チャールズ・ディケンズはアメリカ合衆国を二度訪れている。そして1841年、当時29歳での最初の訪米の経験を『アメリカ紀行』という本にまとめている。 ディケンズはその末尾近くにこう書いている。「私がイングランドに帰ってから受けたいくつかの警告から考えて、この本がアメリカ人たちから心温かく好意的に迎えられるだろうとはよもや思っていない」。 岩波文庫にはディケンズの親友であったジョン・フォースターの『チャールズ・ディケンズの生涯』からのアメリカ訪問関連部分からの抜粋も収録されている。ディケンズはアメリカ滞在中もフォースターと文通しており、この手紙には体験したことが生々しく記録されている。この手紙は備忘録がわりでもあり、ディケンズはこれをもとに『アメリカ紀行』を書いているのだが、その際にかなり穏当な表現に改めている。それでもこう書かざるをえないところにディケンズのアメリカ体験は集約されているだろう
2月1日の朝日新聞の朝刊に「富裕層の被害妄想」というポール・クルーグマンのコラムの翻訳が掲載されている(Paranoia of the Plutocratsの原文はこちら)。 クルーグマンは「不平等の拡大」は「生産性が向上しても賃金が停滞し、負債が増大して金融危機に弱くなる」だけではなく、「健康の悪化や死亡率上昇につながることを示す有力な証拠がある」と始める。クルーグマンはここから話を進め、「1%」の富裕層に対する世論の批判を嘆く億万長者が、これを「ナチスのユダヤ人攻撃になぞらえ」、「水晶の夜」に私たちは向かっているのだとした投書がウォール・ストリート・ジャーナルに掲載されたことにあきれつつ、こういった人間は「それほど異常な存在でもないのだ」としている。このような「被害妄想と誇大妄想を併せもった政治的・経済的見解を抱き、声高に表明」している大富豪は数多くいる。ウォール街の関係者は、オバマが
特に理由もなく最近「ゴッドファーザー」三部作を久しぶりに見返したのだが、相変わらず自分の記憶力のなさにはあきれ返ってしまう。 ということでこんなとこあったっけ? ということばかりであったのだが、どうでもいい部分でおっとなったのが「PART Ⅱ」のある場面。 1919年、後に「ゴッドファーザー」となるヴィトーは「商売」を始めたが、地元を仕切るファヌッチからみかじめ料を要求され、仕事仲間のクレメンザらと食事をしながらどう対処すべきか相談をする。その席上でクレメンザはスパゲティをフォークとスプーンを使って食べているのである。 DVDのコメンタリーでコッポラは時代考証には相当の自信を持っていることを繰り返しているのだが、このクレメンザの食事場面については特に言及はしていない。前にここに書いたように、1920年代を描いた『彼奴は顔役だ!』(1939年公開)でもある密造酒の売人(イタリア系ではない)が
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