9月25日(日)に放送された第38回は、昌幸・信繁が配流先の紀伊国九度山に入ってから、慶長16年(1611)6月16日に、昌幸が死去するまでが扱われていました。 時代考証という立場からすると、この回で何よりも取り上げたいのが、九度山村と隣村との争いに際しての、信繁の発言です。秀吉の時に、村同士の争いは禁止され、争いの際に死人が出たら、双方の村の代表者が磔にされる、という内容のものです。これは秀吉の時期からみられた「喧嘩停止令」を意味しています。 「真田丸」では、第3回に村同士の争いを取り上げて以降、戦国時代に普遍的にみられていた村同士の争いが、社会の平和化のなかで、どのように変化していったのか、ということについて意識的に取り上げていただきました。第12回では、鉄火起請を取り上げて、村同士の争いについて大名が訴訟を受け付けるものの、きちんとした判断ができない場合に、「神裁」を行っていたことを
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