新宿の下落合や(城)下町の人々を中心に、街角の物語を想いにまかせて綴っています。主題は「わたしの落合町誌」。記事の利用については一報いただければ幸いです。無断使用はご遠慮ください。 かなり前の記事で、鳥居龍蔵が関東大震災Click!の焼け跡を眺め、東京市街地の随所に築造された多数の古墳を観察・調査してまわったエピソードをご紹介Click!した。それら古墳の多くは、オフィス街や住宅街、道路などの建設によって破壊され、もはや現存していない。山手線の駅名になった大塚(大塚稲荷古墳)も、昭和初期に宅地開発で破壊されてしまった。もともと寺社の基盤として利用されていた古墳は、大震災後に再びそれら境内の下に隠れてしまった。 東京には、旧字(きゅうあざ)として大塚Click!や丸山(円山)Click!、稲荷山、摺鉢山Click!など、いわゆる古墳地名が数多く存在しているが、江戸時代の市街地造成や農地開拓で
![「柴崎古墳」=将門首塚の面影。: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/cd7c772f8f8ff23d27ff9ea986842a928f849547/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fchinchiko.c.blog.ss-blog.jp%2F_images%2Fblog%2F_1be%2Fchinchiko%2FE69FB4E5B48EE58FA4E5A2B3E58699E79C9FE291A0.jpg%3Fc%3Da1)