは同年代で他に並ぶ者がいないと言われていた。 中学二年でプロに転向した加藤は、その勢いのまま十五歳で日選手権を制する。決勝の対戦相手は当時無敵と言われた名人・大西カイロであったが、加藤は6ポイント以下の文字を多用した奇手を繰り広げ、名人を圧倒。この戦いを巡るドキュメンタリー「パワポ新時代」はあまりにも有名。破れた大

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    yojik
    yojik 2016/10/21
  • http://youkoseki.com/diary/2009/11/26

    yojik
    yojik 2009/11/27
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